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伯爵令嬢は公爵様の『錨』となる ~偽りの婚約から始まる、たまゆらに縛られない本当の愛~  作者: 藍沢 理
第6章 謀反

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第34話 王の告白

 塔の最上階で、夜風が窓を揺らしていた。


 レオニード・エステリアは、石造りの床に横たわっていた。王の威厳など、もはやどこにもない。ただの老いた男が、薄汚れた服を纏って横たわっているだけだった。

 突然、扉の外から金属音が響いた。


 ――処刑の時が来たか。


 レオニードは瞼を閉じた。もはや抵抗する気力もない。

 扉が勢いよく開かれた。

 そこに立っていたのは、セレスティアの兵士ではなかった。


「父上!」


 ユリウスだった。数名の騎士を従え、剣を手に駆け寄ってくる。


「ユリウス……なぜ、ここに」

「お救いに参りました」

「馬鹿な……お前も捕まるぞ」

「もう、セレスティア派の見張りは制圧しました」


 忠誠派の騎士の一人が、レオニードを支え起こした。


「陛下、お怪我は」

「大事ない。しかし、なぜお前たちが」

「我々は、王に仕える者です」


 騎士たちの顔には、揺るぎない忠誠心が宿っていた。


 ユリウスがレオニードの肩を支えた。


「行きましょう、父上」

「どこへ」

「安全な場所へ。そして、反撃の準備を」

「反撃……か」


 レオニードは力なく首を横に振った。


「もう、わしには王の資格はない……」

「何を仰います」

「国を、娘に奪われた王など」

「いいえ、父上」


 ユリウスは父の目を真っ直ぐに見つめた。


「あなたは、私のただ一人の父。そして、この国の王です」



 隠し通路を進みながら、ユリウスは父の肩を支え続けた。


 狭い石造りの通路は、王宮建設時に作られた脱出路の一つだった。松明の光が、二人の影を壁に映し出している。


「ユリウス」


 レオニードが重い口を開いた。


「なぜ、わしを助けた」

「当然でしょう」

「わしは、お前を守れなかった。セレスティアの暴走も止められなかった」

「父上……」

「無能な王だ」


 足を止め、レオニードは壁に寄りかかった。その顔には、深い自己嫌悪が刻まれている。


「お前の母が生きていたら、きっと嘆いただろう」

「母上の話は……」

「美しく、聡明な女性だった」


 レオニードの瞳に、遠い記憶が蘇る。


「彼女と交わした約束があった。強く、正しい国を作ると」

「その約束は守ったじゃないですか」

「いや、守れなかった。現状を見れば一目瞭然だ」


 老王は苦笑した。


「それだけじゃない。実は、お前の母と結婚する前に……」


 言葉が途切れた。


「父上?」

「愛した女性がいた。平民の娘だった」

「……」

「でも、わしは王家の血筋を優先した。たまゆらを優先した」


 レオニードの声が震えた。


「彼女を切り捨てた。国のためという言い訳をして」

「父上は、国を思って」

「違う」


 レオニードは首を振った。


「私は、愛から逃げた臆病者だ」



 通路の途中で、レオニードは完全に立ち止まった。


 疲労が限界に達したのか、その場に座り込む。ユリウスも隣に腰を下ろした。


「父上、少し休みましょう」

「ユリウス、聞いてくれ」

「はい」

「わしは、ずっと後悔していた」


 レオニードの瞳から、涙が零れた。


「あの娘を捨てたこと。お前の母を、本当に愛せなかったこと」

「父上……」

「お前の母は、わしの心に他の女がいることを知っていた」

「母上が」

「それでも、わしを愛してくれた。国のために」


 嗚咽が漏れた。そこにいるのは、一人の弱い男だった。


「だから約束したんだ。せめて、強い国を作ると」

「でも、それも」

「守れなかった。セレスティアに全てを奪われた」

「それは違います」


 ユリウスは父の手を握った。


「父上は、最善を尽くそうとした」

「結果が全てだ」

「いいえ。父上は、苦しみながらも国を守ろうとした」

「ユリウス……」

「僕は知っています。父上がどれだけ悩み、苦しんできたか」


 レオニードは息子の顔を見つめた。そこには、母親譲りの優しさと、自分にはない強さがあった。


「お前は、わしのようになるな」

「父上」

「愛する者のために、命を懸けろ。国よりも、大切なものがある」



 隠し通路の出口が見えてきた。


 だが、その手前で足音が響いてきた。追手だ。


「見つかった」


 騎士の一人が剣を抜いた。


 前方から、セレスティア派の騎士団長が部下を引き連れて現れた。黒い甲冑が、松明の光を反射している。


「陛下、ここは我々が」

「いや」


 レオニードが前に出た。その瞳に、王としての最後の光が宿る。


「わしが行く」

「父上!」

「ユリウス、お前は逃げろ」

「一緒に戦います」

「違う」


 レオニードは振り返った。


「これが、父親としての最後の務めだ」

「父上……」

「行け、ユリウス!」


 レオニードが両手を広げた。王権魔法の光が、彼の全身から溢れ出す。


「お前は、わしのようにはなるな!」


 眩い光が通路を満たした。その光の中で、レオニードは最後の力を振り絞って叫ぶ。


「愛する者を守れ! 後悔のない人生を生きろ!」


 騎士たちがユリウスを扉の外へと押し出した。


「父上!」


 ユリウスの叫びも虚しく、扉が閉じられた。

 扉の向こうから、剣戟の音と魔法の爆発音が聞こえた。

 そして、静寂が訪れた。


「――父上」


 ユリウスは拳を握り締めた。エレナに続き、父までも失ってしまった。


 だが、立ち止まることはできない。二人の犠牲を無駄にしないためにも。


「殿下……こいつは誰です……?」


 騎士の声に振り返る。


「……」

「……エレナ? 生きていたのか!」


 驚きの声を上げるユリウス。無言で立ち尽くすエレナ。血まみれの姿だが、どうやら返り血のようだ。大きな怪我はない。


「王陛下を守れませんでした……」

「いや、いい。父王が崩御したのは私の責任だ。エレナが気にすることではない」

「王子殿下……そろそろ立ち去らないと」


 騎士の声にハッとなる。


「隠れ家は?」

「準備してあります」

「わかった。そこへ向かおう。エレナ、君も来るんだ」


 ユリウスの声にエレナは無言で頷いた。


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