赤髭の王冠 1
王都ゲンテンブルク。霧と煤煙の都と呼ばれ、長らく閉鎖された環境の中で技術を磨き続けた。北方プロアニア最大の都市は、その在り方の何もかもが、故郷ノースタットとは一線を画していた。
霧の臭いはこれまでの町と比べようもなく濃く、油の匂いも漂っている。火を噴く煙突を指さしたエルヴィンは、それを「採油場」と呼び、ルプスと傭兵団ですらその余りの激しさに驚愕する。巨大な煙突がもくもくと煙を巻き上げる、プロアニア都市の光景に混ざって、火を噴き上げながら天を覆うその威容は、神話の篝火と見紛うものだった。
名工ダイアロスを信仰するプロアニア人は職人気質で、黙々と一つの事をこなすと言われている。生真面目で面白みがない、商人としては三流、などともいわれ、黒や紺の地味な民族衣装も貴族達からは大層評判が悪いが、この立ち上る炎の威容は、多くの者を驚かせたに違いない。百年前の記録にそのようなものはなかったから、これは最近できた設備なのかもしれない。
要塞に張り巡らされた法陣は、簡単に解読できないようにダミーが組み込まれていた。これも、これまでの都市とは異なる特徴だ。同じように精巧に模写をしたとしても、法陣の仕組みを理解することはまるでできない。一つ一つが、構築には知識を前提とするという法陣術最大の特徴を活かした、精巧な逸品だ。
しかし、何よりも僕を驚かせたものは、道路を走る鉄の馬だ。
鉄の馬、と言うと奇妙な印象を抱くだろう。正確に表現するならば移動する鉄製の荷車で、御者台にいる身なりのいい男が円形の舵を取ればその方向に車輪を動かす。陸上を動くガレオンとでも表現すべきだろうか。馬車用通路では窮屈でならないのか、彼らは有料の車道を、目にも止まらぬ速さで渡る。この有料道路が敷かれた橋の下は、エルヴィンと同様に馬車を操る人の群れが、僕らのよく知る速度で整列している。
交通整備員のハンドサインにも慣れた僕は、真上にある車道を何度も見上げて確認していた。そこには交通整備員がいないらしい。何が面白いのか、フランはくすくすと笑っているが、果たしてこれを見て驚かない者がいるだろうか。走る鉄の馬と専用道路、火を噴く煙突など、腰を抜かさない方がおかしい。首都と呼ばれるに相応しい、驚愕の技術力だ。
しかし、その一方で、芸術には疎いらしい。エストーラは教会建築と壮麗なオペラ座、オーケストラ劇場が立ち並ぶ芸術通りがあったが、ゲンテンブルクには殺風景な白い壁が立ち並ぶばかりだ。勿論、煙突などの背の高さは凄まじいが、それも外壁としてみれば余りにも殺風景だ。幅広で窓と窓の隙間が狭い集合住宅は、建築技術こそ高いが絢爛さは一切なく、教会建築も確かに美しいが、技術的には飛びぬけたものは微塵もない。鐘楼はそれなりに高いが、火を噴く煙突を見た後にそれを見上げても、神の威厳は微塵も感じられない。むしろ、神の怒りを借りそうな火を噴く煙突の方が、ずっと神らしく佇んでいる。
「ははは、凄いでしょう?首都ゲンテンブルクは、あらゆる技術の集積された、巨大な図書館なのですよ」
エルヴィンが自慢げに鼻を突きあげる。彼が稀に見せる祖国自慢は、本当にプロアニアに誇りを持っている事が伝わってくる、微笑ましいものだ。
「でも空気は最悪でしょう?昔からそうなのよ、ここ」
フランは煤煙を鬱陶しそうに見つめ、髪を払う。彼女はプロアニアに恨みでもあるのだろうか。そう思う程に刺々しい。
「すげぇなぁ、これは」
「ルプス様は初めてですか!そうですか!」
エルヴィンは実に楽しそうに反応する。勝ち誇った表情を浮かべているのが背後からも伝わる。
「エルヴィン様ぁ!馬車はどうしたんですかぁ!?」
通路から呼び声がする。キャスケットを被った新聞売りの少女らしい。女性が働くというのも、ゲンテンブルクの特徴なのだろうか。
「あぁ、君か!道中色々あってね!夕刊は後で家に届けておくれ!」
「りょーかいですっ!」
眩しい笑顔で手を振る少女は、風のように走り去っていった。ルプスの後ろに乗ったフランがニヤつきながらエルヴィンを見つめる。エルヴィンは気づかないふりで前に向き直った。
駆け抜ける少女は夕刊の見出しを喧伝する。
「号外!号外!アドラーの大火、あのアドラー宮が大火事、大事件だよ!買った、買った!」
「ちょっ、停めてっ!」
フランがルプスの背中を叩く。ルプスは鬱陶しそうに振り向き、速度を緩めた。
「ちょっ、待てって!」
交差点を過ぎたあたりで停まった馬から飛び降りたフランは、すぐさま少女の背を追いかける。あまり走るのには向かないドレスをたくし上げ、甲高い声で叫ぶ。
「お待ちになって!一部頂けますかしらぁ!」
道行く人がぎょっとするほどの大声に、少女はびくりと反応して振り返る。
「エルヴィン、フランってお金持ってたっけ?」
「……追いかけましょうか」
エルヴィンは交通整備員の指示に従いUターンし、少女のいる道の向かい側に移動する。足を止めた少女はフランのお陰で立ち止まった人々からも金を受け取っているらしい。笑顔で夕刊を配って回り、人々は食い入るように記事を読み耽った。
顔面蒼白のフランを認めた少女は、思わず顔を顰め、荒い息を立てるフランを気遣うように支えた。呼吸を整えつつ、フランは険しい剣幕で少女を見返す。
「いいからっ、おひとつ下さいな!」
少女は支払いを待っているらしいが、フランはその手から一部を鷲掴みにして奪い取った。少女が「あぁっ!」と声を上げて手を伸ばすのも構わず、フランは新聞を凝視する。そして、暫く硬直し、力なく新聞を落とした。
「あぁ、何てこと……」
僕達が少女の前についた頃には、少女も最早支払いを請求する雰囲気ではなくなっていた。崩れ落ちそうなフランを慰める言葉も、僕には見つからなかった。
道行く人々は、彼女を一瞥するだけで、さっさと霧の向こうへと消えてしまった。




