第25話 選んだ愛
目を開けると、見慣れた天井があった。
アスティス家の私の部屋。今までのは夢?
「気がついたか」
カイゼルの声がした。ベッドの横に座っていた。その顔には安堵の色が浮かんでいた。
「私……」
「暴走した力を、なんとか鎮めた。そのあとアスティス家にお前を運んできた」
「お父様は?」
「……騎士団に引き渡した。葬儀の準備をしている」
現実だった。悪夢ではなかった。それなら、今は悲しんでいる時間はない。
私は起き上がった。手の中に、父が遺した鍵がまだ握られている。
「カイゼル、一緒に来て」
「どこへ?」
「母の部屋とは別に、隠し部屋があるの」
二人で廊下を歩き、長く閉ざされていた隠し部屋へ向かった。埃っぽい空気の中、突き当たりの壁を観察する。幼少の頃から、この壁だけがおかしいと感じていた。壁の右下に小さな鍵穴を見つけた。そこに父の鍵を差し込んだ。
重い音を立てて、扉が開いた。
中には、古い書物と手紙が山のように積まれていた。その一番上に、母の筆跡で書かれた手紙があった。
『愛する娘へ』
震える手で封を開ける。そこには、逆響の力についての詳細な研究記録があった。目を引いたのは締めの一文。
『永遠花を、ゼファー・ノクティスに渡してはならない。世界が、愛という狂気に飲み込まれる』
カイゼルがすうっと息を吸い込む。
「そのゼファーってやつ、本気でまずそうだな。俺も手伝わせてくれないか?」
「でもカイゼル……あなたは今」
「関係ない。そんなことより大事なことがある。……だろ? ただ、状況をもっと詳しく知りたい。差し支えなければその手紙、見せてくれないか」
これ以上彼を巻き込みたくない。精霊族の血がバレて、ただでさえ大変な状況なのに。それに彼は軟禁されていたはず。つまり抜け出してきているという事になる。
「さっさと見せろ」
私は渋々頷いた。母の手紙を彼に見せた。永遠花のこと、ゼファーの狂気のこと、そして世界に迫る危機のこと。全てを、包み隠さず話した。
カイゼルは最後まで聞いてから、口を開いた。
「お前一人が背負う問題じゃない」
「でも、逆響の力を持つのは私だけで」
「違う。これは俺の血の因縁でもある」
彼の金色の瞳が、一瞬だけ青く光った。精霊の血の証。
「ゼファーは精霊族だ。そして俺も、その血を引いている。これは俺の戦いでもあるんだ」
カイゼルが机を回り込んで、私の前に立った。いつもより近い。その距離に心臓が早鐘を打つ。
「それに、もう一つ理由がある」
彼の手が、そっと私の手を包んだ。温かい。震えていた私の手を優しく握ってくれる。
「もう契約のためじゃない。偽りの婚約でもない」
「カイゼル……」
「お前を守りたい。お前と一緒にいたい。それが俺の本当の気持ちだ」
息が止まりそうだった。
初めて会ったあと、契約のために偽りの関係を演じた。でも、いつの間にか、それは本物になっていた。
「お前はどうだ?」
「私も……」
声が震えた。でも、言わなければ。今この瞬間に。
「私も、あなたと一緒に行きたい。あなたと一緒なら、どんな運命にも立ち向かえる気がする」
カイゼルの瞳が、優しく細められた。
「たまゆらじゃない。運命でもない。俺たちは、自分の意志で選んだんだ」
「ええ。私たちが、選んだの」
手を握り合ったまま、見つめ合った。言葉はもう要らなかった。
静寂を破ったのは、窓を叩く音だった。
振り返ると、一羽の伝令鳥が必死に窓ガラスを突いている。足には小さな手紙が結ばれていた。
カイゼルが窓を開けると、飛び込んできた。羽根が乱れ、息も絶え絶え。かなり急いで飛んできたのだろう。
伝令鳥を落ち着かせ、カイゼルが手紙を抜き取る。
覗き込むと、急いで書いたであろう乱れた文字が並んでいた。カイゼルの祖父、マグナスの筆跡だ。
「何て書いてあるの?」
「『騎士団が動いた。至急戻れ』と」
「え?」
「この一文だけだ。余計な情報はない。つまり、それだけ切羽詰まっているという事だ」
カイゼルが素早く立ち上がった。
「俺は軟禁されていたのを抜け出してきている。アスティス家にいること自体、まずい状況だしな。準備をしよう。最小限の荷物だけ持って」
「わかった」
私は母の研究記録を胸に抱いた。これだけは、絶対に持っていかなければ。




