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川向かいの同胞へ 15

 熊からの逃亡の最中、僕達は偶々兵士達の怒号を聞いた。森中に響くほどの騒音は確かに野蛮に思えたが、僕は、彼らの覚悟と誇りを馬鹿にできるほど、高貴な人間ではないし、また強さも持ち合わせていない。彼らの声を聞きつけたルプスは僕と共に物陰から偵察を行い、粛々と墓を作り始めていた。ルプスはその姿に感動したためか、真剣な様子で後ろ姿を追いかけていたが、僕はやや冷ややかに彼らの行動を考察していた。


 これは使えるかもしれない……。息を殺して偵察をしていた僕は、彼らの行動の中に、軽率さを見出していた。

 カリストーという魔物は、獲物に対する執着心が非常に強い。獲物を捕らえ、それを横取りされた場合には、容赦なく襲い掛かるのだ。僕が早々に逃げる選択を取ったのは、単純な力に対する恐怖だけではなく、このような性質上の危機感からもあった。仮に荷物を取り返そうものならば、僕達はカリストーとエーゲンベルトの追手という、双方からの逃亡を試みなければならなくなる。傭兵団との契約も、破られないとも限らない。そんな緊張感の中では、敵は出来るだけ少ない方がいい。

 僕は多少悩んだ末、意を決してルプスに耳打ちした。


「ねぇ、少し危ないけど、僕の意見を聞いてくれますか?」


 ルプスは視線だけを僕に送り、背後を警戒しながら僕を担ぎ上げる。声を上げそうになる僕の口を強引に塞ぎ、踵を返してその場を後にした。


「……どんな意見だ?」


 木々に紛れた焦げ茶色のレザーが擦れ、僕の口元に近づく。やや姿勢を低くした彼は、息を殺して目を閉ざす。僕は耳元で細やかに案を伝える。危険性はより正確に伝わるように、大仰かつ詳細に、案の不確実性も又正確に。そして成果はより控えめに、しかし方法から読み取れるように。全てを聞き終えたとき、ルプスは八重歯を見せて不敵な笑みを浮かべる。

 創作者たちの焚火がオレンジ色の仄かな光を灯す。カンテラは枝にかけ、灰がちの焚火は虫たちをかき集める。

 遠目にも目立つその灯りを見やり、ルプスは軽快に答えた。


「お安い御用だ、坊主。じゃあ、まずは下準備だな?」



「はい」


 確信に満ちた彼の鋭い眼光は、確かに獲物のオレンジ色を捕らえていた。僕は、息の詰まる緊張感を抑えるために、ゆっくりと深呼吸する。踵を返した二人は、慎重に、追手の宿営地から離れていった。



 森の闇の中に蹄の音が響けば、誰もが不信感を抱く。慎重に進めるべき作戦はしかし、大胆な挑発があって初めて成立するものだ。エーゲンベルトと竜騎兵の警戒心がピークに達したのは、斜陽の届かない薄暗い茂みを歩く時だった。

 馬蹄銀の重量感が泥濘に沈む中、彼らは周囲を警戒し始める。徐々に近づく大胆な馬の嘶きの方向に、彼らは一斉に銃を向けた。


「総員、警戒!左方向、後方に警戒せよ!」


 エーゲンベルトは叫ぶ。彼の基準は当然彼の進行方向を基準としている。訓練された兵士達に、それを見誤る物などいない。また、彼らは下馬し、確実に相手を撃ち落とすべく準備を万全に整えていた。


「だからお前らは遅いんだよぉ!」


 前方からの銃撃と同時に、竜騎兵一人が脳天を撃ち抜かれる。銃撃から数秒かけてゆっくりと倒れ込んだ彼を囲い守るように穴を埋め、兵士は弾幕を撃ち込む。馬の嘶きに手ごたえを感じ、彼らは再度陣地に散会し、後方より迫る集団の影に発砲する。数発が何者かの足に的中し、野太い呻き声が聞こえる。


「そうだ、討て、討て!」


 兵士達は掛け声を掛け合い、姿の見えない敵とも対峙する。波打つ雑草のなびきに弾丸を放てば、彼らは時折確かな手ごたえを感じる。彼らはその度に、互いに「討て!」と声を上げ合った。

 泥濘に刻み付ける馬蹄の足跡は、泥を撥ねながら銃声とは違う高揚感を彼らに与えた。血の滴る音によく似た泥の音が、彼らの戦士としての感覚を研ぎ澄まさせる。高揚感に昂った感情を、彼らは銃を持つ手にぶつける。


 エーゲンベルトは顎を摩りながら、直近の兵士一人に耳打ちをする。兵士はエーゲンベルトから若干の距離を置きながら、声を上げた。


「敵兵、逃走体勢に入った!前方のリーダーを討て!」


 竜騎兵達は馬に飛び乗り、手綱を取る。示し合わせたように嘶く馬の一団は、ぬかるむ大地を蹴る。泥を掻き分けた竜騎兵達は、背の低い男の背中を捉えた。


「へっ、流石にきついなぁ!どうも!」


 彼は疾風の如き速度で馬を操り、弾幕の隙間を駆け抜ける。無作法な馬術に竜騎兵達は彼の風を受けて加速し、狙いを定める。

 傭兵の奇襲に備え、今度は竜騎兵達の銃口を背後に向ける。彼らも無能の集団ではない、蹄と馬の嘶きに耳を澄まし、同時に野蛮な指導者の背に照準を合わせる。


 そして、エーゲンベルトは、彼の聞きなれた声が追いかける者の腹の前から響くのを聞き逃さなかった。


「今だ、エルヴィン!!」


 左方向から竜騎兵の呻き声が聞こえる。何者かが落馬した。踏みつけた違和感に速度を緩める後方の竜騎兵達に、エーゲンベルトは声を荒げる!


「騎士の忠誠はその程度か!」


 しかし、掛け声に気付いた兵士が速度を上げた時には、照準を合わせたはずの背中は既に視界から消えていた。


 エーゲンベルトは直ぐに左へとターゲットを移す。思わず吹き出すほど質素な馬を操る男が、木々の間を縫って遠ざかっていく。弾幕は黒き森に阻まれ、彼の姿さえ見失った。

 エーゲンベルトは癇癪を起しそうになるのを抑え、落馬によって轢き殺された兵士の傍に放り投げられた、膨らんだ頭陀袋を見て鳥肌を立てる。

 爆弾ではないか?彼の脳裏に不安がよぎった。彼は慎重にそれに近づき、恐る恐る袋の中身を開ける。ダイナマイトと同じ赤土の色に悲鳴を上げそうになるが、直ぐにそれが恐怖の対象ではないことを理解した。

 それは、エストーラ貴族の誇りともいうべき、家紋付きの煌びやかなボタンが付いた衣服、プロアニアで人気の宝飾品がいくつか、数多の食料、そしていかにも頑丈そうな兜だった。

 エーゲンベルトはみるみる笑みを零す。これはつまり、敵の弾薬が底を尽きたことの証左ではないか?思えば先程の銃撃戦で、弾幕を浴びせたのはこちら側だ。要は、あれらは最早逃げる事しかできないのではないか?


 彼は意気揚々と上衣を掲げて見せた。竜騎兵の歓声が響く。エーゲンベルトは弾んだ声を張り上げた。


「さぁ、この調子だ、彼らを殺せ、殺しつくせ!今や彼らは袋の鼠も同然、広大な森林に身を隠すばかりの、恐怖に打ち震えた犬コロに、悪戯の制裁を受けてもらおうではないか!!」


 兵士達の大歓声は、夜の帳が落ち始めた森中に響き渡った。彼らは馬に跨り、誉れ高い軍神オリエタスを讃える軍歌を歌いながら、意気揚々と彼らの獲物に向けて馬を走らせた。

 軍歌の響きに鼓笛隊など不必要なほど、彼らは自分たちの業績に誇りを抱き、高揚感を維持したままで大きな声で歌った。

 その声が、あらゆる動物達を混乱や不安に陥らせ、鳥は飛び立ち、栗鼠は樹洞に身を隠した。そして、彼らの声に向けて、線の細い狼の遠吠えが返された。


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