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伯爵令嬢は公爵様の『錨』となる ~偽りの婚約から始まる、たまゆらに縛られない本当の愛~  作者: 藍沢 理
第7章 最後の双月

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第41話 双月峰の頂で

 転移魔法陣から次々と現れる人びと。人間、精霊、獣人、いつもなら反目し合う三者が、同じ魔法陣から姿を現す。


 私の目の前に広がる光景は、この世のものとは思えないほど幻想的だった。双月峰の頂上――伝説の聖地に、私たちはついに辿り着いたのだ。


 蒼月と紅月が空で重なり始めている。青と赤の光が混ざり合い、世界を不思議な紫色に染め上げていく。足元には、七色に輝く永遠花(とわはな)が咲き誇っていた。千年前の悲恋の象徴とされるその花は、今夜、新たな悲劇の舞台となろうとしている。


 祭壇の上に、一人の男が立っていた。


 銀白色の長い髪を風になびかせ、紅い瞳で私たちを見下ろす美しい精霊族――ゼファー・ノクティス。千年の時を生き、愛と憎しみに狂った古の存在。


 彼の周囲には、濃密なマナが渦を巻いている。永遠花(とわはな)から吸い上げた力が、彼の体に集約されていく様子が、私の逆響の感覚ではっきりと分かった。


「ついに来たか、若き調停者よ」


 ゼファーの声が山頂に響き渡る。その声には嘲笑と、どこか諦観のようなものが混じっていた。


 私の隣でカイゼルが双月剣エクリプスを抜き放つ。黒い髪に青い光沢が走り、金色の瞳が青く変化し始めている。彼の精霊族の血が、この場所の濃密なマナに反応しているのだ。


「ゼファー……祖父の仇、ここで取らせてもらう」


 カイゼルの声は低く、抑えきれない怒りが滲んでいた。


 私の反対側では、ユリウスが聖剣ソラリスを構えている。金茶色の髪が月光に照らされ、優しい青い瞳が決意に満ちていた。


「古の精霊ゼファー! その狂気を止める!」


 ユリウスの宣言が、開戦の合図となった。



 アルテミシアは、獣人族の戦士たちを率いて前衛に立っていた。


 琥珀色の瞳が縦長に変化し、全身から野生の力が溢れ出ている。狼の耳がピンと立ち、戦意が最高潮に達していることを示していた。


「いくぞ、てめぇら! ここが正念場だ!」

「おう!」

「ベスティアの誇りにかけて!」

「姉さん! この前はいきっちまってすいやせんした!」


 獣人族の戦士たちが、雄叫びを上げる。



 その後方で、ミラベルが魔法陣を展開していた。薄紫色の髪を風になびかせ、大きな丸眼鏡の奥で紫の瞳が真剣な光を宿している。


「分析完了。ゼファー様の魔力濃度、通常の精霊族の約百倍……これは、理論値を超えています」

「そんなもん、見りゃ分かるよ!」


 オリバー・ブランシュがツッコミを入れていた。彼も無事だったようだ。



「でも、必ず弱点はあるはずです。観察を続けます」



 イザベラは娘たちの様子を見守りながら、部隊の指揮を執っていた。赤銅色の髪を戦化粧のように結い上げ、琥珀色の瞳が冷静に戦況を分析している。


「精霊族の諸君、準備はよいか?」


 イザベラの問いかけに、ミスティアから来た穏健派の精霊たちが頷く。彼らもまた、ゼファーの暴走を止めるために、この戦いに参加していた。


「我らも、千年の過ちを正す時が来た」

「ゼファー様の魂を、安らかに眠らせましょう」


 精霊たちの決意は固い。



 ゼファーは、祭壇の上から私たちを見下ろし、薄く笑った。


「愚かな……我が千年の執念を、たかが数十年しか生きていない若造どもが止められるとでも?」


 彼が手をかざすと、永遠花(とわはな)がさらに激しく輝き始めた。花びらが宙に舞い上がり、ゼファーの周りで渦を巻く。


「見せてやろう、真の絶望というものを」


 ゼファーが両手を広げると、地面から黒い霧が湧き上がってきた。



 私は息を呑んだ。


 黒い霧の中から、次々と人影が現れる。それは……亡霊だった。過去に双月峰で命を落とした者たちの魂が、ゼファーの魔力によって実体化されているのだ。


 騎士の鎧を着た亡霊、魔法使いのローブをまとった亡霊、獣人族の戦士の亡霊……千年の間にこの山で散った、無数の魂たち。


「これは……」


 カイゼルの声が聞こえた。私も同じ気持ちだった。亡霊の数は、私たちの倍以上はいるだろう。


「恐れるな! 所詮は過去の亡霊だ!」


 ユリウスが叫びながら聖剣を高く掲げた。黄金の光が剣から放たれ、周囲を照らす。


「光よ、我らに勝利を!」


 ユリウスの光魔法が、亡霊の一団を貫いた。しかし、消滅したはずの亡霊たちは、すぐに再生してくる。


「ちっ、キリがねぇ!」


 アルテミシアが戦斧を振るい、亡霊を薙ぎ払う。しかし、彼女の言う通り、倒しても倒しても亡霊は湧いてくる。


 その時、私は気づいた。亡霊の中に、見覚えのある顔があることに。


 ――まさか。


 白髪の老騎士の亡霊。その顔は、私にも見覚えがあった。


「祖父上……?」


 カイゼルの声が震えた。彼も気づいたのだ。それは、マグナス・ヴァルトハイムの亡霊だった。


 いや、正確には違う。ゼファーが作り出した、マグナスに似せた幻影。でも、その姿を見たカイゼルの動きが、一瞬止まってしまった。


「カイゼル、惑わされるな! それは偽物だ!」


 ユリウスが叫ぶ。しかし、その声も虚しく響いた。なぜなら、ユリウスの前にも、見覚えのある亡霊が現れたからだ。


 黒髪の美しい女性の亡霊――エレナ・ノワール。かつてユリウスを守って死んだ、暗殺者の姿をした幻影。


「エレナ……」


 ユリウスの剣が一瞬鈍った。


 ゼファーの高笑いが響く。


「どうだ? 愛する者の姿を切れるか? たとえ偽物と分かっていても、その姿を傷つけることができるか?」


 卑劣な戦法だった。でも、効果的でもあった。


 私たちの足が止まり、亡霊たちがじりじりと距離を詰めてくる。


「くそっ!」


 カイゼルが歯噛みした。彼は分かっている。目の前の亡霊が偽物だということを。でも、祖父の姿をした存在を切ることに、躊躇いがあるのだ。


 このままではまずい。私は逆響の力を解放しようとした。でも、母の形見のペンダントが、その力を抑え込んでいる。今はまだ、その時ではないと、ペンダントが告げているかのようだった。


 戦況は、徐々に悪化していく。


 激戦が続く中、ユリウスが決断を下した。


 彼は聖剣を振るい、エレナの亡霊を切り裂いた。黄金の光が亡霊を貫き、その姿が霧散していく。


「エレナ。君への冒涜を許してくれ」


 ユリウスの決意が、皆を奮い立たせた。


 カイゼルも覚悟を決め、祖父の亡霊に向かって剣を振るった。


「祖父がこんな姿で現れることはない!」


 双月剣が青い光を放ち、亡霊を両断する。


 アルテミシアと獣人族の戦士たちが、道を切り開いていく。ミラベルの支援魔法が、仲間たちの動きを加速させる。イザベラの的確な指示が、部隊を効率的に動かしていく。


 少しずつ、私たちは祭壇へと近づいていった。


 そして、ついに道が開けた。


 カイゼルが、一気に祭壇へと駆け上がる。


「ゼファー!!」


 カイゼルの叫びと共に、彼とゼファーの一騎打ちが始まった。


 双月剣と、ゼファーの闇の魔法が激突する。青い光と黒い光が交錯し、火花を散らす。


「小僧……我に剣を向けるか」

「俺の祖父を、俺の大切な人を傷つけた報いを受けろ!」

「報い? 笑わせるな。我は愛のために戦っているのだ!」

「それは愛じゃない、執着だ!」


 二人の信念が、激しくぶつかり合う。


 カイゼルは精霊族の血を覚醒させ、人間離れした速度で動き回る。しかし、ゼファーは千年の経験と、永遠花(とわはな)から吸収した莫大な魔力で、その全てを受け止めていく。


「貴様に何が分かる! 愛する者を失う痛みが分かるか!」


 ゼファーの叫びと共に、闇の槍が無数に生成される。


 カイゼルは必死にそれを避けるが、一本、また一本と、槍が彼の体をかすめていく。


「カイゼル!」


 私は叫んだ。でも、今の私には何もできない。逆響の力は封印されたまま。ただ見ているしかない。


 戦いは徐々にゼファーが優勢になっていく。千年を生きた古の精霊の力は、やはり圧倒的だった。


 そして、決定的な瞬間が訪れた。


 ゼファーの放った禁術が、カイゼルを捕らえた。黒い鎖が彼の体に巻き付き、動きを完全に封じる。


「終わりだ、小僧」


 ゼファーが、闇の槍を生成する。その切っ先を、カイゼルの喉元に向けた。


「くっ……」


 カイゼルが歯を食いしばる。彼は最後まで、ゼファーを睨み続けていた。


 槍が振り下ろされようとした、その瞬間――。


「やめて!」


 私は走っていた。考えるより先に、体が動いていた。


 カイゼルとゼファーの間に飛び込み、両手を広げる。


 私の体が、カイゼルを守る盾となって、ゼファーの前に立ちはだかった。


 時間が止まった。そんなふうに感じた。


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