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伯爵令嬢は公爵様の『錨』となる ~偽りの婚約から始まる、たまゆらに縛られない本当の愛~  作者: 藍沢 理
第7章 最後の双月

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第38話 同盟の誓い

 イザベラの瞳が大きく見開かれた。その表情には、驚愕と苦痛が浮かんでいた。


 私は紋章に触れたまま、さらに深く魂の記憶を辿った。断片的なビジョンが、次々と脳裏に流れ込んでくる。


 金茶色の髪の騎士。太陽のような笑顔。そして、若き日のイザベラと寄り添う姿。二人は深く愛し合っていた。しかし、種族の違いが二人を引き裂いた。騎士は王国に戻り、イザベラは獣人族の掟に従った。


「ソラリス・エステリア……」


 私は震える声で続けた。


「ユリウス王子の先祖。聖剣ソラリスの前の所有者。そして……あなたが愛した人」


 イザベラが息を呑んだ。その瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。


「どうして……どうしてそれを知っている」

「紋章に残された魂の記憶を読み取りました。私の逆響の力は、破壊だけでなく、魂の繋がりに触れることもできるんです」

「ソラリスは……」

「あなたを愛していました。最後まで」


 イザベラは崩れるように座り込んだ。威厳ある族長ではなく、一人の女性の顔が現れた。


「妾は……妾は彼を裏切った。種族の掟を選び、愛を捨てた」

「違います」

「何が違う!」

「あなたは娘を守るために、その選択をしたんでしょう?」


 イザベラが顔を上げた。その瞳に、驚きが宿っている。


「アルテミシアさんは、ソラリスさんとの子供……」

「違う! 彼女は妾の正式な夫との子じゃ」

「でも、ソラリスさんへの想いは消えなかった」

「……」


 私は紋章をそっとテーブルに置いた。


「イザベラ族長、私たちは過去の悲劇を繰り返したくないんです。種族の壁を超えて、手を取り合える未来を作りたい」

「綺麗事じゃ」

「そうですね。確かに綺麗事です。けれど『綺麗事』で片付けて、考えることを止めてしまえば、世界は滅びます。それを避けるために私たちは、あらゆる可能性を考えなければならない。人間とか精霊とか獣人とか、そんなちっぽけな事にこだわって滅んでしまえば、本末転倒じゃないでしょうか」


 イザベラは立ち上がった。その瞳に、新たな光が宿っていた。


「小娘、お前はやっぱり面白いな」

「……」

「逆響者でありながら、人を繋ごうとする。矛盾しておる」

「そうですね。この世界は矛盾だらけです。でも、だからこそ、新しい道が見えるんです」


 イザベラは深く息を吸い、そして吐き出した。


「分かった。ただ、中途半端は好かん。正式に同盟を結ぼう」

「本当ですか?」

「もちろん、条件がある」

「何でしょう?」

「戦いが終わった後、種族による差別のない世界を作ると誓え」

「……善処します」

「誓え」

「えっと、私は国王ではありません」

「なら国王になれ」

「えぇ……」


 イザベラはニヤリと笑みを浮かべ、テントの入り口に向かった。


「入ってきなさい」


 カイゼル、アルテミシア、ミラベルが恐る恐る入ってきた。カイゼルが私に駆け寄る。


「大丈夫か?」

「ええ、大丈夫」


 イザベラがカイゼルを見た。


「カイゼルよ、お前を見誤っていた。許せ」

「いえ、俺の方こそ……」

「お前は二つの血を持つ。それは呪いではなく、架け橋となる資格じゃ」


 その時、テントの外が騒がしくなった。


「族長! 精霊族の使者が!」


 一人の戦士が飛び込んできた。その後ろから、銀髪の精霊が姿を現す。透き通るような肌に、尖った耳。ミスティアの森の精霊族だった。


「私は、ミスティアの森の長老会より遣わされた者です」

「精霊族が、なぜここに?」

「カイゼル殿の『白銀の樫』を通じた呼びかけに応じて参りました」


 カイゼルが前に出る。


「ゼファーの脅威について、すでに説明したはずだ。その返事か」

「はい。長老会も、ゼファーの暴走を止めるべきと判断しました」

「穏健派が動いた、そういうことか」


 イザベラが精霊族の使者をじっと見つめる。


「おい、精霊族も、人間と手を組むというのか?」

「千年の対立を終わらせる時が来たのです」

「ふん、口では何とでも言える」


 精霊の使者が意を決したように口を開く。


「では、行動で示しましょう。我らは既に、ゼファーの居場所を特定しています」

「何じゃと?」

「双月峰。彼はそこで、最後の儀式の準備をしています」


 先を越された。

 イザベラを含めた五人に緊張が走る。

 双月峰――永遠花(とわはな)が咲くという伝説の地。


 イザベラが立ち上がった。


「よかろう。では、ここで誓おう」


 彼女は外に出た。私たちも後に続く。

 夜の広場に、焚き火が焚かれていた。獣人族の戦士たち、そして精霊族の使者たちが、火を囲んで集まっている。


 イザベラが中央に立った。


「聞け、我が同胞よ! 今宵、歴史が変わる」


 戦士たちがざわめいた。


「千年の対立を越え、我らは手を組む。人間、精霊、獣人。三つの種族が、一つの敵に立ち向かう」

「族長、それは……」

「黙って聞け!」


 イザベラの声が、澄んだ夜空に響き渡る。


 カイゼルが進み出る。人間と精霊の血を引く者として、彼が代表となるのだ。

 精霊族の使者も、イザベラも、焚き火を囲んで向き合った。


「我が牙は未来のために!」


 イザベラが吼えた。


「森の叡智は生命のために!」


 精霊の使者が応じた。


「我が剣は種族の垣根を越え、全ての民のために!」


 カイゼルが双月剣エクリプスを掲げた。


 三人が焚き火の上で、互いの手を固く握り合う。炎が一瞬、高く燃え上がった。祝福の証だろうか。


「種族連合軍、ここに結成!」


 歓声が上がった。歴史上初めて、三つの種族が公式に同盟を結んだ瞬間だった。


 しかし、その歓喜も長くは続かなかった。


 広場の端から一人の王国兵士が駆け込んできた。鎧はボロボロで、顔は血と泥にまみれている。


「申し上げます!」


 兵士は広場の中央に倒れ込んだ。


「王都が……王都が……」

「落ち着け、何があった?」


 カイゼルが兵士を支えた。


「ゼファーと名乗る精霊の魔法により、王都の一部が……壊滅!」


 広場が静まり返った。


「市街地の三分の一が、瓦礫と化しました。死者は数百……いや、千を超えるかもしれません」

「ユリウス王子は?」

「不明です。王宮も被害を受けました」


 血の気が引いた。最悪だ。ユリウスが、セレスティアが、オリバーが……王都に残る全ての人々が危機に晒されている。


「いつの話だ?」

「今朝です。私は状況を伝えるため、早馬を飛ばして参りました」


 イザベラが拳を握りしめた。


「ゼファーめ、山にいるんじゃなかったのか」

「警告のつもりでしょう」


 カイゼルの声にイザベラはしかめっ面をする。


「ちっ、なめた真似を」


 カイゼルが私へ顔を向けた。


「リーナ、急ごう。まだ間に合うかもしれない」

「でも、どうやって?」

「王都への攻撃は陽動だ。ゼファーの目的は『永遠花(とわはな)』に変わりない。連合軍で双月峰に向かう。――しかし」


 言葉を切って、カイゼルは周囲を見渡す。周りの人びとの目を一つずつ確認していく。


「王都を捨て置くわけにも行かない」

「どういう事だ?」


 イザベラの声にカイゼルは応じた。


「連合軍を二つに分ける。片方は双月峰。もう片方は王都。ゼファーは転移魔法を使っているはずだ。片方に戦力を集中させるわけにはいかない。居場所が確定次第、連合軍の片方が転移魔法で合流する。こちらが転移するための魔法陣は準備は出来るか?」


 精霊の使者が頷いた。


「もちろんです。我らも全力で支援します」

「獣人族も、全戦士を動員する」


 イザベラが宣言した。


 私は夜空を見上げた。蒼月と紅月が、不気味に輝いている。双月の夜まで、あと数日。時間との戦いでもある。


 同盟は結ばれた。しかし、王都の多くの命が失われた。ゼファーの力は圧倒的だ。それでも、私たちは進むしかない。


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