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伯爵令嬢は公爵様の『錨』となる ~偽りの婚約から始まる、たまゆらに縛られない本当の愛~  作者: 藍沢 理
第7章 最後の双月

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第42話 逆響の極致

 ゼファーの紅い瞳が、私を見下ろしている。その瞳には、嘲笑と、わずかな驚きが混じっていた。


「愚か。器が自ら飛び込んでくるとは」


 ゼファーが闇の槍を私に向ける。その切っ先から、濃密な殺気が放たれていた。


「リーナ! 何やってんだ! 逃げろ!」

「逃げない。あなたを失うくらいなら……」

「馬鹿野郎! 俺のことはいい!」

「よくない!」


 私は振り返らなかった。カイゼルの顔を見たら、決意が揺らいでしまいそうだったから。


 ゼファーの槍が、私の胸を貫こうとした――その瞬間。


 パキン、という音が響いた。


 母の形見の紫水晶のペンダントが、砕け散った。


 私の首元から紫色の破片が舞い散る。それは月光を反射しながら、きらきらと輝いて消えていった。十八年間、私の逆響の力を抑え続けてきた封印が、ついに限界を迎えたのだ。

 ふと気づく。左手首の痣も消えている。長年悩まされていた痛みがなくなっていた。


 次の瞬間、私の体から黒いオーラが噴き出した。

 それは闇というより、全ての光を飲み込む虚無の色。

 ゼファーの闇の槍が、私のオーラに触れた瞬間、霧のように消え去った。


「なに……?」


 千年を生きた古の精霊が動揺を見せた。


 私は自分の手を見下ろした。黒いオーラが、私の指先から溢れ出している。それは私の意志とは関係なく、周囲に広がっていく。


 ――これが、私の本当の力。


 逆響者(リバース・レゾナンス)としての、ありのままの姿。


 周囲の魂脈(ソウル・ヴェイン)が、私には見えた。カイゼルとの繋がり、ユリウスとの友情、アルテミシアやミラベルとの絆。そして、ゼファーから伸びる、千年前に断ち切られたはずの魂脈の残骸も。


「リーナ……それは……」


 カイゼルの声が震えていた。私の変化に、驚いているのだろう。

 でも、今の私には、もっと大切なことがあった。


 私は、ゼファーと向き合った。

 彼の紅い瞳を、真っ直ぐに見つめる。そこには千年の孤独と、狂気と、そして深い悲しみが宿っていた。


「あなたの痛みが、分かります」

「何を言っている、小娘が」

「ルナさんを失った悲しみ。世界に裏切られた怒り。全部、あなたの魂から溢れ出ています」


 私の逆響の力が、ゼファーの感情を読み取っていた。いや、違う。これは読み取るというより、もっと深い何か。

 その時、私の脳裏に、母の声が響いた。


『リーナ……聞こえる?』

 ――お母さん?

『あなたの力は、繋ぐための力。忘れないで』

 ――繋ぐ。

『そう。逆響の真の姿は「魂繋(ソウル・コネクト)」。断ち切られた魂を繋ぎ直し、失われた絆を再生させる力。でも、気をつけて。相手の全てを受け入れることになる。喜びも、悲しみも、憎しみも、全て』


 改めて理解した。

 私には、守りたい人がいる。救いたい世界がある。

 私は前に進み出る。


「ゼファー。あなたの魂に、触れさせてください」

「愚かな……我の千年の憎悪に、耐えられると思うか?」

「耐えてみせます。それが、あなたを救う唯一の方法なら」


 私は手を差し伸べた。黒いオーラが、私の手から伸びて、ゼファーへと向かっていく。


 ゼファーは動かなかった。いや、動けなかったのかもしれない。私の力に、何かを感じ取ったのだろう。

 私の指先が、ゼファーの胸に触れた。


 瞬間、世界が変わった。



 私の意識は、ゼファーの精神世界へと引き込まれた。

 そこは、永遠に続く闇の中だった。千年の孤独が作り出した、果てしない虚無の世界。

 そして、私は見た。

 若き日のゼファーと、美しい人間の女性――ルナ。二人が幸せそうに笑い合う光景。


 精霊族と人間の恋。周囲の反対を押し切って、愛を誓い合う二人。

 やがて訪れる戦争。引き裂かれる運命。

 そして、ルナの死。


 ゼファーの絶叫が、私の魂を貫いた。それは千年経っても癒えることのない、深い深い傷。


「見たか、小娘。これが我の真実だ」


 精神世界の中で、ゼファーの声が響く。


「千年、我はただルナのことだけを想って生きてきた。その想いが貴様に理解できるか?」


 記憶の奔流が私を襲った。

 ルナの笑顔、ルナの声、ルナの温もり。そして、それを失った絶望。復讐への渇望。世界への憎悪。

 私の精神が、軋みを上げた。


 ――重い。重すぎる。


 千年分の感情が、一気に私の中に流れ込んでくる。愛も、憎しみも、悲しみも、全て。


「あ……ぁ……」


 意識が薄れていく。このままでは、私という存在が、ゼファーの感情に飲み込まれてしまう。

 銀灰色の髪が、少しずつ白く染まり始めた。。


 ――駄目……このままじゃ、あたしが。


 私という個が、消えていく。ゼファーの千年の執念に、侵食されていく。



 現実世界が俯瞰して見えた。不思議な光景だ。私とゼファーが手を触れ合ったまま、石像のように動かなくなっている。


 カイゼルが必死に叫んでいた。


「リーナ! リーナ!」


 その声が遠く聞こえた。

 私の意識がゼファーの闇に沈んでいく。千年の孤独の底へと、落ちていく。

 その時だった。

 私の心の奥底で、小さな光が灯った。

 それは、カイゼルとの思い出。初めて出会った時のこと。政略結婚を強要されて反発し合ったこと。でも、次第に惹かれ合っていったこと。


 ユリウスとの友情。セレスティアとの奇妙な関係。アルテミシアやミラベルとの絆。

 私には、私の人生がある。私の愛がある。


 ――負けない。


 私は沈みかけた意識を必死に保った。


 ――あたしは、リーナ・アスティス。逆響者。でも、それだけじゃない。

 ――あたしは、カイゼルを愛している。仲間を大切に思っている。この世界を守りたいと願っている。


 でも、ゼファーの感情は強大だった。千年の重みは、十八年の人生では到底太刀打ちできない。


 私の髪は、もう半分以上が白く染まっていた。


 このままでは、私はゼファーに取り込まれてしまう。


 リーナ・アスティスという存在が、この世界から消えてしまう。


 絶望的な状況の中、私は最後の力を振り絞って、カイゼルの名前を呼ぼうとした。


 でも、声は出なかった。


 私の体は、もう私のものではなくなりつつあった。


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