表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
伯爵令嬢は公爵様の『錨』となる ~偽りの婚約から始まる、たまゆらに縛られない本当の愛~  作者: 藍沢 理
第6章 謀反

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/46

第32話 歪んだ執着

 王宮の一室に、午後の陽光が斜めに差し込んでいた。


 セレスティアは長椅子に優雅に腰を下ろし、目の前に跪く青年を値踏みするような視線で見下ろしていた。黒髪に赤いメッシュを入れた派手な風貌のルシウス・ダークホルムは、恭しく頭を垂れている。


 ――この男の欲望は、実に分かりやすい。


 セレスティアは内心で嘲笑しながら、優雅に微笑んだ。


「ルシウス・ダークホルム」

「はい、セレスティア様」

「貴方が欲しがっていた玩具」


 彼女は意図的に間を置いた。


「捕まえる手伝いをさせてあげますわ」


 ルシウスの肩が、微かに震えた。顔を上げた彼の赤い瞳には、抑えきれない欲望の炎が燃えている。


「よろしいのでしょうか」

「ええ。リーナ・アスティスは国家反逆罪の罪人。捕縛は当然のこと」

「ありがとうございます」


 彼は深々と頭を下げた。その唇には、歪んだ喜びの笑みが浮かんでいる。


「ただし」


 セレスティアが釘を刺した。


「生きたまま連れてくることが条件です。死なせてはなりません」

「承知しております」

「本当に分かっていますの?」


 彼女の声が冷たくなった。


「貴方の粗暴な力では、彼女を壊してしまう可能性がある」

「ご心配なく。私は、自分の玩具を大切に扱います」

「玩具、ね」


 セレスティアは立ち上がった。窓際へと歩きながら、振り返ることなく告げる。


「彼女は今、王都近郊の森を通って双月峰へ向かっているはず」

「分かりました」

「兵を二十名、貴方に預けます」

「御意」


 ルシウスが立ち上がった。その顔には、獰猛な笑みが広がっている。


「必ず、捕まえてご覧に入れます」

「期待していますわ」


 扉へ向かうルシウスの背中を見送りながら、セレスティアは小さく呟いた。


「せいぜい、役に立ってもらいましょう」



 二日後。王都近郊の森は、初夏の緑に包まれていた。シルヴァンたち精霊族は、別の道を進んでいる。できるだけ追っ手の目を誤魔化すために。


 私たちは双月峰への道を急いでいた。カイゼルが先頭を歩き、私が続く。その後ろにアルテミシアとミラベルが並んで歩いていた。彼女たち二人は、ヴァルトハイム公爵邸の惨状から推測し、王都を脱出。足跡とアルテミシアの鼻で、私たちに辿り着いた。


 彼女ら二人の姿を見つけたとき「友人とはいえ、そこまでしなくても」と言ったら、烈火のごとく叱られた。友人のいなかった私、これは言い訳にならない。ただただ、相手をおもんぱかる考えが足りなかったと恥じた。


 マグナスの死から二日。悲しみはまだ心に重くのしかかっているけれど、立ち止まっている時間はない。ゼファーより先に到着しなければならないからだ。


「リーナ、大丈夫か?」

「うん、平気」


 振り返ったカイゼルに、私は微笑んでみせた。


 ――本当は不安で仕方ない。


 逆響の力を完全に制御できるようになったとはいえ、これから起こることへの恐怖は消えない。


「待て」


 アルテミシアが低い声で警告した。狼の耳がぴくりと動く。


「囲まれてる」

「敵か?」


 カイゼルが剣に手をかけた。


 次の瞬間、木々の間から黒い甲冑を着た兵士たちが現れた。二十名ほどの兵が、私たちを完全に包囲していた。

 その中央から一人の青年が姿を現した。


「見つけたぞ」


 ルシウス・ダークホルム。黒と赤の派手な衣装に身を包み、血のような赤い瞳で私を見つめている。


「俺のリーナ!」

「あんたの物じゃない」

「今度こそ、お前を俺だけのものにしてやる!」


 彼の手に握られた赤い響晶石が、禍々しい光を放ち始めた。たまゆらを無理やり増幅させる、危険な代物だ。


「下がってろ、リーナ」


 カイゼルが前に出た。双月剣エクリプスを抜き放つ。


「こいつらは俺たちが」

「いや」


 私は首を横に振った。


「ルシウスは、私が相手をする」

「リーナ?」

「大丈夫。もう、逃げない」


 紫水晶のペンダントが、温かく脈動した。


「来なさい、ルシウス」

「いい度胸だ!」


 彼が響晶石の力を解放した。たまゆらの波動が、濁流のように押し寄せてきた。



 カイゼルたちが兵士と激しく斬り結ぶ中、私とルシウスは森の開けた場所で対峙していた。


 彼の放つ強制たまゆらの力は、確かに強大だった。普通の人間なら、瞬時に魂脈を支配されてしまうだろう。


 でも――。


「なぜだ!」


 ルシウスが苛立ちを露わにした。


「なぜ俺様の力が効かない!」

「あなたの力は偽物だから」


 私は逆響の力を、そっと解放する。


「借り物の力で、人の心は掴めない」

「黙れ! 力こそが全てだ!」


 彼は響晶石の出力を最大まで上げた。赤い光が爆発的に膨れ上がる。


 ――今だ。


 母の教えを思い出す。逆響は破壊の力じゃない。魂と魂を繋ぐ、もう一つの形。


 私は手を伸ばし、ルシウスの魂脈を直接「掴んだ」。


「!?」


 彼の動きが止まった。赤い瞳が大きく見開かれる。


「何を……」

「聞こえる」


 私は彼の魂の音に耳を傾けた。


「あなたの音は、とても悲しいのね」


 そこにあったのは、深い孤独だった。誰にも認められず、愛されず、ただ力だけを求め続けた魂の叫び。


「やめろ……」

「本当は、ただ誰かに認めてもらいたかっただけ」

「違う! 俺様は――」

「力じゃなくて、あなた自身を見てほしかった」


 ルシウスの顔が歪んだ。苦痛とも、悲しみともつかない表情。


「うるさい! うるさい!」


 彼は響晶石にさらなる力を注ぎ込んだ。限界を超えた魔力が、彼の魂を内側から蝕み始める。


「やめて! そんなことしたら――」

「黙れええええ!」


 赤い光が、臨界点を超えた。


 ルシウスの魂は、増幅された力の重みに耐えきれなくなっていた。私の逆響の力と、響晶石の暴走が共鳴し、彼の存在そのものが崩壊し始める。


「あ……ああ……」


 彼の体から、光の粒子が剥がれ落ちていく。響晶石にひびが入り、赤い破片が砕け散った。


「ルシウス!」


 私は慌てて逆響の力を引こうとした。でも、もう遅かった。一度始まった崩壊は、止めることができない。

 彼の顔から、狂気が消えていく。代わりに現れたのは、驚くほど穏やかな表情だった。


「そうか……」


 ルシウスは小さく呟いた。消えゆく体で、ゆっくりと私を見る。


「これが……本当の……」


 言葉は最後まで紡がれなかった。

 彼の体は完全に光となって散り、風に運ばれて消えていった。後には、砕けた響晶石の欠片だけが残された。


 私はその場に膝をついた。


 ――私が、殺した。


 初めて、自分の力で人を殺した。たとえ相手が敵だったとしても、この手で命を奪ったという事実が、重く心にのしかかる。


「リーナ!」


 カイゼルが駆け寄ってきた。兵士たちは、主を失って撤退していく。


「大丈夫か?」

「私……私がルシウスを……」

「仕方なかった」


 カイゼルは私を抱き締めた。


「お前は悪くない」

「でも……」

「あいつは自滅したんだ。力に溺れて」


 アルテミシアとミラベルも近づいてきた。二人とも、心配そうな顔で私を見ている。


「リーナ」


 ミラベルが優しく声をかけた。


「あなたは、彼を救おうとした。それだけで十分よ」

「そうだぜ」


 アルテミシアも頷いた。


「あんたは最後まで、あいつの心に寄り添おうとしてた」


 仲間たちの言葉が、少しだけ心を軽くしてくれた。でも、この重さは簡単には消えない。


 私は立ち上がって、砕けた響晶石(きょうしょうせき)の欠片を拾った。


 ――これが、力を求めた者の末路。


 ルシウスの最期の表情が、脳裏に焼き付いて離れない。あの穏やかな顔は、何を悟ったのだろう。いったい何を見つけたのだろう。


 答えはもう永遠に分からない。


 私たちは再び歩き始めた。双月峰への道は、まだ遠い。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ