第34話 王の告白
塔の最上階で、夜風が窓を揺らしていた。
レオニード・エステリアは、石造りの床に横たわっていた。王の威厳など、もはやどこにもない。ただの老いた男が、薄汚れた服を纏って横たわっているだけだった。
突然、扉の外から金属音が響いた。
――処刑の時が来たか。
レオニードは瞼を閉じた。もはや抵抗する気力もない。
扉が勢いよく開かれた。
そこに立っていたのは、セレスティアの兵士ではなかった。
「父上!」
ユリウスだった。数名の騎士を従え、剣を手に駆け寄ってくる。
「ユリウス……なぜ、ここに」
「お救いに参りました」
「馬鹿な……お前も捕まるぞ」
「もう、セレスティア派の見張りは制圧しました」
忠誠派の騎士の一人が、レオニードを支え起こした。
「陛下、お怪我は」
「大事ない。しかし、なぜお前たちが」
「我々は、王に仕える者です」
騎士たちの顔には、揺るぎない忠誠心が宿っていた。
ユリウスがレオニードの肩を支えた。
「行きましょう、父上」
「どこへ」
「安全な場所へ。そして、反撃の準備を」
「反撃……か」
レオニードは力なく首を横に振った。
「もう、わしには王の資格はない……」
「何を仰います」
「国を、娘に奪われた王など」
「いいえ、父上」
ユリウスは父の目を真っ直ぐに見つめた。
「あなたは、私のただ一人の父。そして、この国の王です」
*
隠し通路を進みながら、ユリウスは父の肩を支え続けた。
狭い石造りの通路は、王宮建設時に作られた脱出路の一つだった。松明の光が、二人の影を壁に映し出している。
「ユリウス」
レオニードが重い口を開いた。
「なぜ、わしを助けた」
「当然でしょう」
「わしは、お前を守れなかった。セレスティアの暴走も止められなかった」
「父上……」
「無能な王だ」
足を止め、レオニードは壁に寄りかかった。その顔には、深い自己嫌悪が刻まれている。
「お前の母が生きていたら、きっと嘆いただろう」
「母上の話は……」
「美しく、聡明な女性だった」
レオニードの瞳に、遠い記憶が蘇る。
「彼女と交わした約束があった。強く、正しい国を作ると」
「その約束は守ったじゃないですか」
「いや、守れなかった。現状を見れば一目瞭然だ」
老王は苦笑した。
「それだけじゃない。実は、お前の母と結婚する前に……」
言葉が途切れた。
「父上?」
「愛した女性がいた。平民の娘だった」
「……」
「でも、わしは王家の血筋を優先した。たまゆらを優先した」
レオニードの声が震えた。
「彼女を切り捨てた。国のためという言い訳をして」
「父上は、国を思って」
「違う」
レオニードは首を振った。
「私は、愛から逃げた臆病者だ」
*
通路の途中で、レオニードは完全に立ち止まった。
疲労が限界に達したのか、その場に座り込む。ユリウスも隣に腰を下ろした。
「父上、少し休みましょう」
「ユリウス、聞いてくれ」
「はい」
「わしは、ずっと後悔していた」
レオニードの瞳から、涙が零れた。
「あの娘を捨てたこと。お前の母を、本当に愛せなかったこと」
「父上……」
「お前の母は、わしの心に他の女がいることを知っていた」
「母上が」
「それでも、わしを愛してくれた。国のために」
嗚咽が漏れた。そこにいるのは、一人の弱い男だった。
「だから約束したんだ。せめて、強い国を作ると」
「でも、それも」
「守れなかった。セレスティアに全てを奪われた」
「それは違います」
ユリウスは父の手を握った。
「父上は、最善を尽くそうとした」
「結果が全てだ」
「いいえ。父上は、苦しみながらも国を守ろうとした」
「ユリウス……」
「僕は知っています。父上がどれだけ悩み、苦しんできたか」
レオニードは息子の顔を見つめた。そこには、母親譲りの優しさと、自分にはない強さがあった。
「お前は、わしのようになるな」
「父上」
「愛する者のために、命を懸けろ。国よりも、大切なものがある」
*
隠し通路の出口が見えてきた。
だが、その手前で足音が響いてきた。追手だ。
「見つかった」
騎士の一人が剣を抜いた。
前方から、セレスティア派の騎士団長が部下を引き連れて現れた。黒い甲冑が、松明の光を反射している。
「陛下、ここは我々が」
「いや」
レオニードが前に出た。その瞳に、王としての最後の光が宿る。
「わしが行く」
「父上!」
「ユリウス、お前は逃げろ」
「一緒に戦います」
「違う」
レオニードは振り返った。
「これが、父親としての最後の務めだ」
「父上……」
「行け、ユリウス!」
レオニードが両手を広げた。王権魔法の光が、彼の全身から溢れ出す。
「お前は、わしのようにはなるな!」
眩い光が通路を満たした。その光の中で、レオニードは最後の力を振り絞って叫ぶ。
「愛する者を守れ! 後悔のない人生を生きろ!」
騎士たちがユリウスを扉の外へと押し出した。
「父上!」
ユリウスの叫びも虚しく、扉が閉じられた。
扉の向こうから、剣戟の音と魔法の爆発音が聞こえた。
そして、静寂が訪れた。
「――父上」
ユリウスは拳を握り締めた。エレナに続き、父までも失ってしまった。
だが、立ち止まることはできない。二人の犠牲を無駄にしないためにも。
「殿下……こいつは誰です……?」
騎士の声に振り返る。
「……」
「……エレナ? 生きていたのか!」
驚きの声を上げるユリウス。無言で立ち尽くすエレナ。血まみれの姿だが、どうやら返り血のようだ。大きな怪我はない。
「王陛下を守れませんでした……」
「いや、いい。父王が崩御したのは私の責任だ。エレナが気にすることではない」
「王子殿下……そろそろ立ち去らないと」
騎士の声にハッとなる。
「隠れ家は?」
「準備してあります」
「わかった。そこへ向かおう。エレナ、君も来るんだ」
ユリウスの声にエレナは無言で頷いた。




