第31話 響鳴者の驕り
王宮の玉座の間に、重苦しい沈黙が満ちていた。
朝の光が、色とりどりのステンドグラスを通して床に虹色の模様を描いている。その美しさとは対照的に、広間に集まった者たちの表情は一様に暗い。玉座に座るレオニード国王の顔には、深い疲労の色が刻まれていた。
ユリウス・エステリアは、父の右側に立ちながら、重臣たちの顔を見渡した。誰もが、昨夜もたらされた報告に動揺を隠せずにいた。
マグナス・ヴァルトハイム公爵の死。
嫡男カイゼルの反逆。
王国の礎を成す名門貴族の崩壊は、国全体を揺るがす大事件となった。
――カイゼルが、本当にマグナス卿を……。
親友の無実を信じたいユリウスの心と、王子としての立場が激しく葛藤する。
「陛下」
左側に立つセレスティア・ルミナスの声が、静寂を破った。金髪を複雑に結い上げた王女は、エメラルドグリーンの瞳に冷たい光を宿している。
「反逆者カイゼル・ヴァルトハイムの追討について、御決断を」
「まだ真相は明らかになっていない」
ユリウスが口を開いた。
「カイゼルが祖父を手にかけたという証拠は、まだ――」
「証拠?」
「ヴァルトハイム領の騎士たちが、現場を目撃したという報告が上がっています」
「しかし、それも状況証拠に過ぎない。捕縛に留め、真実が明らかになるまで――」
「甘いですわね、兄上」
セレスティアの声には、明らかな嘲笑が含まれていた。
「反逆者に情けは無用です。即刻、討伐隊を」
「私は、まだ彼の言い分を聞いていない」
「言い分など聞く必要がありますの? 祖父殺しの大罪人に」
「だからこそ、慎重に――」
「静まれ」
レオニードの重い声が、姉弟の言い争いを制した。玉座から立ち上がった国王は、疲れた足取りで窓際へと歩いていく。
「……今は、判断を下す時ではない」
「父上!」
セレスティアが声を上げた。
「このような優柔不断が、国を危うくするのです」
「セレスティア、言葉を慎め」
「いいえ、申し上げます。たまゆらの秩序を乱す者たちを放置すれば、この国は崩壊します」
重臣たちがざわめき始めた。その多くが、セレスティアの言葉に頷いている。大神殿との繋がりが深い者たちは、特に彼女の主張に賛同的だった。
「明日までに考える。退出してよい」
レオニードは振り返ることなく、そう告げた。
重臣たちが一礼して退室していく。ユリウスも父に一礼し、重い足取りで玉座の間を後にした。
残されたセレスティアは、父の背中を見つめながら、唇に冷たい笑みを浮かべた。
*
王の私室は、歴代の王たちが使用してきた重厚な調度品で飾られていた。
レオニードは窓際に立ち、眼下に広がる王都を見下ろしている。その背中は、王という重責に押し潰されそうなほど小さく見えた。
「父上」
ノックのあと、セレスティアが部屋に入ってきた。扉を閉めると、彼女は部屋の中央で立ち止まった。
「お話があります」
「……聞こう」
「父上は、この国を愛しておいでですか?」
唐突な問いに、レオニードは振り返った。
「当然だ」
「では、なぜ決断なさらないのです?」
「決断とは?」
「反逆者の討伐です。そして、無響者や逆響者といった、秩序を乱す者たちの排除です」
セレスティアは父王に近づく。
「父上のその甘さが、国を滅ぼすのです」
「甘さ、か」
「ユリウス兄様もそうです。感情に流され、正しい判断ができていない」
「正しい判断とは何だ、セレスティア」
「たまゆらによる完璧な秩序の確立です」
彼女の声に熱がこもった。
「神が与えしたまゆらこそが、人の価値を決める絶対の指標。それを否定する者は、全て排除すべきです」
「極端すぎる」
「極端? いいえ、これが真実です」
セレスティアの瞳が、異様な光を帯び始めた。
「わたくしは響鳴者。複数の魂脈を操ることができる、選ばれし者です」
「それがどうした」
「わたくしならば、この国を正しく導けます。迷いなく、躊躇なく」
レオニードの表情が険しくなった。
「何を言っている」
「父上は、もうお疲れでしょう?」
セレスティアは優しげな声音を作った。
「わたくしならば、迷わず反逆の芽を摘み取ります。たまゆらの秩序を完璧に守り抜きます」
「セレスティア、お前は――」
「父上、もう、お休みになられてはいかがですか?」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
王の部屋の扉が音もなく開かれた。
大神殿の最高位である大神官が、数名の神官を従えて入室してくる。白と金の豪華な法衣を纏った老人は、セレスティアの前まで進むと、深々と跪いた。
「セレスティア様」
「大神官」
「我々は、貴女様を新たな導き手として支持いたします」
レオニードが愕然とした表情で振り返った。
「これは、どういうことだ」
「陛下」
大神官が顔を上げた。その瞳には、冷たい決意が宿っている。
「たまゆらの秩序を守るため、我々は決断いたしました」
「貴様ら、謀反か!」
「謀反ではございません。正しき道への回帰です」
窓が次々と開かれ、近衛騎士たちが侵入してきた。その全員が、セレスティアに忠誠を誓う者たちだった。彼らは素早くレオニードを取り囲む。
「セレスティア! これが、お前の答えか!」
レオニードが叫んだ。
「申し訳ございません、父上。でも、これが最善なのです」
セレスティアの声は氷のように冷たかった。
「私は王だ! 分かっているのか!」
「ええ、そうですわね」
彼女は優雅に微笑む。
「ですから、形だけは残して差し上げます。父上は病に倒れ、わたくしが摂政として政務を代行する。それでよろしいでしょう?」
「断る!」
「残念ですが、もう決まったことです」
騎士たちがレオニードの両腕を掴んだ。老いた王は抵抗したが、若い騎士たちの力には敵わない。
「離せ! 余は王だ!」
「いいえ」
セレスティアが歩み寄った。
「もう、違います」
絶望がレオニードの瞳を満たした。王の威厳が崩れ落ち、急に老いた顔が現れる。
「なぜだ……なぜ、こんなことを……」
「国のためです、父上」
セレスティアは父の頬に手を添えた。
「わたくしが、この国を救います。たまゆらの真の力で」
*
正午の鐘が鳴り響く中、玉座の間は異様な緊張に包まれていた。
玉座に座るのは、レオニードではなくセレスティアだった。金の装飾が施された王座に、優雅に身を預ける彼女の姿は、まさに女王そのものだった。
その下には、騎士に両腕を拘束されたレオニードと、同じく拘束されたユリウスが立たされている。広間に集められた重臣たちは、恐怖で顔を青ざめさせながら平伏していた。
「皆の者……父上は、過労により倒れられました」
セレスティアの声が響き渡った。
「セレスティア! じゃあここに拘束されてる王陛下はどういう事だ!! お前正気か!!」
ユリウスが叫んだ。
「黙りなさい、ユリウス。これより、この国の法はわたくしです」
彼女の声は剃刀のように鋭く、それを聞いた重臣たちが震え上がった。誰一人として、反論する者はいない。大神殿の武力を背景にしたクーデターに、抵抗する術を持たなかった。
「さて」
セレスティアは立ち上がった。
「摂政として、最初の命を下します」
広間が静まり返った。
「逆響者リーナ・アスティス」
その名前が告げられた瞬間、ユリウスの顔が青ざめた。
「彼女は、たまゆらの秩序を根底から破壊する魔女です」
「違う! リーナは――」
「黙れ」
セレスティアの瞳が、冷たくユリウスを見下ろした。
「リーナ・アスティスを、国家反逆罪により」
彼女は一呼吸置いた。
「火刑に処す」
ユリウスの絶叫が、玉座の間に響き渡った。レオニードは力なく項垂れ、重臣たちは恐怖に震えながら沈黙を守った。
セレスティアは満足げに微笑んだ。響鳴者の力が、彼女の全身から溢れ出している。複数の魂脈が共鳴し、不協和音を奏でながら、新たな秩序の到来を告げていた。
――これが、わたくしの正義。
王都に、暗い影が落ち始めていた。




