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赤髭の王冠 18

 ステラ・フォン・ホーエンハイムは、その時も玉座で圧倒的な風格を醸し出していた。僕は跪き、服従の意思を見せながら、丁寧な挨拶を述べた。ステラは跪く僕を見下ろしながら足を組みかえ、そのでっぷりとした腹を揺らす。突き出た腹が引っ掛かるのか、何度かそのような動作を繰り返し、納得のいく姿勢に行きつくと、一つ満足げなため息を吐いた。


「大地の民として、君に告げなければならない。プロアニアが国王、ステラ・フォン・ホーエンハイムとして告げる。エルド・フォン・エストーラよ、ムスコール大公国に蔓延る下劣な不安分子を取り除け」


 僕は、突然の勅令に目を丸くする。一人の兵が勅書を広げ、僕の前に見せつけた。


「いいのですか?部外者の僕などに、そのような大役を担わせるなど……」


 僕は、陽光を遮る兵士の向こうへと聞こえるように、はっきりと訊ねる。ステラは暫く黙って僕の視線を辿っていたが、目を瞑り、馬鹿にするように鼻で笑った。


「いかにも、疑いなく。朕は君に命ずる。できる限り速やかに、ここを発つがよい」


 兵士が斧槍をカチャリと鳴らす。その音は遥かな天井までこだまする。玉座は微動だにせず、耳打ちをする大臣も口元を覆い隠す。

 この場所では僕は何も見ることが出来ない。外を歩き回った後に、改めて思うのは、貴族社会の狭さと、市民生活の幅広さだ。僕は顔を持ち上げ、令状を見つめる。


 大きく、大きく息を吸い込む。煤煙の残り香と、かき消すように部屋に漂うローズマリーの香、懐かしき王妃の水。僕は形のない香りに背中を押されるようにして、真っ直ぐに令状を見た。


「プロアニアには、不幸な人々がいます」


「ほう、誉れ高き我が国には相応しくない」


「そう、この国には、あらゆる豊かさを享受できない人々がいます。そして今も増え続けている。王よ、いま彼らを救わなければ、革命の歩調は益々我々に近づく事でしょう。もしあなたが、この国を愛するならば、何か手を打つべきです。例えば、職業の開発、国家事業の推進、偉大なる陛下ならば分かるでしょう。金を落とすことの意義が」


「確かに嘆かわしくはあるが、この命とは無関係である。質問への回答をせよ」


 ステラは無表情で回答を催促する。鎧の擦れる音がする。それでもなお、煤煙の残り香は僕の背中に纏わりついて離れない。


「もし、陛下がこの事態を嘆き、手を打つのであれば、私は動くこととします」


「何を馬鹿な事を言っているのか?我が王の財を無為に扱う事はできぬ」


 隣に控えた大臣が反論する。大蔵大臣だろうか、僕は静かに頷く。王は無表情のままで僕を見下ろす。ローズマリーの残り香が牙を研ぎ澄ます。


「……時間を頂こうか。我々の懸念事項も余りにも多い」


「ここで答えて頂かねば、私には決断しかねます」


 僕が即答すると、ステラはあからさまに不機嫌そうに眉を顰める。僕はそれを見上げつつ煤煙を残らず吸い込む。

 時間を与えてはならない。検討されれば、意図的な操作を施した資料を僕に見せびらかすだけだろう。いう事を聞かせるための技術を持っている。貴族とはそういう連中なのだ。

 そして、僕もまた、そうした貴族なのだ。

 時間は凍てついた。戦災の前のような緊張感が伝播する。兵士達の持つ柄に力がこもる。回答を急かすべく口元を持ち上げて勝利の余裕を見せる僕。心臓の高鳴りは最高潮に達し、体中の熱が逃げていく感覚も襲い掛かる。斧槍の先を見つめるだけで、足ががくがくと震える。こめかみに赤い光が当てられ、プロアニアの新兵器が僕に向けられていると気づく。死と隣り合わせの交渉。一生分動き続ける心臓が僕を急かす。眉を顰めたままで固まるステラ。硬直状態は、数分間続いた。


「考える時間もないというならば、我々も答えかねる。まずは君が快諾の意思を示すのが先なのではないかね?」


「いいえ、王たるもの、常に余裕綽々と政治を動かすべきです。今の貴方には、その余裕もないのでしょうか?プロアニアの優れた王よ、その決断力を見せて頂きましょう」


 圧倒的にアウェーな立場にある僕にとって、この緊張感はとても居心地の悪いものだ。早く決断してくれ、内心ではそう叫んだ。それでも、憮然とした態度をとることが、唯一の勝利を手に入れる手段だ。


 暫くすると、奥からまた一人、高貴な人物が現れた。彼はステラに耳打ちをすると、僕に一瞥をやって引っ込んでしまった。ステラは硝子の水差しを持ち上げ、唇を潤すと、大きなため息を吐いた。


「……いいだろう、検討する」


「では、今から差し出す調書にサインをお願いします」


 僕がその紙を兵士に渡すと、兵士はそれをステラに渡した。それを見たステラは、心底不服そうに唸りながら、その紙にサインを残す。僕はそれを三枚分行わせる。


「では、その内二枚を私の下に預けて下さい」


 ステラは顎を使って渋々従った。僕はその二枚に間違いがないことを確認する。達筆が過ぎてアラベスク文様のようなステラの名に間違いがないことを確かめ、押印代わりのサインを確認する。僕はそれを巻きなおし、再び跪いた…


「……陛下、ありがとうございます。これで心残りなく、旅立つことが出来るというものです。どうか、陛下。アドラークレストが貴方の愛する臣民の肉を貪るような世にだけは、しないでください」


 大臣があからさまな舌打ちで返す。僕はステラの言葉を待ち、暫くその姿勢を保った。しかし、ステラからの返答は帰ってこなかった。僕が顔を持ち上げると、兵士達が道を開けていた。その向こうで、杖を三本目の足にして、ステラの巨体が近づいてくる。


「一つだけ忠告しておこう、エルド皇子。臣民はどれも毒牙を持っている。君がどう足掻こうと、変えられぬ世界があるのだよ」


「えぇ。ですから、陛下に、お願いしたのです」


「ところでこの契約は、君の完全な服従という事でよいのかね?」


 ステラは自身の契約書を眺める。僕は一拍おいて、首を横に振った。


「いいえ。文言解釈の通り、それは私の『良心に反しない限りにおいて』全面的な協力をするというものです。そして、但し書きに記載の通り、『自身及び交友関係の領域を侵犯するようなものでない限り、良心に反する命令に対して、乙は如何なる妨害活動もしない』のです。よって、国政に積極的に関与する主旨はありません」


 そこまで言い終えると、何かを叫ぶ大臣の言葉を遮り、ステラは引き笑いを上げた。


「いや、良い。最低限『役に立たぬ』程度の物なのだな。安心したよ」


 王は最後に、初めよりさして期待はしておらんよと言いながら、玉座へと戻っていった。ローズマリーの良い香りが遠ざかる。体中に血が戻っていく感覚に、僕は思わず溜息を漏らした。


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