跳躍する小鳥の刃 8
「……間違いなく、シーグルス帝が絡んでいるわね」
フランは拘束されたまま寝息を立てる少女を見下ろしながら言った。ルプスは常に銃に手をやり、少女の傍らに控えている。僕は黙って頷く事しかできなかった。
仮に僕の疑いが晴れたとしても、少女を巡る問題の発端には僕がいる。そのことがひどく気持ちを重くさせるが、何よりも自分の目の前でその事実を見せつけられたことが罪悪感をさらに湧きたてる。
「……フラン、ごめん。アドラーの大火も、きっとそうだ」
僕の言葉に、彼女は腕を組み、天井を眺める。暗い部屋をガス灯の赤い光が照らしている。
シーグルス兄さんは確かに利益のある者に対して柔和であり、落ち着き払った様子で社交会でも人気のある人物だ。しかし、ひとたび危険だと感じれば容赦をしないのも事実だ。冷酷さにおいては猜疑心の塊のようなヤーコプ兄さんをはるかに凌ぐ。少女の一件は目的の為に手段を択ばない兄さんの在り方そのもののようであり、また、そうであるならば、アドラーの大火もまた、危険因子を排除したい彼の思惑から来たのだと考えることが出来る。
彼が魔女狩りを知らないはずもないし、それを知っているからこそ、プロアニアと戦う事に意味があると判断したのだろう。勝算が明らかな戦いではないからこそ、彼は慎重に、しかしある場面では大胆に、行動を起こしたのだろう。例えば、子供に油断をするであろう僕の寝首を掻こうとし、帰り道がなくなるように後ろ盾を処分したりなどだ。
であれば、少女を巻き込んだのは紛れもなく僕だ。彼女に対する罪悪感と共に、シーグルス兄さんに対する耐え難い怒りが僕の心の中に渦巻いていた。
「気にしなくていい、なんて言わないわ。責任を取って頂戴」
「うん。分かってる」
フランは天井を見上げながら、口の端で笑った。
「しかし、こいつどうするんだ?俺が夜警に渡してもいいんだが?」
「その事なんだけど……連れて行こうと思う」
ルプスは目を見開いて驚く。武器がかちゃりと音を立てる。衣擦れの音と共に、彼は武器を床に放った。
「……まじか」
大きなため息と共に、ルプスは項垂れる。フランは呆れてものが言えないといった具合に、肩を持ち上げた。
「まぁ、そう言うとは思ったけれど」
「ごめん。これは、僕の問題だけど……。解決するためには僕のことを信頼してもらうしかないと思うんだ」
そして、この少女の問題の場合、金で補償できるような問題ではないことが分かっている。この年頃の子供にとって‐というよりも、僕のような狭い領域でしか生活をしてこなかった人間にとって‐親と言う存在は非常に大きな存在だ。僕の父が還俗した敬虔な篤信家でなければ、僕は聖典を手に取り、それを基に辞書を引くこともなかっただろうし、勤勉な彼の下で、帝王学とは別に、騎士道物語を暗唱できるほど読まされることもなかっただろう。リベラルアーツも学んでいるのかどうかという年頃で、既に政治に介入していたシーグルス兄さんやヤーコプ兄さん程ではないが、父親の存在がある程度僕の生き方に影響を与えている事は間違いない。
親と金を天秤にかける事も憚られると言えばその通りだが、貴族である僕は親と金を天秤にかけるような人間たちの噂をよく耳にはしてきた。しかし、大衆の感覚がそれとはかけ離れていることもよく理解しているつもりだ。だからこそ、狭い世界でしか生きてこなかった少女と僕の問題を金に転換することは出来ない。できるのは、僕が、彼女が納得するまで滅多刺しにされるか、彼女が僕に対して一応の理解を持ってくれることを祈るしかない。そして、その為には、僕が人を殺せるような人間ではないことを理解してもらうのが最も早い。いつでも僕を殺せる距離に置き、それでも殺すに値しないのだと感じてもらうしかない。だから、旅に同行させるべきだ、と考えた。
僕は目を伏せる。机上には微かなぬくもりが感じられ、時計の針が何度回転したかももう分からない。フランは少女の顔を覗き込みながら、静かに目を細めている。ルプスは僕の言葉に何を感じたのか、髪をかき乱しながら、意味のない唸り声を上げる。
「明日すぐにここを発つけれど、この子のことは不問として、僕のそばに置く。でも、仮に僕を殺そうとしたならば、その時は、ルプスさん、宜しくお願いします」
ルプスは顔を上げずに頭上で手を振って返答をする。フランは今にも慈しむように少女の寝顔を覗きながら、静かに頷く。
「好きにしなさい。貴方に拾ってもらった命だもの、貴方の選択を否定したくないわ」
「え、意外だな……。物乞いに食べ物をあげた時はあんなに怒ったのに……」
僕がそう言うと、フランは可笑しそうに笑った。
「だってあれは世間知らずだったんだもの。それに」
フランは静かに屈み込む。ベッドの上で寝息を立てる少女は、その余りの心地よさの為か拘束具がなくとも寝返りが打てない程深く寝具に身を任せている。
「この子には貴方を殺せないわ。殺す覚悟があったなら、ルプスの剣幕なんて気にも留めないはずよ」
僕はフランの横顔を見る。そこには静かな怒りと慈悲が入り混じっていた。




