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囮捜査

 仄暗い街の中を、レグルスは一人幽鬼のような足取りで歩いていた。

 薬を必要とする者の前に売人は姿を現すと、中毒者の男はそう言っていた。

 なら薬が必要な人間だと思わせることができれば、獲物は向こうからやってくる。

 

 連中の監視の目は恐らく、街中に行き届いている。

 セレナやホルスを連れて歩けば警戒されてしまう恐れがある。それ故にレグルスは単独での囮捜査を行っていた。


 売人と揉め事になった際には呼び笛を吹くことになっていた。そうすれば音を聞いたセレナたちが駆けつけてくる手はずだ。


 レグルスは下層街の人間たちにストロングの入手方法を尋ねて回った。どうすれば薬の売人に会うことが出来るのかと。

 ろくな返答は得られなかった。

 中毒者たちには言葉が通じず、薬の使用者でない者たちには軽蔑の眼差しを向けられ、敬遠された。


 だがそれでよかった。

 薬を求めている人間がいる。その噂を街中に広めることこそが目的だ。連中の監視の網に引っかかってくれればいい。


 一日が経ち、二日が経った。

 三日が経つ頃には見ず知らずの者からもストロングを求めている白髪の男だと認識されるようになっていた。


「認知が広がっているな」

『立派な不審者としてね』

「それもこちらの思惑通りだ」


 動きがあったのは五日目の夜だった。

 いつものように薬の情報を尋ねて回り、帰路に就こうとした時だ。街の頭上を覆う鈍色の雲からは細い雨が降り始めていた。


 それは蝋燭の炎がゆらりと灯るように静かな胎動だった。

 眼前に広がる路地の濃い暗闇の中から、黒い外套に身を包んだ男が姿を現した。

 頭巾を深く被ったその男の面持ちは窺えない。存在感がまるでない。一瞬、亡霊と相対しているのかと錯覚しそうになるほどだ。

 明らかに堅気の人間ではない。直感的にそう理解できた。


「あんたが例の白髪の男か?」


 男は凪のように静かな口調でそう尋ねてきた。


「ああ、そうだ」レグルスは応えると問いを返した。「お前は【ストロング】の売人か?」

「だとしたら?」

「俺一人に薬を売りに来たにしては、随分な大所帯だな」

「…………」


 闇の中から息を呑むような気配がいくつも伝わってきた。

 存在を見透かされたことで狼狽したのだろう。路地を覆う空気の流れが乱れた。

 夜のとばりの降りた路地には、目の前の男の他に何人も身を潜めている。それは僅かに滲み出る敵意や衣擦れの音が教えてくれた。


「……よく気づいたな」


 黒い外套を着た売人は警戒心を強める。


「ああ、そうだ。俺たちは薬を売りにきたわけじゃない。だいたい、あんたは薬なんか求めちゃいないだろう?」

「なぜそう思う?」

「見れば分かる」


 売人は言った。


「薬を求めてる奴ってのは、何もかもを諦めた目をしてる。生きる気力を失い、辛い現実から逃げ出すために薬を求める。戦うこともせず、ただ諦めて楽になることを選ぶ。生きながらにして死んでるような脆弱な連中ばかりだ」


 だが、と続ける。


「あんたは違う。その目は諦めとは程遠い、獰猛な獣の目だ。そんな奴が逃げるために薬を求めるとは到底思えない」


 売人の蛇のような粘度のある目が、レグルスを見据える。


「そんな奴が薬を求めるのなら、何か別の目的がある。穏やかじゃない目的が。ならその芽は早めに摘まなきゃならない」


 すっと売人の男が手を挙げると、潜んでいた刺客たちが闇から姿を現した。


 目視するだけでも優に十人以上はいた。

 纏っている黒い外套から覗くのは、上質な布の服に、膝上までの脚衣。

 短剣を手にした刺客の男たちは、レグルスを逃がさないように素早く取り囲む。その動作を見るに随分戦い慣れているように見える。


「あんたが何を企んでいたのか、背後で誰が糸を引いてるのかは、倒した後にでもゆっくりと聞かせて貰うことにするよ」


 売人は裂けるような笑みを浮かべる。


「拷問にかけて、死なない程度にじっくりいたぶる。あんたのその獰猛な目が絶望に沈むのを見るのが楽しみだ」

「……悪趣味な奴だ」


 レグルスは懐に忍ばせていた呼び笛を取り出すと、高らかに吹き鳴らした。路地の切り取られた夜空に音色が抜けていった。


「……仲間に助けを求めたか」


 売人は小さく鼻を鳴らした。


「だが残念だったな。仲間が助けに来る頃にはもうあんたはやられてる。応援に来た連中も袋叩きにして、一網打尽にしてやるよ」

「お前はどうやら勘違いをしているらしいな」

「……なに?」

「俺はせっかちな性格でな。なるだけ時間を無駄にしたくない」

「…………何が言いたい?」


 レグルスはその問いに応えるように、売人に剣先を突きつける。


「お前たちを倒してから笛を鳴らしたら、待ち時間が出来てしまうだろう? 連中が来るまでに片づければ待たされずに済む」

「……随分と舐められたもんだ」


 売人の声に苛立ちが混じった。


「……獣の目には周りの状況が見えていないらしいな。たった一人でこれだけの人数を相手に出来るとでも?」

「羽虫がどれだけ集まろうが、獣の前では塵芥に過ぎない」

 

 売人の顔が歪んだ。そして低く這うような声で言った。


「……気が変わった。拷問するのはやめだ。あんたを助けにきた仲間連中に、惨たらしく切り裂かれたあんたの骸を見せつけてやるよ」


 売人が指示すると、展開された刺客たちが一斉に動いた。四方八方から、レグルスを蜂の巣にしようと短剣を次々に閃かせる。


「――それは楽しみだ」 


 レグルスは魔剣を構えると、彼らを真っ向から迎え撃った。

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