赤髭の王冠 5
「アドラーの大火をどう読むかね?」
王は玉座の代わりに革製のソファに腰かけ、くつろいだ様子でコーヒーを啜る。外務官達の機密文書は机上に積み上げられ、重厚な黄金の印鑑と、良質なインクの甘い匂いが立ち込めている。
私は宮仕えの使用人たちが運ぶ炒ったコーヒーの香り高さと共に、自らの安いインクの匂いを吸い込んだ。
「……えぇ。魔女狩り事件と無関係ではないかと」
私のお茶を濁すような回答に、ステラ陛下は鼻を鳴らし、背もたれにその巨躯を委ねた。
「なんだ、それは。私の望んだ回答ではないな」
「王は、まさかエストーラの一件と関係があると思われるのですか?しかし、そう判断するには余りにも証拠が足りません。まして、魔女狩りの波はエストーラからは距離を置いた、ホスチア独自の問題でしょう」
これは紛れもなく、一般的な見解であった。魔女狩りの伝播は南プロアニア各地に飛び火しつつあるものの、蚊帳の外である北方プロアニア、また、エストーラを見て回った私の肌感覚としても、その流行が外部に伝染しているとは考えづらい。その上、プロアニアの秘匿性は各国でも有名なもので、エストーラの王宮まで、その情報が伝わっているとは考えられない。
何より、エルドの言動から、聖典派が主流に移りつつあるエストーラ側が、積極的にプロアニアに中指を立てるとは考えづらい。
「皇帝選挙の事を引き摺る気持ちは分からなくもありませんが、最早名ばかりの地位に、あの聡明なシーグルス・フォン・エストーラが目を奪われるとは考えづらいでしょう」
私は、王の思考を先取りして答える。謁見の間とは異なり、書斎は王宮のどこよりもシックな外観をしている。その中で威圧感を増す王は、私に心底呆れたという風に溜息を吐いて見せた。
「問題は、その中の散り散りになった領主たちだ」
「聖典派への方向転換……。まさか、そんな……!」
陛下は私の報告書を確認しながら頷く。暖炉代わりの湯沸かし機が濛々と湯気を立てる。
「プロアニア側から同盟を切り崩すのを待っているのだ」
即ち、プロアニア領に所属する旧時代の遺産、封建領主‐現在プロアニア国内では貴族議員と呼ばれている‐者達を寝返らせ、プロアニア国内で内紛を起こそうとする。貴族議員は、プロアニアの一領主であると同時に、皇帝に忠誠を誓う旧封建領主でもある。プロアニア側の内紛への抵抗は「帝国領内」での内紛、即ち、皇帝への反逆でもある。今回の「アドラーの大火」は、魔女狩りと結びついた排斥運動の一貫として見る方が自然に思えるが、その実、既に寝返った領主達からの攻撃であるとみる事も出来る。
「し、しかし!プロアニアは最早帝国から切り離されている土地が殆どです!領主とて、皇帝が金貨を鋳なおす特権を持っている程度の認識しかないはず!今更帝位についたエストーラ大公を持ち上げるのでしょうか?そのために、果たして、プロアニア王国に喧嘩を売るのでしょうか?」
仮にアドラーの大火がエストーラ側の差し金であったとしても、それはやはりプロアニアへの侵略行為である。侵略行為を行う事は、一世紀以上も続く四か国不可侵協定の反故であることは疑いない。それが認められれば、カペル、プロアニア、ムスコール大公国の連合軍がエストーラに押し寄せる事になる。流石に危険な橋と言わざるを得ない。
それでも、陛下は気難しい表情で答えた。
「今だけは、彼奴に出来るかもしれんのだよ」
「……どういうことですか?」
陛下は静かに立ち上がり、自分のデスクから二枚の報告書を取り出した。一枚は西の大国カペル内部の諜報員の報告書で、もう一方は北方の毛皮の覇者、ムスコール大公国在プロアニア大使からの報告書だった。
諜報員の報告によれば、カペル国内はアーカテニア王位継承権の実質的な獲得に浮足立っており、軍事から重商政策への方向転換を行っているとのことだ。これは、エストーラ一族のアーカテニア王位継承権の放棄、その代償としてカペル王国は皇帝選挙権のエストーラへの恒久譲渡、そして相互不可侵の確認という、皇帝権威の失墜を象徴する事件の結末によって引き起こされた、エストーラの敗北の結果だ。より正確には、先々代皇帝の突然死により、先代皇帝であり、シーグルスやエルドの父であるレーオポルトが帝位につかざるを得なくなったために、両国統治が困難となったエストーラ側の妥協の産物である。皇帝が二国を治める失敗は、過労だけにとどまらず、国家そのものの統治機構の疲弊に繋がることが立証されていた事から、彼らはアーカテニアを手放さざるを得なくなったのだ。
そして、この結果は、カペル王国民がエストーラ側に対する認識を改めるきっかけにもなったようだ。長らく対立状態にあった両国が一旦いがみ合いをやめたことで、エストーラは俄然動きやすくなったのだろう。
そして、もう一方の報告書が、最も衝撃的な物だった。
ムスコール大公国からの嘆願書と名付けられた報告書の主旨は、ムスコールブルク内の不安分子が動き始めた、と言うものだ。
ムスコールブルクを実質的に支配する宰相一族ローマン家は、長らく安定統治をモットーとしてプロアニアと共同で技術開発を続けた、いわばプロアニアの盟友である。毛皮交易による莫大な財産と、巨大な領地からもたらされるガス資源は、毛皮の中間交易地であり、ガスの最終消費地でもあるプロアニアとムスコールブルクを大いに潤わせた。
しかし、安定統治はそのまま世襲化、権力の一極集中化を招くきっかけも作ったようだ。結果的に不安分子が生まれたのは、最近の事であるが、ムスコール大公国官吏を含む、各国の高級官僚の誰もが財力で解決できると考えていた。
しかし、つい最近プロアニアに齎されたこの報告書には、ローマン一族とムスコール大公の地位を脅かす勢力が如何に強力かを示していた。
つまり、彼らはあろうことか金に目が眩まなかったのである。古くから軍事偏重の国ではなかったムスコール大公国にとって、これは大きな負担となった。急遽盟友プロアニア大使に救援を要請し、その代価として関税を一時的に撤廃しようという旨の要請を出したのだ。そして、これは、単純な反政府勢力によるムスコール大公国の危機を示すだけではなく、ムスコール大公にはプロアニアに軍を貸す余裕がない事をも意味する。それは結果的に、資源の乏しいプロアニアに急襲をかけるきっかけにもなる。
エストーラ側がこれだけの情報をいち早く準備できるとは私には到底信じられなかったが、仮にすべての情報を把握しているのであれば、アドラーの大火はプロアニア侵攻の第一段階となる。プロアニアがホスチアに住む無辜の一般人を処刑すれば、その不満は大いに高まる。同様に聖典派の領主を擁するエストーラ側に靡かないとはとても言えないのだ。
「その仮説を証明する為に、陛下はエルド様がどの程度の情報を把握しているかを知りたかったのですね?」
王は頷いた。私は背筋が凍り付く感覚を覚える。孤立無援となったプロアニアが、内部紛争と同時にエストーラを相手取ることは出来ないだろう。エストーラには何としても、この戦いを「諦めさせる」必要がある。そしてそのための鍵となるものは‐。
「無論、ムスコール大公国の安定である」
いよいよ私達には、氷河が溶けぬように、背後に迫る戦火の恐怖をかき消す必要が出てきたのだ。




