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伯爵令嬢は公爵様の『錨』となる ~偽りの婚約から始まる、たまゆらに縛られない本当の愛~  作者: 藍沢 理
第7章 最後の双月

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第40話 王子の選択

 玉座の間の扉が、轟音と共に開け放たれた。


 ユリウスは聖剣ソラリスを手に、大理石の床を踏みしめながら前進した。その後ろには、生き残った騎士たちが続く。エレナの死から数時間。彼の瞳に宿る決意の光は、もはや揺らぐことはない。


 玉座にセレスティアが座っていた。黄金の杖を膝に置き、冷たい微笑を浮かべている。


「よく来たわね、ユリウス」

「これで終わりにしよう、セレスティア」

「終わり? 何を終わらせるつもり?」

「この血塗られた支配を」


 セレスティアが立ち上がった。響鳴者(ハーモニクス)の魔法が、彼女の周囲に光の紋様を描き出す。


「私はこの国を守っているのよ」

「違う。君は恐怖で民を縛っているだけだ」

「恐怖こそが秩序を生むの」

「それは間違っている」

「間違ってないわ」


 二人は玉座の間の中央で対峙した。兄妹の戦いが始まろうとしている。


 セレスティアが杖を振るった。響鳴の魔法が、無数の光の槍となってユリウスに襲いかかる。


 ユリウスはソラリスを構えた。黄金の刃が光の槍を次々と弾いていく。その動きは、エレナの仇を討つ決意に満ちていた。


 二人の力がぶつかり合い、玉座の間が震動した。柱に亀裂が走り、天井から石片が落ちてくる。


「なぜ分からないの!」


 セレスティアが叫ぶ。


「私は、あなたを王にしたかったのよ!」

「僕は王になりたくない」

「嘘よ!」

「本当だ。僕が望むのは、民が幸せに暮らせる国だ。そのために王になれというなら王になる。だが、それはただの通過点だ」


 ユリウスの剣と、セレスティアの魔法が激突した。二人は鍔迫り合いの距離まで接近する。


「セレスティアが求めているのは、血塗られた玉座なのか!」


 ユリウスの言葉に、セレスティアの瞳が揺れた。


「私は……私は……」

「妹よ、苦しいんだろ? 孤独で、不安で」

「黙れ!」

「もう終わりにしよう。一緒にこの国を立て直すんだ」


 セレスティアの魔法が乱れた。彼女の心の奥底にある、幼い頃の記憶が蘇る。ユリウスと手を繋いで、庭園を走り回った日々。まだ、たまゆらも王位継承も関係なかった、純粋だった頃。

 その一瞬の隙を、ユリウスは見逃さなかった。


 ソラリスの切っ先が、セレスティアの杖を弾き飛ばした。杖は床を転がり、遠くへ落ちていく。

 セレスティアは膝から崩れ落ちた。ユリウスは剣を彼女の喉元に突きつける。


「終わりだ」

「殺すの?」

「いや」


 ユリウスは剣を下ろした。


「セレスティア、君の罪は、法の下で裁かれるべきだ。そして、僕と共に償うんだ」


 セレスティアは顔を上げた。その瞳から涙が零れる。


「ユリウス……私は……」

「分かってる。お互いに、たまゆらという運命に縛られていた」

「でも、私のしたことは……」

「一緒に償えばいい。一生かけてでも」


 ユリウスは手を差し伸べた。セレスティアは震える手でその手を取る。


 その時、玉座の間の扉が再び開いた。


「王子殿下!」


 騎士の一人が駆け込んできた。


「連合軍が……種族連合軍が王都に到着しました!」



 王都の中央広場。

 私はカイゼルと共に、広場の入り口に立っていた。獣人族と精霊族の戦士たちが、整然と隊列を組んで進軍してくる。その光景は、歴史の教科書でも見たことがない、奇跡のような光景だった。


 広場の向こうから、一人の青年が歩いてきた。金茶色の髪が朝日に輝いている。ユリウスだ。


「リーナ! カイゼル!」


 ユリウスが駆け寄ってきた。カイゼルとユリウスが抱き合って再会を喜ぶ。


「しぶといな」

「まあね」


 ユリウスの表情には、深い悲しみの影が差していた。国王陛下が崩御したとは聞いている。友人も、仲間の騎士も亡くなったのだろう。でも今は、その傷に触れる時ではない。

 二人の会話が続く。


「セレスティアは?」

「投降した。今は大神殿に軟禁されている」

「そう……か」


 カイゼルが改めて口を開く。


「ユリウス、俺たちは双月峰に向かう。ゼファーを倒さなければ、世界が滅びる」

「分かっている」

「お前はどうする? 王都の復興もある」


 ユリウスは広場を見渡した。瓦礫の山と化した市街地。泣いている民衆。そして、希望を求める眼差し。


 広場の壇上に、臨時の演壇が設置されていた。ユリウスはそこに登り、民衆に向かって声を上げた。


「エステリア王国の民よ! 聞いてほしい」


 広場が静まり返った。


「私は王位を継承する資格を持っている。この国を統治することもできる」


 民衆がざわめいた。


「しかし、今は世界は危機に瀕している。ゼファーという強大な敵が、世の理を曲げ、全てを滅ぼそうとしている」


 ユリウスは私たちへ顔を向ける。


「私には、共に戦う友がいる。彼らと共に、この危機に立ち向かいたい」


 民衆の中から声が上がった。


「王子殿下、私たちを見捨てるんですか?」

「違う! 私は、世界を救うために戦う。それが、この国を守ることに繋がる」


 ユリウスは聖剣ソラリスを掲げた。


「私は王としてではなく、一人の戦士として、友と一緒に戦うことを選ぶ!」


 一瞬の静寂の後、まばらな拍手が起こった。それは次第に大きくなり、歓声へと変わっていく。


「王子様!」

「ユリウス様!」

「頑張って!」


 民衆の声援を背に、ユリウスは壇上から降りてきた。


「行こう、リーナ、カイゼル」

「ええ」

「ああ」


 私たちは王国軍と合流した。人間、精霊、獣人。三つの種族が一つの目的のために集結している。


 イザベラがときの声を上げる。


「全軍、出発じゃ! 双月峰を目指せ!」


 角笛が鳴り響いた。連合軍が動き出す。


 私は空を見上げた。蒼月と紅月が、不自然に近づいている。まだ昼だというのに、二つの月がはっきりと見える。


 双月の夜まで、あと三日。


 連合軍の進軍が始まった。千を超える戦士たちが、双月峰への道を進んでいく。その先頭を、私たちが歩いている。


 カイゼルが私の手を握った。


「怖いか?」

「……少し」

「俺もだ」


 ユリウスが振り返った。


「でも、一人じゃない。皆がいる」


 その通りだった。私たちは一人ではない。


 地平線の向こうに、双月峰の頂が見えている。雪を頂いた峰が、不吉な光を放っていた。


 突然、空が暗くなった。見上げると、蒼月と紅月が重なり始めていた。まだ三日あるはずなのに。


 ――まさか、ゼファーが何かした?


 私の不安を察したように、カイゼルが手を強く握った。


「大丈夫だ。必ず止める」


 でも、その声にも不安が混じっていた。


「よーし、全員並んでくれ! 順番に魔法陣に乗るんだ!」


 カイゼルが声を張る。


 彼の背後に見える双月が重なっていく。世界の終わりが始まろうとしていた。


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