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善と悪

 レグルスを闘技場まで連れてきた後、セレナは観客席に潜んでいた。彼とフレイアの戦いを見届けなければならないと思ったからだ。

 そんな彼女は今、眼下に広がる光景を前に愕然としていた。


 中央の舞台。

 そこでは女騎士たちの命を種として、次々と爆炎が大輪の花を咲かせていた。


 フレイアが鞭を振るうと、女騎士たちが一斉に駆けだした。けれど、彼女たちの表情に戦いに赴く者としての覚悟は見られない。

 泣き、喚き、絶望しながら。

 それでも抵抗できずに、呆気なく弾として使い捨てられている。

 舞台上に花を咲かせる爆炎の間を、レグルスは縫うように駆け巡っていた。爆炎自体を斬り裂くことで致命傷を避けている。


「ひゃはは! まだまだ弾はあるんだ。いつまで持つか見物だなァ!」


 哄笑を轟かせながら、フレイアは鞭を振るう。

 女騎士たちは自らの意志に反して、特攻させられる。舞台の上では断末魔と共に真紅の花が咲いていた。


「もう止めてください!」


 溜まらなくなったセレナは、観客席から叫び声をあげていた。


「これ以上、彼女たちの命を無碍にしないで!」


 しかしその声は、女騎士たちの悲鳴や断末魔、激しい爆音に掻き消されてしまい、舞台上にいるフレイアに届く前に霧散してしまう。

 けれど、仮に届いたとしても聞き入れられはしないだろう。

 ここはもう、倫理や道徳が通じる場所ではない。

 傍観者が何を叫ぼうが、状況を変えることなどできない。


 ――ずっと男は邪悪な存在だと教えられてきた。


 彼らは女を長年抑圧し、奴隷のように支配してきた巨悪。それ故に彼らを隷属させ、罪を償わせなければならないと。

 だけど、どうだ?

 下層街に非人道的な薬を蔓延させていたのは、山猫の爪の男たちではなく、裏で糸を引いていた騎士団の女騎士たちだった。

 そして今、正義だと信じていたはずの騎士団長は、部下の女騎士たちの命を何の躊躇いもなく次々と使い捨てている。

 その一方で、レグルスはホルスを庇いながら戦っている。女騎士たちを彼の元に近づけないように立ち振る舞っている。


 彼らとはしばらくの間、行動を共にした仲だ。

 セレナには、彼らが邪悪な存在だとは到底思えなかった。性別こそ違えど、紛れもなく二人は自分と同じ人間だった。


 ――本当に男は邪悪な存在なのか? 


 彼らは皆、虐げられ、隷属させられて然るべき者たちなのか?

 いや、違う。

 虐げられ、隷属させられて然るべき者など、一人もいない。

 男は確かに邪悪な存在なのかもしれない。

 けれど、だったらそれと同じくらい女もまた邪悪だ。


 男だから正しいわけでも、女だから正しいわけでもない。

 男の中に邪悪な者がいるように、女の中にも邪悪な者はいる。

 女の中に正しい者がいるように、男の中にも正しい者はいる。

 そして、恐らくは絶対の正しさというものは存在しない。絶対の悪というものも。

 それは時代や状況によって容易に姿を変える。

 だからこそ、自分の目で見て、聞いて、判断しなければならない。

 自分にとっての正しさがいったい何なのかを。

 ようやくそのことに気づいた。


 そして、セレナの目には、フレイアの行いが正しいとは到底思えなかった。どう考えても間違っているように映った。

 ただ声を上げるだけでは何も変わらない。

 状況を変えたいなら、傍観者ではいられない。

 戦わなければ、何かを変えることはできない。何かを勝ち取ろうとするのなら、自らもまた斬られる覚悟で剣を執らなければならない。


 ――私は、私の正しいと思ったことをする。


 セレナは静かに覚悟を決めると、腰に差していた剣の柄を握りしめた。

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