跳躍する小鳥の刃 4
市場を散策していると、巨大なテントが現れた。フランが指さす。
「見世物小屋ね」
「行ってみる?」
僕が訊ねると、フランは微妙な表情をした。僕は見世物小屋の品書きを見るため、テントの前に近づく。テント前の立て看板を確認すると、そこには幾つかの「見世物」が列挙されていた。
『一、世にも尊き断食芸人 半年以上断食を続けた修行者
二、カペルの巨竜 ロートドラン 火を噴く巨竜が目の前で
三、篝月石 世にも珍しい発光する石 触れればヨシュアの加護がある
四、秘蔵の逸品 ムスコールブルクの巨大獣 ジャバウォックの牙』
「ロ、ロートドラン……!」
思わず衝撃が走る。ロートドランとは、巨大な爬虫類、竜の魔物である。蜥蜴や蛇の仲間である竜は、その中でも体格の大きい種であり、その中でも、ロートドランは巨大な竜だ。動きは鈍重で、穏やかな生物だが、呼吸一つで狼を吸いつけ、そのまま捕食してしまう程の力を持つ。古くから尊敬の念を抱かれ続けていたロートドランに関する研究は一等進んでおり、見られる機会が少ないにもかかわらず、その全貌が解明されている。
しかし、ロートドランは僕も見たことは無い。そして、それを見たいと思わない程、僕は好奇心を失ってもいなかった。
「ねぇ、フラン。ロートドラン……」
フランは大きなため息を吐く。僕は腰を下げ、彼女に縋りつくようにして身を乗り出す。自分でも驚くほどの興奮だ。
「本当に、男って変よね」
彼女はそう言いながら、見世物小屋へと入っていった。
巨大なテントの中は薄暗く、外界から差し込む光よりも強い光は見られなかった。ガス灯の代わりに蝋燭を硝子で覆ったものがいくつかあるものの、プロアニアの住宅と比べるとやはりかなり薄暗い。しかし、見世物小屋の、商品を見せるという性質上、これも一つの興味深い工夫と言えるかもしれない。
閲覧料を支払うと、初めて一本の蝋燭を与えられた。ぼんやりと周囲を照らす蝋燭の明かりに当てられ、受付にいた歯抜けの男の顔が浮かび上がる。仄暗い中に深い彫と共に浮かび上がる様は身震いするほど不気味だが、それ以上に、この光によって、見世物小屋の「異質さ」が断片的に解き明かされていた。
壁は麻張りの巨大なテントであり、鉄筋を支柱にして天井を支えている。地面はむき出しのままで、砂利の中に大きな石や、捨てられたごみの類が置かれている。
「足元にはお気をつけて……」
薄気味の悪い笑みを浮かべる男は、やや高い声で囁いた。僕はフランと顔を見合わせる。フランは小さく微笑む。僕は意を決して手を差し出した。彼女はその手を取り返す。ひんやりとした、小さな手が僕の手を絡める。彼女はふっ、と噴き出した。
「女の子の手みたいね」
「そ、そのうち大きくなるから……多分」
僕はやや強くその手を引く。彼女は楽しそうに肩を揺らしながら、僕の早足を軽やかな足取りで追いかける。ドレスの裾を見ても、跳ね返り一つない。僕は更に速度を上げる。彼女は楽しそうに笑いながら、軽やかな足取りを保つ。相手の表情も分からないのに、僕は急に恥ずかしくなってしまった。
檻の前に寄り集まった身分の様々な観覧者は、僕らを一瞥して表情を緩める。道行く視線が妙に生温く、益々僕の足は速まっていった。
「おい、そこの兄ちゃんたち」
不意に、檻の中から声をかけられる。振り向くと、人々が閲覧する檻の中に、不気味に浮かび上がる骸骨のような男が手招きをしている。
背筋が凍り付く。肉は削ぎ落され、衣装はトーガのようにたるんだひだを幾重にも重ねている。頬はこけたというよりは筋肉に張り付いた、と言う表現の方が相応しく、多くの貧民たちと見比べても明らかに見劣りするほど、体の細さが際立っていた。
「おいおい、そんな顔しないでおくれよ。儂は半年も我慢してこの体を作ったってのに。客も皆ロートドランに持ってかれちまってよ。もっと見て、話せもしねぇ竜なんかより、儂と話をしていきなよ」
恐る恐る近づくと、その男は不気味に歯を見せて笑う。くしゃりと肌を歪ませると、張り付いた皮膚も又ひだのように曲がってしまった。
断食芸人である。「断食」を生業とし、「節制」の加護を求める人々に古くから親しまれる見世物だ。近年はめっきり少なくなってしまったが、対面すると、その異質さはやはりどの見世物とも違っていた。断食芸人はガリガリの体にもかかわらず、背筋をピンと伸ばし、もはや歩くことも叶わない様な角ばった細い脚で胡坐を組んでいる。
「半年も。それは、凄いですね」
断食芸人は歯を見せて笑う。
「この興行が終わったらたらふく食わせてもらうよ、その後は、また断食さ。儂はほかの断食芸人ほど我慢が効かんのでね、かわいそうと思うならそこにチップを放り込んでくれや」
そう言って、男は蝋の手前にあるシルクハットを指さした。
「シルクハットはあなたのですか?」
「まさか、それは座長のさ」
断食芸人はにっと口角を持ち上げる。僕はお釣りの四分銅貨を放り込む。彼はいやらしく口を歪ませる。
「毎度、毎度。他の皆さんも、施しをくれたらもう一つ御利益がありますぜ」
断食芸人が呼び込むと、観覧者は顔を見合わせ、財布から小銭を取り出して、つやのあるシルクハットの中に放り込んだ。僕は硬貨がシルクハットを通じて地面に当たる音を聞く。
「免罪符……」
硬貨が箱に反響する音で、人間は救われる。断食芸人はそのみすぼらしい姿で、あれこれと小噺をしながら立ち止まった人に硬貨を投げさせる。断食芸人と言えば、寡黙であり賢者のようであり、問答をすればどこか悟ったような返答をする、自信家の印象が強いが、そういった断食芸人はもう流行らないのかもしれない。過剰なまでの自信の代わりに、卑屈な可哀そうな陽気さを見せ、客を集めるという涙ぐましい努力が必要になってしまったのだろう。それなら、断食芸人など誰もやりたがらないだろう。
「行きましょう」
フランが僕の手を引く。僕は黙って頷き、その場を立ち去った。細い蝋燭の光が足元だけを照らす。断食芸人だけが浮かび上がった檻には、コインが帽子を打つ音が響き渡った。




