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異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第四・五章 跳躍する小鳥の刃
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跳躍する小鳥の刃 9

 ケヒルシュタインの朝は潮の香りと硫黄の臭いとで始まる。ゲンテンブルクと比べれば至るいくらか高い空と、城壁よりも高い山麓の影とに二分された町の、僕達はより明るい方‐つまり港へと続く市場を歩いていた。

 足の拘束具を外して僕と並ぶ少女は、常に俯きながら港まで歩いた。道行く人々はそれを一瞥し、中には昨日の騒動を知っているのか、僕に声をかける者もあった。「だったら男の方がよかったな」などと言う異邦人らしき人もあった。要するに、奴隷として売ろうと考えている、と思われたのである。僕は愛想笑いを返したが、それ以上会話を続ける事はしなかった。


 開けた港に至ると、彼方にあった蒸気船がすぐ目前に現れる。巨大な鉄塊が海に浮かぶ様はまさしく異様というほかないが、それ以上におぞましいのが天にまで伸びる蒸気である。黄色い煤煙は山側から現れるものだが、もくもくと立ち昇る蒸気船の煙は黒くくすんでおり、巨大で堅牢な船を見た目以上に巨大に錯視させる。港の全景を眺めたとしても、その巨体よりも目立った船は無い。乗客であろう華やかな服を着た人々が歓声を上げる。プロアニアであっても、内陸地から来た人々にとっては、蒸気船は珍しいのだろう。大量の荷物を引き連れ、安物のスーツを着た人々は声一つ上げない。それどころか、彼らは船すら見ていないで、契約書や、船荷証券などを纏めたものをぺらぺらと捲って難しい顔をしている。商売人のやる事は、港町にあってもあまり変わらないらしい。


 山側に視線を送ると、鉱山の狭い入口へと至る線路がある。

 港に影を落とす巨大な蒸気船に劣らぬ巨大な山々には、トロッコや、線路や、狭い道を行く子供の労働者がいる。彼らは汗まみれで泥だらけなのが遠目にも想像できるほど、ふらふらと歩いているらしい。米粒ほどの大きさの彼らの表情は窺うことは出来ないが、それが僕の経験してきた苦痛よりもずっと肉体的に苦しいものなのだと、簡単に予想することが出来た。

 僕はフランに視線を送る。案の定、彼女は山側を気にしていた。勿論、開けた港から一歩市場に戻れば高い城壁に阻まれ、港からも離れた鉱山の詳細を臨むことは叶わない。それでも、彼女の苦しそうな表情から、「何を」見ているのかは容易に予想が出来た。


「フラン。子供達がきになる?」


 フランは静かに首を振る。


「子供も、女も、男も気になるわ。誰一人として、労働に見合った対価を支払われていないもの」


 頭上にはアドラークレストが飛んでいる。海鳥が海に飛び込むと水飛沫が広がる。飛び散った水飛沫は更に波紋を作り、波紋は広がって、やがて消えて行く。海鳥の口には、鰯が咥えられていた。


「フラン様。どうして、山の方を見ているのですか?」


 少女が初めて呟く。僕は思わず嬉々として振り返ったが、当然彼女はフランの方を見ている。フランは少女の頭を撫で、穏やかな笑みを浮かべた。


「世の中には幸福も不幸も、そうでないものもあるという事よ」


 少女は小さく頷いた。黄色い煤煙が静かに降りてくる。少女が咳き込むと、フランは黙ってハンカチを手渡した。少女は困惑してフランを見る。フランは、少女に微笑み返した。


「使っていいわ。代わりに、貴方の名前を教えて頂戴」


「……ザ、サクレ」


 僕は思わず顔を顰める。フランは悲しそうに眉を落とし、しかし笑みだけは崩さないままで「そう、よろしくね。サクレ」と答えた。


「そんな顔しないの」


 耳元をくすぐるような声で言うフランに、僕は視線を送る。その際、サクレの刺すような視線が視界に入り、思わず目を逸らした。


「でも……。いや、すいません」


 判りきった偽名であっても、今は信頼するしかない。僕が静かに首を垂れるのを一瞥して、ルプスは鼻で深く息を吐いた。


「おい、あれに乗るんだろ?さっさと行こうぜ」


 ルプスが指を差す。巨大な蒸気船がゆっくりと近づく。深く、波打つ海を掻き分け、水しぶきを上げ、波紋を広げながら前進するそれは、揺らぐことなく前へ、前へと港へ突き進んでくる。僕達は通行証と身分証明書、そして航行許可証を手に、切符を売るセーラー服の水兵のもとへ向かう。彼に確認用の判を押され、豪華な服を身に纏った人々が談笑をしながら列をなす最後尾につく。港へ向かう巨大な蒸気船の頭上には、アドラークレストが飛び回っていた。


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