第20話 決闘前夜
王宮の古い訓練場は、月光に照らされて静寂に包まれていた。ユリウスは、その中央に立ってカイゼルを待っていた。
石造りの壁には、かつての剣の傷跡が無数に刻まれている。少年時代、カイゼルと共に汗を流した場所。今は使われなくなったこの場所を、ユリウスは意図的に選んだ。
誰にも邪魔されず、本心を語れる場所として。
重い扉が開く音がした。カイゼルが一人で入ってくる。黒い髪が夜風に揺れ、金色の瞳が月光を反射していた。
二人は数メートルの距離を置いて向き合った。
「昔、よくここで剣の稽古をしたね」
ユリウスが静かに語り始めた。懐かしさと、どこか寂しさを含んだ声だった。
「お前はいつも本気で向かってきた。身分の差なんて関係なく」
「昔の話だ」
「そうだね。でも、僕にとっては大切な思い出だ」
カイゼルは黙って立っていた。その表情からは、何を考えているのか読み取れない。
ユリウスは深く息を吸った。これから話すことは、避けて通れない。覚悟を決めて、口を開いた。
「カイゼル、僕は彼女を愛してしまった」
直接的な告白だった。回りくどい言い方はしなかった。
カイゼルの眉が、わずかに動いた。
「リーナを、か」
「そうだ」
「いつから」
「分からない。気がついたら、彼女のことばかり考えていた」
ユリウスは月を見上げた。蒼月と紅月が、仲良く並んで輝いている。
「彼女は、運命に抗って生きている。たまゆらという理に縛られず、自分の意志で道を選ぼうとしている。その姿が僕には眩しかった」
「それで?」
「僕は彼女を運命から解放したい」
ユリウスは再びカイゼルを見た。
「君は彼女をどうするつもりだ?」
カイゼルの表情が硬くなった。
「お前には関係ない」
「大いにある」
ユリウスの声が、強くなった。
「僕も彼女を愛しているからだ」
はっきりとした宣言だった。逃げも隠れもしない、真っ直ぐな告白。
カイゼルの拳が、かすかに震えた。
「……それがどうした」
「だから、聞いているんだ。君の本心を」
「答える必要はない」
「逃げるのか」
その言葉に、カイゼルの瞳が鋭くなった。
「逃げてなどいない」
「なら、答えられるはずだ。リーナを本当に愛しているのか」
沈黙が流れた。風が吹き、訓練場の古い旗がはためく音だけが響いた。
カイゼルが、ようやく口を開いた。
「……ああ、愛している」
低い声だったが、確かな感情が込められていた。
ユリウスは、その答えを予想していた。でも、実際に聞くと、胸が痛んだ。親友も、自分と同じ女性を愛している。その事実が、重くのしかかった。
「ならば、剣で問うしかない。先日書面でも送ったが……」
ユリウスは懐から白い手袋を取り出した。決闘の申し込みを意味する、古い作法だ。
「これは個人の感情だけじゃない。たまゆらに縛られたこの国の未来を懸けた、私と君の思想の戦いだ」
彼の声が変わった。友人としての「僕」から、王子としての「私」へ。
「思想の戦い?」
「私は、たまゆらという制度そのものに疑問を持っている。人は、運命に縛られるべきじゃない。自由に愛を選ぶ権利がある」
「理想論だな」
「理想を追わずして、何が王子だ」
ユリウスは手袋を投げた。カイゼルの足元に。
「リーナを懸けて、決闘を申し込む」
「彼女は賭けの対象じゃない」
「分かっている。だが、このままでは三人とも不幸になる」
ユリウスの瞳に、決意の光が宿っていた。
「決着をつける必要がある。君と私の間に」
カイゼルは、足元の手袋を見つめた。それを拾うことは、親友との決別を意味する。今まで築いてきた友情が、完全に壊れることを意味する。
でも、他に道はなかった。
カイゼルは静かに腰を屈め、手袋を拾い上げた。
「……分かった。あらためてその挑戦、受けよう……書面ではまだ先の話だが」
低い声。金色の瞳が、ユリウスを真っ直ぐに見つめる。
「三日後の正午。この場所で」
「条件は」
「剣での一対一。魔法は使わない」
「いいだろう」
カイゼルは手袋を握りしめた。
「だが、一つ言っておく。俺は負けない」
「僕もだ」
二人の視線が交錯した。かつては信頼で結ばれていた瞳が、今は対立の色を帯びている。
月光が二人の間に長い影を作っていた。その影は、決して交わることなく、別々の方向を向いている。
「カイゼル」
「なんだ」
「後悔はしないか」
「お前こそ」
最後の言葉を交わすと、カイゼルは踵を返した。重い足取りで訓練場を去っていった。
一人残されたユリウスは月を見上げた。
――これでよかったのだろうか。
答えは出ない。でも、もう後戻りはできない。
親友との決闘。それは、避けられない運命となった。
訓練場に、冷たい風が吹き抜けた。




