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売人の正体

 夜空に呼び笛の音色が響いてから数分が経った頃。


 雨が降りしきり、蜜のように闇夜が垂れ込めた路地に、二つの足音が響き渡っていた。


 呼び笛の音を聞きつけたセレナとホルスだった。何かあればすぐに動けるよう、少し離れた場所に待機していたのだ。


「呼び笛が聞こえたのは――」

「この先の路地からです!」


 二人はしばらく駆けると、路地に入り込む。それぞれ武器に手を掛ける。


 ホルスの心音は爆ぜんばかりに高鳴っていた。

 レグルスが呼び笛を鳴らしたということは、売人との間に諍いが起きたということだ。

 恐らくは戦闘になる。


 大丈夫だ。戦える。戦わなくちゃいけない。足手纏いにはならない。


「レグルス!」

「レグルスさん!」


 路地の角を曲がり、目的地に辿り着いたホルスは、目の前に広がる異様な光景を前に思わず足を止めることになった。


「これは……」


 眼前に広がっていた光景――それは地面に倒れ込んだ男たちの姿。

 二十人近くはいるだろうか。

 路地の左右を挟む建物の壁や石畳には血痕がこびりつき、短剣や杖、鎖などの武器が石畳の上に投げ出されていた。

 苦しげな呻き声が地の底を這っている。

 それは明らかな激しい戦闘の跡だった。


「遅かったな」


 路地の暗闇に反響する声。それは鋭く冷え切っていた。まるで刃物のようだった。

 ホルスは一瞬、目の前の人物に恐れを抱いた。

 その姿が怪物のように映った。

 けれど、錯覚だった。

 倒れた男たちの山の上に座り込んでいたその白髪の男――レグルスはその身に傷一つ付けずに二人の方を静かに見据えていた。


 

「レグルスさん! 無事で良かったです!」


 子犬のようにレグルスの下に駆け寄ってくるホルス。

 それを尻目にセレナは怪訝そうに尋ねてくる。


「これはどういうこと? 薬の売人と接触したのでしょう? 彼らはいったい……」

「どうやらこちらの目論見は見透かされていたようだ。おびき出した俺を叩くために、仲間を引き連れて襲い掛かってきた」


 セレナは足下に倒れる男たちを見回した。


「これだけの数をあなたがたった一人で片付けたの?」

「……ば、化け物め……」


 足下に倒れていた売人が呻きながら吐き捨てた。その目には、先ほどの戦いで植え付けられた畏怖の念が宿っていた。


「……ふん、化け物か。確かにな」


 レグルスは自嘲するように呟いた。

 全身の細胞を造り変えて魔剣と適合した自分はもはや人間ではない。女騎士を狩るためだけに生き長らえる化け物だ。


 魔剣を掲げると、レグルスはその剣先を売人の眼前に突きつける。


「聞かせて貰おう。お前たちの裏で糸を引いているのは誰だ?」

「…………」


 売人が忌々しげに顔を歪めて沈黙を保っていた時だった。


「これは……!」


 ホルスの息を呑むような声が聞こえてきた。

 驚愕に見開かれた目は、倒れていた刺客の服の袖から覗く、二の腕に刻まれていたひづめのような模様の刺青に向けられていた。


「この刺繍は――【山猫の爪】……!?」

「なんだそれは」

「この下層街でもっとも影響力を持っている組織です。騎士団でさえ、迂闊に彼らに手を出すことは避けるほどの……」

「ほう」


 そんな連中がいたのか。 

 売人は鼻を鳴らすと、口元を歪め、吐き捨てるように呟いた。


「……ああそうだ。俺たちに手を出した以上、あんたらはもう終わりだ。山猫の爪を敵に回して生きていられる奴はいない」


 そしてドスの利いた声で続けた。


「……山猫の爪は組織に刃向かう者を決して許さない。どこまでも追い詰めて、その報いを受けさせてやる」

「――っ」


 ホルスの顔は引きつっていた。それほどに危険な連中ということだろう。


 ……女騎士たちに支配されたこの街にもまだ気骨のある連中がいたとは。この場合はそれが敵に回ろうとしているのが問題だが。


 倒れていた売人の目は、セレナの姿を見つめていた。


「……あんた、騎士団だろ」

「ええ。それがなにか?」

「悪いことは言わない。ここで手を引いた方が身のためだ。さもなくば、今手にしてる何もかもを失うことになるぞ」

「……それは脅しのつもり?」

「脅しじゃない。これは忠告だ」

「無駄よ。忠告に屈したりはしない。私は私が正しいと思ったことをする。何もかもを失ってしまうのは、その志を曲げてしまった瞬間よ」


 売人が刺そうとした釘を、しかしセレナは一蹴した。 


「山猫の爪がストロングをこの街に蔓延させている元凶だというなら、このまま野放しにしておくわけにはいかない」

「……馬鹿な女だ」


 呆れたように嘲笑をこぼした売人から視線を切ると、


「レグルス。あなたの仕事はここまでよ」


 セレナはそう告げてきた。


「ありがとう。あなたには世話になった。約束は守るわ。山猫の爪を片付けた暁には私が責任を持って上層まで連れていく」

「お前はこの後、どうするつもりだ」 

「騎士団に要請して、早急に山猫の爪を討つための部隊を編成する。そしてこの街に蔓延するストロングを一掃する」


 セレナは足下に倒れ込む刺客の男たちを睥睨しながら言った。


「人間を人間でなくしてしまう――そんな恐ろしい薬物を、自分たちの利益のために流布するような輩を許すわけにはいかない」


 そう宣言した彼女の目には、強い意志が宿っていた。

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