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080 豚の心と宇宙の迷子

 ――牙が折られた。この『小さき者』に――



 豚は戸惑っていた。永い年月、この群雄割拠の森で生き抜いてきた自負。今、それが揺らいでいる。


 ウサギの岩の投擲にも、熊の爪にも、草の触手にも負けることはなかった。我が身に傷をつけたものなど、思い返せぬほど遠い昔。


 今や我を脅かす敵はいない……はずだった。


 だがどうだ。


 突然現れたこの『小さき者』……


 渾身の加速から繰り出す、範囲攻撃。これを喰らって立っていたものはいない。


 こいつは全ての破片を防ぎきり、その上、一度たりとも傷がつくことのなかった自慢の牙を折ってしまった。そして今まで味わったことのない、身体の内側から幾千の焼けた針を刺すような痛み……


 何故だ。


 この小さき者に、なぜこれほどの力が……


 言葉無き逡巡(しゅんじゅん)が豚の脳裏によぎる。


 その瞳の奥に宿るは、怒りか、恐れか、それとも傷つけられた矜持への拒絶か。



「ブフゥ……」



 否。


 豚の心に去来したのは……敬意だった。


 この小さき身体にこれほどの力を有する、この『小さき者』への尊敬の念が豚の心を支配した。


 数々の生き物を倒してきた。倒れなかった。


 その命を奪ってきた。奪われなかった。


 その強き肉体を喰らってきた。喰らわせなかった。


 ただの一度も折れることのない牙が誇りだった。


 その自慢の牙が、この小さき者の横に転がっている……


 この者は……凄い。




 ――この者の命に、全力で応えねばならない――




 豚はこの世に生を受けて初めて『喰らう闘争』から『戦うための闘争』を意識した。


 無意識に背中から生えた4本の手を合わせる。


 もっと硬く……


 もっと重く……


 もっと速く……



 ――ギュルゥ……!



 もっと強く……



 ――ギギギィ……!!



 さらに強く……



 ――グギギギ……!!!



 握られた四つの掌から発される音は、力の結晶が成す響きだった。


 そして……


 豚は知らなかった。


 この『手を合わせる』という行為が、祈りの動作であることを。


 感謝という人間的感情を知らぬ豚が無意識にとった祈りの動作。


 この時、豚はこの小さき者を全力で破壊するつもりで、手を合わせた。


 だが、その表層的心理の内側で……



 ――死んでくれるな……強き者よ――



 言葉無き言葉で、そう呟いていた。



 命の幕切れとは……いつも劇的だった。


 抗い、もがき、血にまみれていた。


 それが生きるという事、喰らい喰らわれる事だった。



 だがどうだ。



 小さき者が私を見ている。


 私も小さき者を見ている。


 こんな戦いは初めてだった。


 不思議と心が穏やかだった。



 なんたる出会い……



 ――これまでの全てを、今にぶつけよう――


 ――この出会いと……別れの為に!!!――



 豚が全体重を乗せた拳を、俺に振り下ろした。



 ――ゴオッ!



開錠(アンロック)……」



 ――キュッ……ドン!!!!!



 豚の4つの掌は蓮に衝突する直前に解かれ、狙いがそれる。


 激しい砂煙が舞い上がるなか、豚は直感的に感じ取っていた。



 ――この小さき者、また何かしたぞ!――



 ――フゥ~……フゥ~……ブッフゥ~……



 砂煙が流れ、視界が戻る。



 ――グムゥッ……!!!



 背中に激痛が走る……地面にめり込む自身の腕が、三つしかない……


 ぼたぼたと流れる鮮血が、紅い落ち葉をさらに赤く染めた……



 ――食われたのか……? あの小さき者に……!――



 豚は残った腕で、切り取られた腕の付け根を押さえ、ぎょろりとその大きな瞳で辺りを見回す。


 しかし……小さき者の姿はない。


 そしてその気配も、魔力の残滓さえも残っていなかった。



 ――私の全力から逃げおおせ……腕まで喰っていった……なんと……――



 豚は腕を喰われ怒るどころか、何故か嬉しく思っていた。



 ――あの強き者に……また、会える――



 豚は、転がった牙を蓮の倒れていた場所に突き刺し、森の奥へ消えていった。




 ◇     ◇     ◇




 真っ暗だ……


 俺は死んだのか?


 思い出せ……


 豚が拳を振り下ろそうとしたとき、どうなったんだっけ。


 そうだ……


 声がした。



 ――『蓮ちゃん!!!』――



 あの声は……チエちゃんの様にも聞こえたけど……チエちゃんが俺をそんな風に呼ぶわけないし……誰だったんだろう……ばあちゃん?


 あの時……俺に出来たこと……


 そうだ……


 施錠(ロック)じゃどうにもならないと思って、開錠(アンロック)を使ったんだった!


 その後、真っ暗になって――



《ジジッ……蓮さま! 聞こえますか?!》


(チエちゃん! ああ! 聞こえる!)


《……良かった! すみません、魔力の演算にかかりっきりで、戻るのが遅くなりました!》


(いや、いいよ! それより、チエちゃんとこうやって話せてるって事は……俺、生きてるよね?)


《ええ……しかし……蓮さまの今の状態……これはどういう事でしょう……生きているのですか???》


(はい?! どうゆうこと?! 今こうやってチエちゃんと話してるじゃん!)


《それはそうなんですが……蓮さま、目は開きますか?》


(え? 目??? うん、そりゃあ……あれ?)



 おかしい、目ってどうやって開くんだった? あれれ??? 目って……なんだ???



(チエちゃん! なんか変! あれ?! 目、メ、め……どうすんだっけ?!)


《……これは……いや、まさか……蓮さま、腕は? 脚は? 動きますか? やってみてください》


(あ、ああ……)



 やっぱり変だ……身体が……身体の動かし方が分からない!



《……この感覚……やはり……蓮さま、落ち着いて聞いてください》


(う、うん)


《恐らくですが……蓮さま、今、身体……無いです》


(…………はぁ?! 身体がない???)


《ええ……蓮さまとの念話、まるで私と同じような思念体の感覚と同じです》


(し、思念体?)


《蓮さまは今、精神としては生きているし、肉体としては存在していない、死んでいるような状態かもしれません》


(え? 生きているし、死んでいる状態??? 何それ? 意味わかんないよ!)


《物理的にはありうる状態なのですが……シュレディンガーの猫ってご存知ですか?》


(シュレッダーが猫? 何それ、可愛いシュレッダーって事?)


《……いえ……いいです……とにかく、この状態になる前、何をなされました? 私、あり得ない分量の魔力演算していましたもので、蓮さまの様子までは》


(えっとね……施錠(ロック)じゃどうにもならないと思って、開錠(アンロック)をつかったんだ)



 ここで暫くチエちゃんが考え込んだ。声、といっても念話だが、黙っていてもチエちゃんがそばにいるのは感じ取れる……これ、チエちゃんがいなかったら、俺、速攻で泣いてたな……



開錠(アンロック)……店主の契約の時のみ使えるスキルだと思っていましたが……鍵を開ける能力……鍵とは――扉にかけるもの……蓮さまの開錠(アンロック)、もしかして『何かを開く』力ではないでしょうか?》


(開く力?)


《ええ、物理に疎い蓮さまにあれこれ仮説を説明してもらちがあきませんから、簡単に言いますが――》


(酷い言いようだね。まあそうなんだけど……)


《すみません……続けます》


(お願いします)


《物理的には全ての物質は『存在しているともいえるし、存在していないともいえる』状態があるんです。そして今、蓮さまは『意識はあるのに、肉体はない』状態です。つまり……狭間の存在なんです。これ、私と同じ状態です》


(狭間の存在……)


《つまり……八百万の神や精霊、そのように形容される存在の形に限りなく近い、という事です。そしてこの場所は狭間の次元……開錠(アンロック)は狭間をあける力……かも、しれないし、そうでない、かも、しれないし……うう~ん……》



 あのチエちゃんが珍しく混乱している。



(死んでは……ないんだね?)


《……う~~~ん……それは難しい質問ですね……それに答えるには、そもそも死とは何かという疑問に答えなければなりません。肉体の死を死と捉えるのか、精神の死を死と捉えるのか、そもそも生とは何ぞやの思考ループ……それを語りだしたら、物凄く時間が掛かりますが……いかがされますか?》



 何だかややこしいことになってきたぞ……このままチエちゃんと禅問答してても仕方ない……



(どうしたら戻れるんだろう?)


《普通に考えて……施錠(ロック)開錠(アンロック)を使うのが筋でしょうね。いや……お待ちください……この状態で施錠(ロック)??? 閉じる……いや、いやいや……それは……う~~~ん……》


(どうしたの? 開錠(アンロック)でここに来たんなら、施錠(ロック)でこの次元を閉じればいいんじゃない?)


《……いや~~~……それ、もしかしたらアウトかもしれません》


(なんで?)


《次元の狭間を閉じたとして、蓮さまが戻れる保証はありませんし、閉じたら蓮さまがどうなるかも分かりません。最悪その瞬間、消えて終わり……なんてことも》


(ええ~! こわ! じゃあもう一度開錠(アンロック)かな?)


《どうなんでしょう……さらにまた別の次元の扉が開いて、もう完全に宇宙の迷子になる可能性も……》


(宇宙の迷子?! なにそれ……絶望的じゃん)


《絶望ですね。そうなると私もどうしていいか分かりません》


(……でも……施錠(ロック)開錠(アンロック)のどっちかくらいしかないもんなぁ……)


《……そうですね……ここは蓮さま……二つに一つ……賭けてみるしかないでしょう。蓮さまが決めてください。私はどこまでもお供します……》



 うわ~……究極の二択だな……でもそれ以外、道はない……俺は大狸商店街を復興させなければいけないし、ばあちゃんやみんなが待ってる。



(わかった……決めたよ……)


《では……スキルを発動して――あ、ちょっと待ってください》


(なに?)


《念のため……蓮さま……今までありがとうございました。江藤書店の本をたくさん読んでくれて、ほこりをはたいてくれて、伊織さまを最期まで――》


(ちょちょちょ! やめてよチエちゃん! なんでそんなサリサみたいな真似すんのさ! フラグ立ちまくりじゃないの! 普通でいて! お願いだから! 余計に不安になるから!)


《すみません。もし最期になるかと思うとつい。分かりました。もう何も申しません。何があろうと……あなたと共に》


(うん……ありがとう。じゃあ行くよ……)



 この時、俺はもしダメだったとしても……後悔しなかっただろう。


 一人じゃなかった。


 チエちゃん……ありがとう……



 ――『開錠(アンロック)!!!』――



 俺の選択は、開錠(アンロック)……


 そして結果は……


 また……






 ―― 真 っ 暗 だ ――






 なんで~~~~~!!!!!











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― 新着の感想 ―
宇宙で迷子は、想像するだけでオソロシイ… 宇宙図書館には行ってみたいですけど。 蓮ちゃん戻ってきて〜!!! 豚骨ラーメンは、 アッサリ醤油ベースか、魚介とんこつが好きです。
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