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赤髭の王冠 15

 オレンジの明かりに満たされたコーヒーハウス「ローレライ」には、入り口正面にステージがあり、女性が美しい歌を歌っていた。雰囲気を壊さない静かな歌声であり、あくまでバックグラウンドに徹する姿勢が、プロ意識を窺わせる。入店後すぐに現れた従業員に従って席に着くと、革製の表紙を持ついかにも高級そうなメニュー表を渡された。


「天井も高いのに硝子なんて、良く崩れないね」


 僕が天井をきょろきょろと見渡していると、フランはメニュー表を眺めながら答える。


「あぁ、それね。何とかという技術で硝子と柱だけで天井を支えているらしいのだけど、良く知らないわ」


「……何も伝わってこない」


「興味がないもの。ほら、速くきめて頂戴」


 彼女はそう言うと、僕にメニュー表を差し出した。僕はそれを受け取り、コーヒー一杯とケーキを、フランも同じものを頼む。フランはわざとらしく「あら、偶然」と呟き、嬉しそうに微笑んで見せた。


「えっと……」


 こちらに合わせたのは明らかであったが、何を言うべきか返答に困っていると、フランは鼻を鳴らして笑った。


 持ち込まれたティータイムのセットはエストーラの高級店にも負けない華やかさであり、少なくとも舌だけは肥えていた僕であっても、一口目で広がるほのかな甘みに思わず口元が緩む。


「……これはロットバルト卿が絶賛するのも分かるね」


「社交会の時は必ず家族で寄っていたけれど、いつ来ても美味しいわ」


 フランは嬉しそうにケーキを頬張り、コーヒーで喉を湿らせる。


 静かと言うには些か騒々しいが、それはローレライに限らないコーヒーハウスの特徴でもあった。新聞を広げながら情報交換と議論を繰り広げ、コーヒーを啜りながら交流を楽しむ。それが、コーヒーハウスの本質であり、話題は当然アドラーの大火に関する話題が多くを占めていたが、その内容は必ずしもグループごとに統一されたものではなかった。彼らは一つの新聞記事を囲みながら、ルーデンスドルフ家のこれまでの行動から、過激派の労働者が突発的に起こした反乱ではないか、あるいは、魔女狩りに乗じてカペルが行った工作活動ではないかといった憶測まで様々な議論を交わし、またそれを前提とした今後の議論も繰り広げていく。良い歌と良い料理を嗜むという至福の時間ではないというのが、コーヒーハウスの特徴なのかもしれない。

 僕が周囲の議論に耳を傾けていると、フランはつまらなさそうに小さく息を吐いた。


「いつもの事よ。コーヒーハウスは下世話な話を聞くのも楽しみの一貫。私達が何を言ったところで、憶測が飛び交うものよ。新聞記事ってそう言うものだもの」


 フランはミルクを追加注文し、飲みかけのコーヒーにそれを入れてかき混ぜ始める。なみなみに注がれたコーヒーは薄茶色のカフェオレに変わる。僕は、静かにコーヒーを啜りながら、あらぬ妄想を垂れ流す人々に背中を震わせた。


「……他人は勝手なものよ。あんな恥ずかしい姿見せてしまったけど、受け入れて諦めてしまえば、あれも気にしなくて済むわ」


「でも、それは……」


 フランはきっと長い間、何かを諦め続けて生きてきたのだろう。ワライフクロウとして生きていた頃に諦めきれなかったはずの物を、人間と言う客観の中で失ってしまったのかもしれない。

 彼女は重そうに目を細めた。カチャカチャとカップとソーサーを鳴らす音があちこちで響く。紙が擦れあう音と共に、話題は死体確認所の話に移っていった。

 誰一人として、フランを気にとめる人はいない。そうであれば、僕らも無関心を決め込むことが正しいのだろうか?


「ほら、話題も変わったでしょ?そう言うものなのよ。大衆っていうものは」


「フラン、やめてよ」


 つい口に出してしまった言葉に、自分でも驚く。フランはカップを持ったまま、伏し目がちな目を改め、視線を持ち上げた。


「お父様が、かわいそうだよ……」


 コーヒーハウスの話題は目まぐるしく変わっていく。地方紙を見ていた人々は、故郷のノスタルジーな話を始め、郷愁を伝え合う。死体安置所の話を続ける人々は、次の罪人の死に際は何かについて盛んに話し合う。正義について話し合う人々は、今もアドラーの大火の頁を広げている。高い天井に吊るされたシャンデリアの明かりはまんべんなく、しかしうっすらと店全体を照らし続けている。悲し気な歌姫の声に、カウンターで紅茶を飲み交わす人々が目を瞑り、軽く肩を揺らす。

 誰一人、他の誰かに気付くことは無い。


「ごめんなさい。それでも、何とか整理して受け入れたいの」


「うん、僕こそ、すいません」


 重苦しい時間が流れる。硝子越しの人々が杖をついて足早に通り過ぎていく。再びコーヒーに手をつけると、焦げた臭いと後味の悪い苦みが襲い掛かった。


「あぁ!お二人様、お二人様!」


 突然遠くから声が響く。僕が視線を向けると、キャスケットを被った少女がピョンピョンと跳ねながら手を振っていた。


「少し、お話良いですか?」


 そう言って駆け寄ってきたのは、エルヴィンと仲睦まじげに話をしていた、新聞売りの少女だった。


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