047 ローニャ(4)~まつやのババア~
――背徳の悪女、国落としのローニャ。
俺の腕の中で眠るこの幼女が、伝説のサキュバスだったとは……
「こいつが最後に国落としをしたのは、およそ100年前。ヨツシア大陸だと聞いている。今でこそヨツシアの内政は落ち着いてきているが、当時は魔族との戦いが絶えなかったそうだ」
「100年前……サキュバスってそんなに長生きなのか?」
「ああ。長命種の中でも長生きする部類だ。中でもこいつは伝説級のサキュバス。文献が正しければ、確実に1000年は生きている超大物だ」
「え、1000歳? 凄いな。そんなに生きてたら、もっと達観しそうなものなのに」
「蓮どの。こいつは生かしておいては、世のためにならんぞ。弱っている今、始末するのがいいだろう」
「え?! し、始末って……殺す、ってこと?」
「それが世の為だ」
抱きかかえていたローニャの手が、俺の服をぎゅっと握りしめた。どうやら俺たちの会話を聞いていたようだ。
「れん……れんも……私を……殺すの?」
……『も』?
不意に胸の奥がぎゅっと締め付けられる――
想像するよりも先に、身体が反応するあの嫌な感じ。言葉の意味より先に、その響きが予感させる、そんな痛み――
よく見ると、ローニャの身体には無数の傷跡があった。
「ローニャ、お前……この傷はどうした?」
「……これはね――」
ローニャが言うには、普段は魔力で古傷を隠しているが、魔力が少なくなると隠しきれなくなるらしい。これだけの傷、過去にどんなことがあったのだろうか。
俺を見つめるローニャの顔。その何かを諦めたような、枯れた哀しい眼差し。
なん……だ? これ。
――予感……頭ではない、胸の奥。この時、蓮の胸の奥底にある種、予感めいたものがよぎる。
『殺しては、ならない』
それは優しき蓮の本能か。もしくは、ローニャの魅惑や精神干渉がまだ効いていたのか、それは分からない。
だが、怯え、見上げるローニャの幼い顔が、蓮の心を離さなかった――
「カリス……こいつさ」
「蓮どの、駄目だ。始末すべきだ。今ここで」
「……カリス」
「こいつは何百年もの間、数々の国を滅ぼしてきた。止めなければ、また次の国を……今、この場で終わらせるべきだ」
カリスの言葉には全く揺らぎがない。本気で殺す気だ。
そして、カリスの判断は……概ね正しいのだろう。
伝説も、実際にその時、何かがあったということだろう。俺も襲われたし、こいつの危険性はわかる。
でも……
1000年生きたサキュバス。国落としのローニャ。背徳の悪女。全て伝説の話だ。カリスだって自分の目で見た話じゃない。
今、俺の服を掴むこの手。今、俺を見上げる哀しい目。今、俺の目の前にいるのは、ただ助けを求めている女の子だ。
無数に刻まれた深い傷。1000年……こいつの『本当』を知っているやつはいるだろうか。
こいつは伝説のように、本当に『悪いサキュバス』なんだろうか?
歴史は往々にして、都合の良い物語を紡ぐ。もし、その裏にもっと別の真実があるとしたら――
「カリス、俺はこいつの事をよく知らない。伝説なんてのも人の話だ。だから殺したりなんか……できない……しない。したくない」
「蓮どの! しかし――」
「――知ること、じゃないかな。まずは知ること」
――ふと『まつやのばあちゃん』の事を思い出した。まつや……俺たち小学生の憩いの場。
「小学校の頃、商店街に『まつや』って駄菓子屋があってさ、そこのばあちゃんがすっごい怖い人でさ。俺たち、いつもビクビクしながら駄菓子を買ってたんだ」
「……小学校??? なんだそれは。何の話だ」
「子供の頃は『まつやのババア』なんて言って、嫌ってたんだけど……大人になって、商店街をお世話することになってさ、10年ぶりくらいに、まつやに挨拶に行ったんだ」
「………………」
「そしたらさ、まつやのババア、俺の事覚えておいてくれてさ、『よう帰ってきたねぇ、ありがとうねぇ。田中の蓮くん』って。俺なんて、本当になんの特徴もない、特に目立たない普通の小学生だぜ? それなのに、俺ですら覚えてない当時の事を話してくれてさ。
まつやのばあちゃん、子供が出来なくてな。でも、子供が好きで好きで、子供が集まる駄菓子屋を始めたんだって。今まで駄菓子屋にきた子供たちの事、全員覚えてるって。我が子のように思ってたんじゃないかなぁ……嬉しそうに話してたよ」
「バ、ババア……」
「でも、子供って周りの大人がしっかり見てやらないと、悪い方向へ向かったりもするだろ? だから、まつやのばあちゃん、あえて子供達には厳しく接してたんだって。『あの時は、口うるさくしてごめんなさいねぇ』って謝られたよ」
「ババア……分かるぞ、その気持ち。私もサリサには、つい厳しく接してしまう事がある」
「俺、知らなくてさ。で、俺の同級生にその話したら、信じてくれなくて。『あのクソババアがそんな事思うわけないだろ! 適当に言ってるだけだ』ってさ――」
「そいつ、どこのどいつだ!!! 締め上げてくれる!!!」
「はは、ヒズリアにはいないよ。向こうの話」
「……まつやのババアは、今どうしている?」
「死んだよ。俺が戻ってきてすぐに。だから、ちゃんと話したのはそれが最期」
「バ、ババア……! そ、そうか……そうか…………」
「俺、最期にまつやのばあちゃんと話せてよかったよ。話さなかったら、知ろうとしなければ、俺は多分ずっと、まつやのばあちゃんの事を誤解したままだったと思う」
カリスもローニャも、黙って下を向いている。
まつやのばあちゃんの事を想像しているのだろうか。だとしたら……いいな……俺が話すことで、まつやのばあちゃんの『本当』が、誰かに伝わった。
「カリス。だからさ、知るところから始めたいんだ。こいつの事も。もしかしたら、伝説のとおり悪いサキュバスかもしれない。でも、こいつの『本当』を、俺はまだ知らない。俺自身が、知ろうとすることをやめたくないんだ」
「蓮どの……」
「それにさ、加護の力でローニャの魔力を抑えられるなら、商店街にいた方がいいんじゃないかな。今だって、境目の内側なら大人しいもんだし」
「ふむ……分かった。まつやのババアに免じて、ここは一旦私が引こう」
「ありがとう。カリス」
「だが! もしこいつが不穏な動きをみせれば、私は即、動く。いいな?」
「わ、わかった。ロ、ローニャ、今から俺たちの街、大狸商店街に連れていくけど、大人しくできるかな?」
「……うん…………出来る……と、思う……」
うーん。少し不安な返しだな。まあ、さらに稲荷神社に近づけば心配はないだろう。多分……
「……頑張って、みる……」
しばらくの沈黙の後、ローニャがぽつりと呟いた。
「れん…………ありがとう……」
大丈夫……きっと、大丈夫。
そう思える響きが、ローニャの言葉にはあった。
「うん。頑張ろう」
――こうして、蓮たちはローニャを大狸商店街に連れて帰ることにした。帰るまでの間、ローニャは蓮から片時も離れなかった。
この時、ローニャを街に引きいれた判断が、吉と出るか凶と出るか、まだ誰も知らない。
だが、この時、蓮が示した相手を知ること『相互理解の精神』は、伊織が示した『寛容の精神』とともに大狸商店街に、近隣諸国へ深く根付いていくことになる。
そしてこの二人にも――
「甘い。王としては甘すぎる。どう思う? カリス」
「タリナ……起きていたか。そうだな。優しすぎるであろうな」
カリスは静かに足を止め、背中に感じるタリスの重みを確かめるように息をついた。
「だがタリナ。私は、サリサがあいつを、蓮どのを選んだわけが、何となく分かる気がするぞ」
「ふん。まあな。どことなく先帝、サリサの父君に似ているな。ふふ、サリサめ……見る目がある」
「いずれにしても、一度トトゾリアへ連れて帰らねばなるまい。トトゾリアも……変わらねば」
「ああ」
ふっと表情を緩め、カリスが言葉を続ける。
「それよりタリナ。起きているのであれば、自分で歩いてくれないか?」
「ふふ、いつぶりだろうか。こんな風に背負われるのは。いいじゃないか。このまま街までおぶってくれ。姉上」
「ふむ。いいだろう。しかし、重くなったな」
「な?! それは言ってはいけない――」
「――よく……よく育った。私は嬉しいぞ。タリナ」
「姉上……」
――トトゾリアの王位継承の儀式『婿比べ』。サリサは王族の地位を捨て、辞退するとカリスとタリナに書簡をあてたが、それは二人の胸の内に収められ、サリサの地位は、いまだ王族のままであった。
トトゾリアの内政は今、現女王の悪政により荒れに荒れていた。男尊女卑ならぬ、女尊男卑の色が濃いアマゾネスの国は、時代錯誤の婿比べが災いし、出生率は著しく下がり、国は衰退の一途をたどっていた。
二人は少女を抱きかかえ歩く蓮の背中に、まだ幼き頃、戦禍の中、二人を救い出してくれた先帝の面影をみる……この男ならば――
「やっぱり似ているよ。姉上」
「そうだな。まだ頼りないが、蓮どのなら、あるいは……」
――これより暫くののち、二人は蓮を連れ、トトゾリアに向かう事になる――




