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伯爵令嬢は公爵様の『錨』となる ~偽りの婚約から始まる、たまゆらに縛られない本当の愛~  作者: 藍沢 理
第4章 三つ巴の恋慕

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第20話 決闘前夜

 王宮の古い訓練場は、月光に照らされて静寂に包まれていた。ユリウスは、その中央に立ってカイゼルを待っていた。

 石造りの壁には、かつての剣の傷跡が無数に刻まれている。少年時代、カイゼルと共に汗を流した場所。今は使われなくなったこの場所を、ユリウスは意図的に選んだ。

 誰にも邪魔されず、本心を語れる場所として。


 重い扉が開く音がした。カイゼルが一人で入ってくる。黒い髪が夜風に揺れ、金色の瞳が月光を反射していた。

 二人は数メートルの距離を置いて向き合った。


「昔、よくここで剣の稽古をしたね」


 ユリウスが静かに語り始めた。懐かしさと、どこか寂しさを含んだ声だった。


「お前はいつも本気で向かってきた。身分の差なんて関係なく」

「昔の話だ」

「そうだね。でも、僕にとっては大切な思い出だ」


 カイゼルは黙って立っていた。その表情からは、何を考えているのか読み取れない。


 ユリウスは深く息を吸った。これから話すことは、避けて通れない。覚悟を決めて、口を開いた。


「カイゼル、僕は彼女を愛してしまった」


 直接的な告白だった。回りくどい言い方はしなかった。


 カイゼルの眉が、わずかに動いた。


「リーナを、か」

「そうだ」

「いつから」

「分からない。気がついたら、彼女のことばかり考えていた」


 ユリウスは月を見上げた。蒼月と紅月が、仲良く並んで輝いている。


「彼女は、運命に抗って生きている。たまゆらという理に縛られず、自分の意志で道を選ぼうとしている。その姿が僕には眩しかった」

「それで?」

「僕は彼女を運命から解放したい」


 ユリウスは再びカイゼルを見た。


「君は彼女をどうするつもりだ?」


 カイゼルの表情が硬くなった。


「お前には関係ない」

「大いにある」


 ユリウスの声が、強くなった。


「僕も彼女を愛しているからだ」


 はっきりとした宣言だった。逃げも隠れもしない、真っ直ぐな告白。


 カイゼルの拳が、かすかに震えた。


「……それがどうした」

「だから、聞いているんだ。君の本心を」

「答える必要はない」

「逃げるのか」


 その言葉に、カイゼルの瞳が鋭くなった。


「逃げてなどいない」

「なら、答えられるはずだ。リーナを本当に愛しているのか」


 沈黙が流れた。風が吹き、訓練場の古い旗がはためく音だけが響いた。


 カイゼルが、ようやく口を開いた。


「……ああ、愛している」


 低い声だったが、確かな感情が込められていた。


 ユリウスは、その答えを予想していた。でも、実際に聞くと、胸が痛んだ。親友も、自分と同じ女性を愛している。その事実が、重くのしかかった。


「ならば、剣で問うしかない。先日書面でも送ったが……」


 ユリウスは懐から白い手袋を取り出した。決闘の申し込みを意味する、古い作法だ。


「これは個人の感情だけじゃない。たまゆらに縛られたこの国の未来を懸けた、私と君の思想の戦いだ」


 彼の声が変わった。友人としての「僕」から、王子としての「私」へ。


「思想の戦い?」

「私は、たまゆらという制度そのものに疑問を持っている。人は、運命に縛られるべきじゃない。自由に愛を選ぶ権利がある」

「理想論だな」

「理想を追わずして、何が王子だ」


 ユリウスは手袋を投げた。カイゼルの足元に。


「リーナを懸けて、決闘を申し込む」

「彼女は賭けの対象じゃない」

「分かっている。だが、このままでは三人とも不幸になる」


 ユリウスの瞳に、決意の光が宿っていた。


「決着をつける必要がある。君と私の間に」


 カイゼルは、足元の手袋を見つめた。それを拾うことは、親友との決別を意味する。今まで築いてきた友情が、完全に壊れることを意味する。


 でも、他に道はなかった。


 カイゼルは静かに腰を屈め、手袋を拾い上げた。


「……分かった。あらためてその挑戦、受けよう……書面ではまだ先の話だが」


 低い声。金色の瞳が、ユリウスを真っ直ぐに見つめる。


「三日後の正午。この場所で」

「条件は」

「剣での一対一。魔法は使わない」

「いいだろう」


 カイゼルは手袋を握りしめた。


「だが、一つ言っておく。俺は負けない」

「僕もだ」


 二人の視線が交錯した。かつては信頼で結ばれていた瞳が、今は対立の色を帯びている。


 月光が二人の間に長い影を作っていた。その影は、決して交わることなく、別々の方向を向いている。


「カイゼル」

「なんだ」

「後悔はしないか」

「お前こそ」


 最後の言葉を交わすと、カイゼルは踵を返した。重い足取りで訓練場を去っていった。


 一人残されたユリウスは月を見上げた。


 ――これでよかったのだろうか。


 答えは出ない。でも、もう後戻りはできない。


 親友との決闘。それは、避けられない運命となった。


 訓練場に、冷たい風が吹き抜けた。


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