090 音の正体~アレだよアレ~
――「ヴィヴィちゃん、もう一回やってみて」――
ばあちゃんが音が違うというので、ヴィヴィがもう一度ラーメンを作ることになった。
「分かりました。じゃあ、軽く解説しながらやってみますね」
そう言って厨房麺場にヴィヴィが立つ。
こうやって改めてみると何だか不思議な感じだ。この厨房は長年勝っちゃんおいちゃんだけの聖域だった。おいちゃん亡き後、もうこの厨房は使われることが無いだろうと思っていたが……まさか異世界で後継ぎが生まれ、再び火が入る日が来るとは。
ばあちゃんは目を閉じて音に集中している。
「まず、麺を鍋にほぐし入れ、軽くかき混ぜます」
――ぐつぐつ……パラパラ……チャチャチャ……
「麺が茹で上がる前に、どんぶりにスープを準備します。まずレードルで分量のかえしを入れます」
調理器具や器など、食堂に関係するものは石化から解放されたとき、すべて新品同様に復活した。味の再現において、勝っちゃんおいちゃんと同じ道具を使えるというのは、これ以上ないアドバンテージだ。
――チョロ……カンカン……
ドンガが醸造した醤油に、ツクシャナの森で採れた干しキノコや川魚の煮干しなど、出汁が取れそうなものを入れ煮詰めたタレだ。海が近ければ昆布のような海藻も入れられたんだろうが……今度、ソニンに頼んでブンゴルドの海藻を取引するのもいいかもしれない。
「そして炊き込んだスープを網で濾しながら注ぎます」
――ジョバ~……
豚――グランボアの骨は恐ろしいほど太かったので、寸胴に入るようにサリサが切り分けてくれたそうだ。それを神水を足しながら煮詰めていく。ヴィヴィ曰く、グランボアの骨髄はまるで筋肉と見紛うほどにしっかりとした組織で、それ単品で焼いて食べても確実に美味いはずだと言っていた。
骨髄のステーキ??? 何それ……めっちゃ食べてみたい。
「あ……ここやね」
ここで、ばあちゃんの四つ耳がピクリと反応した。ここって何だ? 音が違うってことか?
「後は麺を湯切りして」
――チャッチャッチャッ!
「どんぶりに入れて、麺をほぐし畳んで……出来上がりです。どうぞ」
――コトン。
ああ……しっかりと見栄えがいいように麺が畳んである。誰に教わることもなくこういう事をさらりとやれるのが、ヴィヴィの凄いところだな。こうすることで、どんぶりの中のスープとかえしがしっかりと混ざり、味が整うんだ。何より見た目が断然違う。
そして、サリサが出来上がったラーメンを見つめながら、興奮気味になんかごちゃごちゃ言い始めた。
「お前ら、何が違うとか言っているけど、これで十分美味そう、いや、美味かったじゃないか。何が不満なんだ。おい、それよりこの試作のラーメンどうするんだ? まさか捨てるのか? そんなこと許されないぞ? ラーメンに対して失礼だ。これは先代店主とヴィヴィが作り上げた至高の逸品だぞ? そんなことは絶対に――」
「サリサが食べていいよ」
「なにお前ら食べないのかそうかならば私が頂こう私もお腹はいっぱいだが残してしまってはラーメンに――」
「いいから食べなさい」
「頂きます」
――ずるるる……
「はぁぁぁぁ~~~……最っっっ高だ。異世界人……日本人はずるい! こんなものをいつも食べているとは!」
よほどラーメンの事が気に入ったんだろう。元王族であるサリサがこれだけ夢中になるんだ。きっと貴族階級の連中にも通用するはずだ。
「ねえ、蓮ちゃん。さっきのとこ……音が足りんくない?」
「音が足りない? そうかな? よく分かんなかったけど……」
「いや、絶対に足りんって! ちょっとやってみるね」
「え、やるって何を?」
ばあちゃんはその場で勝っちゃんおいちゃんの真似をし始めた。
おい……なんだその顔……勝っちゃんおいちゃんの真似か?
『よう伊織さん、らっしゃい~。いつもの? はいよう~』
何故、勝っちゃんおいちゃんの声真似までする必要がある? そして何も入店時からやらなくてもいいものを……
「ここで麺をほぐすやろ? パラパラと入れてぐつぐつしよったよね?」
「あ、ああ」
※以下、『』内は伊織が一人で喋ってます……
『伊織さん、今日も一段と綺麗やねぇ~』
『そらここのラーメンよう食べようけんねぇ。コラーゲンたっぷりやろが』
『そらそうばってん、あんまり食べ過ぎたら血圧高くなるばい』
『大丈夫、黒胡麻麦茶飲みよるけん』
なんだこれは。この人、ひとりで何やってるんだ。落語か?
「おい、ばあちゃん、これ何か関係が――」
構わずばあちゃんは続ける――
『なんねそれ。血圧に効くとね?』
『効く効く。おかげで下が80の上が110たい』
『よかなぁ! 俺も飲もうかいな? どこで売りようと?』
『小野薬局さん所にあるばい。そげん高くないけん試してみてん』
『そうね。今日店閉めた後、ちょっと行ってみようかの』
なんだ、この無駄話は!
「おい、ばあちゃん! そんな会話は良いから、早く先に進め!」
「ちょっと蓮ちゃん、しー! 思い出しよんやけん!」
「関係ない話だろそれ!」
「それがあるったい!」
「え?」
「私、歳とってからは歯があんまり良くなかったけん、『硬麺』やなくて『やわ麺』やったんよ。やけん、茹で時間が少し長いと! 今くらい喋ってから、勝っちゃんはどんぶりの準備ばしだすんよ。もう! 集中しとっちゃけん、邪魔せんで!」
「ご、ごめん。じゃあ続けてください」
何だか分からないが、ばあちゃんなりの理屈があるんだろう。
「まあ、こん位喋ってから、どんぶりを出すったい」
――コトン。
「こっから先は恐ろしい滑らかさで何かどんぶりに入れるんよ。こんな感じ」
――チョロ、カン、ザァ、チン、ジョバ~……
「ね? 蓮ちゃん、勝っちゃんこんな感じやったろ?」
「ああ、改めて言われると今のリズムでおいちゃんは作ってたな」
「ね? ヴィヴィちゃんはザァとチンがなかろうが」
ザァとチン……なんだ? 確かにひと工程あった気がする。
「う~ん……勝っちゃん、何か入れよったような気がするんよねぇ」
――《そのザァとチン、『アレ』ですね。きっと》――
ここでチエちゃんが念話で話しかけてきた。
「チエちゃん! どうしたの?! エリカと科学談義してたんじゃなかったの?」
《ええ。ちょっと蓮さまにお願い事がありまして戻ってきました》
「そうなの? なに? あ、っていうか今『アレ』って言ったよね?! アレってなに?」
《きっとそれ、グルタミン酸ナトリウムですよ》
――「「「「グルタミン酸ナトリウム???」」」」――
絶対に聞いたことある気がするが、あれ? それってなんだったっけ。
「ナトリウムっちゅうことは……塩なん?」
《科学名で言うと分かりづらいですが、分かりやすく言うと『味〇素』です》
――「「味の〇!!!」」――
「そうやんそうやん! 勝っちゃん、スプーンで白い粉をザァって入れて、チンってふるい落としよった! あれ、〇の素やったんや~!」
《そうです。古系の豚骨ラーメンには欠かせない、いわゆる化学調味料ですね。うま味成分の一つであるグルタミン酸を結晶化させたものです》
参ったな……俺たちが美味い美味いと食べていたのは化学調味料が使われていたものだったのか……おい……勝っちゃんおいちゃん! 何してくれてんだ!
「化学調味料ってことはさ、身体に悪いんじゃないの?」
《その問いに関しては様々な意見がありますね。中華料理症候群ってご存知ですか?》
「いや、知らない……」
「あ、何か昔聞いたことがあるね」
《1960年代後半あたりの話なので、伊織さまはきっと耳にされたことがあるはずです。当時、中華料理を食べた人たちに顔面の紅潮、発汗、頭痛、動悸などの症状が出て、その原因が中華料理に使われていた『グルタミン酸ナトリウム』ではないかと疑われました》
「ああ~! あったね、そんな事! じゃあやっぱりヤバい粉やったんやね! あの白い粉!」
ばあちゃん、言い方。それじゃ完全に別の物になっちゃうよ。
《いえ。その後、世界中の研究機関で調べられましたが、中華料理症候群とグルタミン酸ナトリウムの因果関係は認められませんでした。ですが、当時の風評が現代にいたるまで強く印象付けられたのは間違いないです》
「じゃあ、身体に悪くないの?」
《もちろん過剰に摂取すると悪いです。ですが、それは他の調味料においても同じことです。どんなものでも過剰に取り過ぎると毒になります》
「そりゃそうばい。何でもほどほどがよか」
《むしろ上手に使えば、うま味成分を爆盛りにしつつ塩分量は控えめにできるので減塩にもなります。そもそも化学調味料と言っても、その成分は昆布やサトウキビ、トウモロコシなどから採れる天然由来のものですからね。生成過程で科学技術が使われているというだけです》
「なるほどねぇ~。じゃあ俺たちがヴィヴィのラーメンに何か一味足りないって思ってたのは……味の〇だったのか……なんかちょっと残念な気がするな」
ヴィヴィやサリサは何のことか分からない様子だ。そりゃそうだ。ヒズリアでグルタミン酸ナトリウムっていってもピンとこないだろう。
サリサが真剣な眼差しでどんぶりを見つめながら、チエちゃんに問いかける。
「おい、チエ。つまりなんだ? その『グルグルなんとか』があれば、すでに超絶美味いヴィヴィのラーメンが更に美味くなるってことか?」
《そうですね……豚骨に煮干し、大量のイノシン酸。良質な干しキノコに香味野菜、グアニル酸。かえしの醤油などに少量のグルタミン酸……昆布や海藻類は無し。ふむ……ここにグルタミン酸をさらに追加で配合すれば、三大うま味成分がバランスよく掛け合わさって爆発的な美味さ……奇跡の味になるでしょう》
サリサは興奮を抑えられず、カウンターをバンバン叩きながら続ける。
「き、奇跡の味……! 爆発?! おい! ヴィヴィ! 凄いぞ! バンババン!」
やめなさい、お前の馬鹿力でカウンターが壊れる。
「え、ええ! みなさんが何を言ってるか分かりませんが……そのグルグル! そのヤバい白い粉! ぜひ試してみたいです!」
だから言い方。ヴィヴィのビジュアルで「ヤバい白い粉を試したい」って、とんでもなくインパクトがあるな。はぁ……ばあちゃんのせいで、また変な常識が定着しそうで不安だ。
「チエちゃん、うま味調味料って……作れるの?」
《そうですね……今、大狸商店街にいる人材で……作れる、と思います。ですが――その前に一つ蓮さまにお願いしたいことがあります。明日、小村電器店に来ていただけませんか? エリカさまがちょっと……》
「どうしたの?」
《今は疲れて眠っていますが、このままでは店を壊してしまいそうで》
「はぁ?! なんでだよ!」
《明日、来ていただければ分かります。どのみち、うま味調味料を作るには、科学、理導に精通しているエリカさまの協力も必要ですし》
「あ、そうか。分かった」
「エリカ……あの小娘の所に行くのか? 蓮」
「蓮さま……言動には気を付けてくださいね……」
「だからエリカとは何にもないって! ほ、ほら! どんぶりを片付けるぞ!」
ヴィヴィとサリサの冷たい視線を受けながら、俺はどんぶりをさっさと洗ってヴィヴィ食堂を後にした。
外に出るとすでにとっぷりと陽が落ちていた。
今日はなんだか忙しい一日だったな。さすがに疲れた……とりあえず今日は帰って寝よう。
エリカの奴……店を壊すって……
何なんだよ……めんどくさいなぁ。




