赤髭の王冠 6
ゲンテンブルクの朝はうすぼんやりとした白い膜と共に始まる。ガス灯の未だ灯るオレンジ色の空に焼かれながら、黎明の奇跡を示そうと足掻くダイアロスの像が佇んでいる。工場の稼働にはまだ時間があるようだが、既に準備を終えた煙突掃除夫達は煙突の出口から這い上がってくる。人影として認識するのがやっとではあるが、顔はきっと煤だらけなのだろう。
宮殿に住む者達は皆夜遅く朝早い生活が常であるが、ゲンテンブルクの霧に乱反射する朝焼けは、時間錯誤を起こしそうなほど明るさを軽減させる。前を向けども見えるのは煙突ばかりでは、気も滅入ってしまいそうだ。
「エルド様、陛下がお呼びです」
ノックの音とほぼ同時に用件を伝えるせっかちな使用人に対し、僕は小さく返事を返した。すぐに服を着替え、扉を開く。目の覚めるような鋭い目をした使用人が、白と黒の制服を着て姿勢よく待機していた。
気の引き締まる思いがする。王の御前に立ち、これから僕は役割を果たすのだろう。しかし、もし彼の望んだ答えを引き出すことが出来なければ、僕はそのまま殺されるかもしれない。相手に嘘偽りなく真実を語るだけでは、生き残れないかもしれない。僕の緊張した面持ちを見て、使用人は肩をポンと叩いた。僕はかえって背筋を伸ばし、強張った笑みを返してしまう。彼は口の端で笑いながら、涼し気に廊下を歩き始めた。
謁見の間ではなく、会議室に連れられた僕は、玉座の代わりにソファが並べられた中に座る。左右に兵士が座り、僕の手を緩く縛って手綱を握った。
そう、僕は客人ではなく、捕虜という扱いで連れてこられたのだ。エルヴィンが知っていたか否かに関わらず、僕に正確な情報を求めていることは疑いない事なのだ。
「間もなく、陛下が参ります。エルド殿下もどうぞ、リラックスしてお待ちくださいませ」
暫くすると、入り口をノックする音が響く。僕は反射的に返事を返すと、巨漢が腹を揺らしながら入場してきた。
「お待たせしたね、エルド殿下。さっそくだが、いくつか質問に答えて頂こうか。まずは簡単な質問から」
「はい」
ステラはソファに腰かけると、引き連れた使用人から眼鏡を受け取る。左右に控えた従者は筆記官の代わりをするようで、素早くペンと羊皮紙を開いた。
「……さて、エルド殿下、貴方は政争に巻き込まれ、逃亡を図った。まずこの事実は正しいかな?そして、この経緯はどの様かな?」
「えぇ。私は何者かにポケットに毒薬の瓶を仕込まれ、濡れ衣を着せられました。そして、拘留中にクーデターが起こり、現皇帝……シーグルス・フォン・エストーラが帝位に就き、やむを得ず亡命したのです」
この経緯に嘘偽りを混ぜ込む必要はないだろう。僕は最早エストーラには戻れないのだから、拠点をプロアニアに移す素地を作らなければならない。問題はむしろ、プロアニアが何を求めているかを探ることにある。そして、それを嘘偽りなく正確に情報を伝える事、そして後ろ盾を作ることだ。
フランの父、ルーデンスドルフ家の庇護を受けられなくなっている今、僕はいつ殺されても何らおかしくはない。
つまり、慎重に彼らの意図を酌まなければならない。
「そうか……。では、質問を変えよう。君は寄る辺なくここまで訪れた上で、私に捕縛される心配はしなかったのかね?」
「しました。それでも、ここまで来るよりほかになかったのです。そして、シーグルス兄さんの下に戻ろうという気も全くしません」
ステラは静かに頷き、前傾姿勢になる。ソファのバネがきしむ音が響き、彼の顔に影が差し込む。
「では、君は、どの程度政治に関わっていた?」
「全く、関わっていません。しかし、提供できる情報はあります」
「ほう、例えば?」
ステラは膝の上で手を組み、微笑を浮かべる。
「既にご存知かもしれませんが……。エストーラはカペルとつながりを強めようとしています。アーカテニアを失った後の確執を払い、教皇から離れようとしている今、シーグルス兄さんが動き出す前から、婚姻の相談を受けたことがあります。つまりは、僕に許嫁を付けようというものです」
ステラの目が見開いた。釣れた、僕はそう確信し、使用人の滑るような手が止まる前に畳みかける。
「そして、ハングリア騎兵達の奇妙な動きを目撃しました。目に見えて豊かになった様子の彼らは、毛皮や、ランプを手に、何者かと話していたのです」
ムスコール大公国の使者であろうことは敢えて伏せる。仮にムスコールブルク政府が関わっている可能性を邪推されれば、僕をエストーラに明け渡す代わりに、などと言う利用のされ方をされかねない。あくまで僕は「有益な情報をまだ持っている」という認識を植え付けなければならない。毛皮もランプも、ムスコールブルクからもたらされたものか、プロアニアからもたらされたものか判別できないだろう。つまりはいずれかに裏切り者がいる、と言う情報に抑えることが重要だという事だ。
ステラは獲物を捕らえた熊のように、白や黄色の歯をむき出しにする。爛々と輝く瞳の中に、確かな手ごたえを得た快感を垣間見ることが出来る。
「……では、エルド殿下、私からは今一つの質問をしたい。これまでの話に嘘偽りがないとして、貴方の兄、シーグルス陛下は如何ほどの実力をお持ちだろうか?魔術不能の多きエストーラ、プロアニアであっても、彼は魔術師であると聞く」
僕は一瞬表情を強張らせた。ステラの質問の意図がいずれであるかによっては、僕はエストーラの無辜の民を傷付ける事になるだろう。もはや過ぎた話と受け入れる事も出来るだろうが、そう納得したうえでも、僕の中に苦しい思いが残るのは疑いない事だった。
ステラは試すように僕を見る。これはつまり、間接的な「脅し」なのだ。君は私の味方か?或いは、中立か?という意思確認なのだ。
使用人が筆を休める。彼らの鋭い視線が僕へ向いたとき、室内に凍てつくような冷気が漂い始めた。
ゾクゾクとする背中から滲む脂汗、それを一瞥するステラの余裕を含んだ笑み。漂う冷気が体温を奪い、唇が重くなる。
僕が、今、答えるべきことは……。
「……堅牢な自衛の魔術を持っております。重力を真下にかける動魔法を使い、ある程度の範囲ならば攻勢を防ぐことでしょう」
嘘は吐かない。しかし、望んだ答えは提供しない。僕はカラカラになった唇を軽く舐め、眼前の巨漢の反応を待った。
「えぇ、確かに。そのお話はよく伺っている。では、彼が戦役で前線に立つ可能性は……?」
「陛下。先程最後の質問、と仰いましたが、お時間は大丈夫なのですか?私は逃げる場もありません。まずは陛下の事情を優先されてはいかがでしょうか?」
融和の意思表示と、断りの意思表示を混ぜる。ステラは暫らく私を睨み付け、時計の音に耳を澄ませる。僕はどれだけ脂汗が吹きだしても、視線を逸らさないように彼を見た。それだけが、僕の意思をしっかりと伝える事になると信じて。
どれほど時間が経っただろう。空に太陽がしっかりと照り付ける頃に、ステラは口角を持ち上げた。
「よろしい、貴方の誠意を信じよう」
同時に、彼は立ち上がり、さっさと部屋を出る。そして、使用人四人が立ち上がり、僕の手錠を引きながらゆっくりと部屋を出た。
「よく頑張りましたね、エルド殿下。私まで緊張しましたよ」
僕を案内してくれた使用人が心の底から漏れる小さなため息を吐く。僕は、大きなため息を吐いた。
「陛下の迫力が凄いですから……。でも、僕には僕の意思があるので」
使用人は一瞬驚いた表情を浮かべ、次には柔和に微笑んで見せた。
「……お疲れでしょう。エルヴィンが城の前で待っておりますよ」
「エルヴィンが……?」
「えぇ、大事な客人をもてなすのは、貴族の義務ですからね」
使用人も又貴族の出身者である。僕は緊張感が一気に解け、「はい!」と大きな返事をした。
霧が晴れ、代わりに煤煙が立ちこめる。城門に控えるダイアロス像の背中が、何故が心強いもののように思えた。




