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川向かいの同胞へ 11

 闇の中を闊歩する蹄の音は甲高く空へ響き、無数の木々の空間に反響する。車輪の音は益々目立ち、烏の鳴き声や彼方からの遠吠えと打ち消し合っていた。


 深い闇となり、一寸先も見えない森林の中で、エルヴィンは時折視線を動かしながら、慎重に道を進んだ。

 鎧から脱出したフランはヤトを膝に乗せながら、荷台から後ろを覗き込み、僕は、護身用に石を砕いてナイフを作っていた。

 二人分のナイフを作り、床の上で切れ味を確認すると、如何に鉄器が偉大な発明であるかを認識することが出来る。僕はナイフを濫造し、今日だけはメモ帳をポケットに仕舞っていた。


「……これからどうするの?追手が来なかったとして、出られるのかしら?」


 フランがきょろきょろと木々の間に目移りさせながら呟く。エルヴィンは唸り声を上げた。


「川沿いを歩けば集落が現れるはずですが……」


 エルヴィンはそこで口を噤んだ。集落があるか否か、というものは、現在は重要な問題ではない。生き残ることが出来るのか、という問題が、もっとも大きな問題なのだ。


「森の中にはいろんな動物がいる。勿論、魔物もいる。でも、何よりも、地理が分からない」


 フランは絶望を吐き捨てるようにため息を吐いた。エルヴィンの地理に対する知識は確かにかなり正確ではあるが、流石に森の中を全てフォローしきれるものではない。だからと言って、森の外に出ることは憚られた。追手がどう動いているのかも分からないのだ。

 僕は時々石のナイフで木を傷付けてこそいるが、それも気休め程度の意味しかないだろう。結局、僕達に出来ることは、定石どおりに

 川縁を馬車で進むしかない。


「……星が綺麗ね」


 フランは突然呟いた。僕はナイフを砕く手を止め、空を見上げる。

 影を落とした血管のような枝の隙間には、確かに満天の星空がある。月は異様に美しく、晴れた霧の為にその瞬きは直接目に届く。

 一つ一つの星は小さなままでも、僕達の視界には無数の瞬きが届く。微かな光から、眩い光まで様々で、その一つ一つが自分たちを主張し合っている。


 かつて、一面に硝子を張った星見台を作った聖マッキオ教会では、三代の天才が生まれたのだという。天文学と算術、史学に精通した異端の魔術師、チコ・ブラーエ。今では公然の事実となっている彗星の運行と、重力の仕組みを発見した、三代髄一の努力家、ユウキタクマ。そして、ユウキ博士の遺志を継ぎ、日食や月食の仕組みを解き明かし、その地位を確固たるものとした博士にしてドージェ、エンリコ・ダンドロ。

 かつて星見の殿堂とまで謳われ、聖マッキオ教会を世界の標準時とされた水の都ウネッザも、今はエストーラ領ウネッザとして大国に飲み込まれている。この満天の星空は、彼らが見ていた世界とどれ程違うのだろうか。


 馬車が速度を緩めた。僕が不審に思って目を凝らすと、彼方に小さな木造の家が並んでいる。エルヴィンは僕に目配せをし、僕もフランと相槌を打ち合う。

 馬車はそのひっそりとした集落のようなものに向かって、再び動き始めた。



 その建物群は、先程遠目に見た時とは違い、集落と呼ぶには些か怪しい雰囲気が漂う。

 通常の集落であればより豊かな畑があるだろう場所には武器庫があり、生計を立てるには余りにも心許ない小さな畑が二つある。株とジャガイモが植えられたその畑には、普段から手入れされた痕も残されていた。


 貧相な建物群とはいえ、流石に一日二日で造れるような規模の建物ではないため、追手との関係者が設けたものとは考えづらい。

 しかし、他に寄る辺もないため、エルヴィンはその扉をノックした。


 暫くすると、扉の郵便受けから矛先が突き出してくる。エルヴィンは咄嗟の所で矛を避け、銃に手をかける。僕はフランを庇う形で手を差し出す。


 張り詰めた緊張感の中、屋敷の主人と思しき人物は大きなため息を吐いた。


「何者だ、お前たち?俺達がどういう人間かわかってきてんなら、用件を告げろ。分かってねぇなら中に入れてやる」


 僕が答えようとすると、エルヴィンが僕の口を塞ぐ。森の騒めきがおさまるまで、エルヴィンはその姿勢のままで扉を睨み付ける。


「ええ、勿論。貴方方の事はよく存じております。ザック地方の狼軍団。貴方方に依頼があり、訪問いたしました。しがないゲンテンブルクの一貴族で御座います」


 エルヴィンはあくまで柔らかい口調で答えた。主人は暫く矛を突き出したままで待機していたが、エルヴィンが銃から手を離すと、矛を中へと仕舞った。


「見えねぇな。なぜわざわざゲンテンブルクからここに?」


 エルヴィンは仮面を取り出して被り、後ろ手で僕らにも渡す。僕はそれを受け取り、やや顔に不釣り合いな仮面を被った。


「えぇ、えぇ。私達、実は追手を撒くのに手間取っておりまして。少しお手伝い頂ければ、と」


 エルヴィンは王国旗付きの小切手を取り出し、そっと郵便受けに差し込む。あくまで手で小切手を握ったまま、相手の反応を窺った。


「……いいだろう、通れ」


 扉が開かれると、僕は思わず声を上げてしまった。

 夜の闇に目立つ明るい栗色の髪と、ギラギラとした深紅の瞳。皮の鎧で身を包む、目つきの悪い背の低い青年だった。僕ほどではないが、やはり小柄で、真っ白な肌は薄暗い家の中で発光しているようにも見える。


 その男は、八重歯を見せて不敵に笑う。


「さっさと入れよ。歓迎するぜ」


 エルヴィンは振り向き、僕達に首で指示をする。男の視線を背中に受け、僕たちは入場した。


「……それで?」


「私と、この少年が追手を撒き、ゲンテンブルクに到着するのを手伝ってほしいのです」


 男は僕に視線を送る。僕が軽く会釈すると、男は腕を組んだまま、返事もせずに服をまじまじと見つめた。


「……ふぅん、そういう事か。いいぜ。だが、小切手は止めろ。俺達は一応札付きだ。ある程度猶予はやるが、現金で寄越せ」


 男が手をつき出す。エルヴィンは懐から重い金貨袋を手渡す。男が中身を確認すると、小さく鼻で笑い、袋ごと背後に放り投げた。


「ま、前金だな」


「えぇ、成功報酬は保証いたしましょう」


 男は頷き、家が揺れるほどの大声を張り上げた。


「お前たち、仕事だ!ゲンテンブルクまでの護衛、森を突っ切るぞ!」


「おう!」


 鼓膜を破らんばかりの大声で、姿の見えない男たちは返事をする。同時に部屋の明かりが灯り、屈強な、傷だらけの男達を侍らせた、小柄な男の姿が浮き上がった。男は不敵な笑みを湛えたまま、狼のように牙を剥いて笑う。


「案内する、今日はここで休め!」


 僕がその光景に恐れをなさないはずもない。大量の金貨袋と、血印付きの帳簿、そして無数のハルバートが差し込まれた木箱。そして、箱庭で暮らしていた僕にとって、僕の二倍ほど腕が太い、むさ苦しい男達に囲まれている現状は、魔物以上の衝撃を与えた。


「坊主、絶対、俺とそこの親父から離れるなよ?追手と俺達のどっちから殺されるかわからねぇからな?」


 僕が縮こまると、エルヴィンが咳払いをする。男は「冗談だ」と、哄笑した。森を揺さぶる笑い声に反応するように、彼方から、狼の遠吠えが響き渡った。


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