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川向かいの同胞へ 5

 毛皮を巡る人類の旅路と言えば、伝承に準えるならばケンプの羊毛伝説が最も古い。ケンプとは、現生生物の一種で、現在でも魔術羊毛の原料とされるケンプ毛は、神代には黄金の羊毛として度々登場する。

 この、「金羊毛伝説」は、旅人の神聖マッキオの旅の最中出会った若人が、マッキオの姿に憧れを抱き、旅人となることを決意することから始まる。彼はその資金を集めるために、羊の皮を川床に浸し、その資金を集めた。しかしうまくいかず、ケンプの皮を用いるとうまくいったという。

 彼はマッキオの後を追いかけ、多くの試練を乗り越え、王女を迎え入れて船団を用いて旅を続ける。そして、白い賢者に認められた若者の英雄的な失踪によってその物語の幕は閉じる。

 また、各地で語り継がれる空飛ぶケンプの伝承においても、彼らはしばしば黄金の毛と羽を持った姿で描かれる。


 そして、金羊毛伝説の最後に現れる白い賢者こそ、僕らが王権の象徴として羽織るアーミン、即ちオコジョであり、彼らは「伝説の英雄を破り、王権を奪い返した者」として、力強さの象徴、あるいは、「英雄を惑わした大賢者」として、高貴と美の象徴として、好まれるようになった。

 そして、彼らはその唯一の罪「英雄を惑わした存在」として背教者とされ、人間に狩られる運命を負っている、というのだ。


 ともあれ人間は、古い歴史の中で、自然を支配するものとして、毛皮を誇示するようになった。現在まで継承され続けているこのエゴイズムは、教会勢力の分裂と漸減的な衰退によって力を強めた貴族達によって、更に加速した。


 禁欲的な教会と違い、世俗に汚れた貴族一門は、際限なく毛皮を消費するようになり、ムスコール大公国の東方進出に拍車を掛けさせた。


 俯瞰してみると、技術大国となったムスコール大公国に踊らされている貴族達というのは、中々に滑稽に思える。


 僕は思わず溜息を漏らした。エストーラにいた頃、ヤーコプ兄さんが執心していた毛皮蒐集は、外交的には非常に「まずい」取引だったのではないか、と思ったためだ。ムスコールブルクの秘匿された新天地開拓の資金として、一役担ってしまったのだから、滑稽というほかない。

 その点、プロアニアは国内で既に「生産地」を確保しており、駅まで設けた上で交渉の席に立っているのだから、やはり優れた指導者がいたのだろう。


 途端に故郷が恥ずかしくなった僕は膝に顔を埋める。

 元より光の少ない駅の小さな宿場では、膝の中に埋めた顔が捉える光の量など、さほど気にはならなかった。


 今回は三人がそれぞれ個室であり、各々が比較的自由に行動できる。僕は道路を隔てた向かい側にある、森の風景をスケッチしながら、暇をつぶすことにした。


 森の向こうから銃声が鳴り響く。紙から顔を上げても、外観上の変化はほとんど見られなかった。僕は後味の悪い唾を飲み込みながら、紙の上の作業に集中した。

 夜の駅はガス灯によって、星よりも幾らか明るい照明をぼんやりと闇の中に浮かび上がらせている。ガス灯の周囲には細かな虫が集まり、照明に体当たりしたり、ゆらゆらと飛び回りながら、証明の光を霞ませる。

 夜の空にあるべき星々の瞬きは鳴りを潜め、月明かりも薄い雲に覆われはじめ、その美しい球体を見ることは出来なくなっていた。

 森の闇の深さだけは変わらずにそこにあり、銃声を上げた狩人たちの姿も認められない。


 夕方に見たミンクルは無事だろうか。そんな思いが脳裏をよぎる。

 それでも、僕は首を振った。仕方のない事でもあるんだ、僕は人間なんだ、と言い聞かせる。それに、仮にそれが許されないとしても、僕が森に入ったところで、待っているのは狩人の銃声かご馳走を見つけた動物達だ。


 僕の部屋の前を、二人分の影が通り過ぎる。抱えた筒状のものは、恐らく銃だろう。それが銃声の正体か否かまでは、分からなかった。


「伯爵、今日の獲物はどんなものですか?」


 声が聞こえる。僕は息を殺し、声に集中した。


「いい質問だ、ミスター……。飛び切り大きな獲物だ。美味くはないが美味い取引だ、そうは思わんかね?」


「確かに、ガキ一人に賭ける値段ではないだろうな……」


 僕はすかさず姿勢を下げた。幸いにも窓は上方にあり、意識しなければ彼らから見えることは無い。


「しかし、本当にこんな宿に泊まりますかいな?一応貴族でしょうが」


 野太い声が何かを言う。伯爵と呼ばれた声は、ニヤつきを隠せないように笑いをこらえて答えた。


「資金が底を尽きれていれば最上だが、まぁ、子供とはいえそれなりの教養も持っているからね」


「はは、伯爵、買い被りすぎでは?」


 僕は伯爵の声が何者のための物か理解すると、窓から音の漏れないように、ゆっくりと立ち上がり、部屋を出た。

 その声の主は紛れもなく、エーゲンベルト伯爵だ。

 僕は扉をゆっくりと閉ざし、エルヴィンの部屋を小さくノックする。心臓の高鳴りが余りにも大きく、僕にはノックの音が殆ど聞こえなかった。


「はい、どなたでしょうか」


「エルヴィン、追手だ」


 僕は簡潔に答える。エルヴィンは静かに扉を開け、チェーン越しに僕を確認すると、小さく頷いた。


「フランチェスカ嬢を中へ。再度ノックしてください。今度は二回ノックし、一拍おいて一回ノックです」


 僕は静かに頷く。エルヴィもそれを返し、細心の注意を払いながら、扉を閉ざした。僕は踵を返し、足早にフランの部屋へと向かう。

 明かりのない廊下は、窓の向こうにあるどの景色よりも暗く不気味に感じられた。


今回の魔法生物

ケンプ:

 体長130cm-160cmの草食獣。一般に家畜である羊の原種と考えられ、家畜化した羊と異なり螺旋状の角を生やしている。主食は草のみであり、アマルティ程多様な食料を持たない。視野が非常に広く、聴覚も鋭いが、空間把握能力は低く、敵を確認すると一斉に逃亡を始める。

 ケンプは集団で行動するが、規律の取れたグループではなく、集団から逸れる個体も多い。群れからはぐれた個体は別の集団に勝手に合流して行動を共にするため、彼らの集団は「群れ」というには適切ではなく、「個体の集団」という方がより適切である。

 ケンプの集団は群れとしては成立しない集団だが、彼らはもっぱら集団に紛れることによって、自己の生存率を高めているようである。この性質は、逃げ足の速い個体や強い個体ほど群れの中心にいるという特徴に現れており、生存の為なら別段どの集団に所属するかは区別されないのであろう。

 実際、私の調査によれば、発情期には集団内での激しい雌の奪い合いが起こり、多くの雄がその螺旋状の角により受けた打撲傷を残していた。

 彼らは特殊な反撃手段は持たない。その反面、近づいた敵を睡眠へ誘うことが可能なようである。詳細は不明だが、私見では生物の脳に作用する何らかの音波を発しているか、興奮状態を抑える成分を魔法によって周囲に放出しているのではないかと考えている。但し、現状では実証が困難なため、指摘するにとどめる。


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