第21話 表沙汰になった精霊の血
朝の光が、王宮の太陽の闘技場を黄金に染めていた。
決闘の日がついに来た。
円形の闘技場を囲む石造りの観客席は、期日が前倒しになったにもかかわらず、すでに貴族たちで埋め尽くされていた。ざわめきが波のように広がっては消え、また新たな波となって押し寄せる。誰もが今日の決闘の意味を理解していた。王太子と公爵家嫡男、名門二人の威信を懸けた戦い。そして私――リーナ・アスティスを巡る争い。私の意思はそこに存在しない。気持ちが悪い。吐きそうになる。くだらない。何でこんな事を。思考がまとまらない。
大きく深呼吸して、貴賓席から闘技場を見下ろす。中央でカイゼルとユリウスが向かい合って立っていた。二人とも正装の上に軽い鎧を身に着け、腰に剣を下げている。風が吹き抜け、カイゼルの黒髪がわずかに揺れた。
祈る。手を組み合わせて祈る。カイゼル。無事でいて。生きて帰ってきて。
隣では、セレスティアが勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。彼女にとって、この決闘はユリウスを私から引き離す絶好の機会なのだ。それはつまり、彼女もカイゼルの勝ちを望んでいるということ。もう勝手にして、と思いかけて、危ない考えだと思いとどまる。私が何もしなければ、セレスティアは先日のように汚い手を使って来る。
ところが――。
「えっ」
セレスティアの顔色が変わった。彼女の視線はユリウスの腰に差した剣を見つめていた。
「聖剣ソラリス……」
彼女がボソリとつぶやいた。
聞いたことがある。王家に伝わる聖剣ソラリス。闇を祓い光をもたらすと言われている国宝。ユリウスは本気だ。
国王レオニードが立ち上がった。威厳に満ちた声が、闘技場全体に響き渡る。
「余は、ここに王家の決闘の開始を宣言する。カイゼル・ヴァルトハイム、ユリウス・エステリア。両名は己の名誉と信念を懸け、正々堂々と戦うがよい」
二人は同時に剣を抜いた。朝日を反射して刃が眩い光を放つ。
カイゼルが踏み出す。ユリウスも応じるように前に出た。
そして――激しい金属音が闘技場に響いた。二人の剣が火花を散らしながらぶつかり合う。観客席から感嘆の声が上がった。
*
剣戟の音が絶え間なく響き続ける。二人は闘技場を縦横に駆け回りながら、激しく剣を交えていた。どちらも一歩も引かない。まさに互角の戦い。
しかし、よく見れば分かる。これは単なる技術の競い合いではない。二人の間には、言葉にならない何かが渦巻いている。
「なぜだ、カイゼル!」
「何がだ」
「なぜ彼女なんだ! お前には他にいくらでも――」
「違う。俺が選んだんじゃない。彼女が俺を選んでくれた」
「詭弁だ!」
「詭弁じゃない。運命に縛られず、自分の意志で立つ強さが彼女にはある!」
ユリウスの剣筋が鋭さを増した。聖剣ソラリスが、微かに光を帯び始める。
「お前に彼女の何が分かる」
「分かるさ。俺も、お前も、この世界の理に縛られている。だが彼女は違う」
「だからといって――」
「お前こそ分かっているはずだ、ユリウス。セレスティアとのたまゆらに、本当に満足しているのか」
その言葉に、ユリウスの動きが一瞬止まった。カイゼルはその隙を突かず、距離を取る。
二人の間に、重い沈黙が流れた。
*
観客席から鋭い視線を飛ばす老貴族。カイゼルの祖父、マグナスがわずかに眉をひそめた。カイゼルの双月剣エクリプスに、一瞬だけ青い燐光が走ったからだ。
*
私は異変に気づいた。カイゼルの動きが少しずつ変わってきている。人間離れした、何か別のものに。
ユリウスが深く息を吸った。聖剣ソラリスが、強い光を放ち始める。
「もう、言葉は要らない」
彼の全身から、凄まじい魔力が立ち昇った。光の粒子が舞い上がり、太陽そのものを思わせる輝きが闘技場を包む。
観客席から驚きの声が上がる。これは――聖剣の最大解放。
「王家秘伝、聖光剣技――」
ユリウスが剣を天に掲げた。光の奔流が、カイゼルに向かって解き放たれる。
逃げ場はない。避けることも、防ぐことも不可能な一撃。
――カイゼル!
私は思わず立ち上がった。
その瞬間だった。
カイゼルの瞳が、鮮やかな青色に染まった。
彼の姿が、光の中で一瞬消える。いや、消えたのではない。人間の目では追えないほどの速度で動いたのだ。
次の瞬間、カイゼルはユリウスの背後にいた。
剣を振り下ろす。ユリウスが振り返ろうとするが、間に合わない。
鈍い音と共に、ユリウスが前のめりに倒れた。カイゼルは、峰打ちで彼の首筋を打ったのだ。
闘技場が、静寂に包まれた。
カイゼルが振り返る。瞳は青く輝いていた。精霊族特有の蒼い月のような瞳。
観客席がざわめき始める。恐怖と困惑の声が、波のように広がっていく。
カイゼルは、倒れたユリウスの首筋に剣を突きつけていた。勝負は決した。しかし、誰も歓声を上げない。みんな彼の青い瞳に釘付けになっていた。
国王レオニードが、蒼白な顔で立ち上がった。
「カイゼル・ヴァルトハイム。貴様……何者だ……」
その声は、明らかに震えていた。恐怖と、怒りが入り混じった声。
カイゼルは答えない。ただ絶望的な表情で、その場に立ち尽くしている。隠し続けてきた秘密が最悪の形で暴かれてしまったと言わんばかりに。
精霊族の血。千年前の「沈黙の悲劇」以来、最大の禁忌とされてきた混血。それがカイゼル・ヴァルトハイムの正体。
観客席が騒然となる。悲鳴を上げる者、逃げ出そうとする者、ただ呆然と立ち尽くす者。恐怖が疫病のように広がっていく。
私は貴賓席からカイゼルを見つめた。何もできない。私には何もできなかった。彼の瞳に宿る絶望が、胸を締め付ける。
その時だった。
観客席の影で、誰かが満足げに微笑んでいた。銀白色の髪を持つ、美しい男。紅い瞳が、妖しく光る。
――見つけた。我が同胞の血を引く、迷い子よ。
その唇が、音もなく動いた。
男の姿は、最初からそこに存在しなかったかのように消えた。
太陽の闘技場に、不穏な風が吹き抜けていった。




