川向かいの同胞へ 4
夕日も沈み始めると、丘の上に駅が現れる。荷馬車の連なりも明確に臨めるようになってなお、すぐ横に目をやれば鬱蒼とした森が茂っている。
僕はヤトをフランに預け、森林の様子などを書いていた。僕は動物を書くことは多かったが、深い森などの風景画は苦手なので、その手は時折止まり、紙をくしゃりと潰したくなる衝動を抑える。
森の隙間から時折差し込む落陽の眩しさに目を細め、一本の木を包む樹皮に命を吹き込む。乾いた表面に混ざるように、葉脈を流れる瑞々しさを表現しようとしていた。
フランは暇つぶしにヤトの毛づくろいなどをしており、僕が普段夜や道中にしていた仕事をこなしている。もこもことしたヤトの姿に顔を綻ばせるようなことは無いが、時折ヤトの顎を撫でている。
「さぁ、そろそろ支度してください」
「はい」
エルヴィンの言葉に、僕はペンを仕舞い、頭陀袋を持ち上げる。ペンやインクの詰まった袋は、僕には少し重いが、小切手さえ用いるエルヴィンの鞄は全く別の理由で重い。ホスチアで入手した軍資金は、銀行に預けるわけにもいかないため、ゲンテンブルクに至るまでは手元に置かざるを得ないのだという。エルヴィン名義で暫く預金することも提案したいところだが、それは国王に勘違いされそうだという彼の慎重な意見も、的外れではない。
そうこうしているうちに馬車は停留所に到着し、警備員の誘導を受け、停車した。
駅に降り立つと、迫り来るような雄大な緑が目の前に広がる。煉瓦造りの家を飲み込まんとする深緑のカーテンは、道路を隔てた向かい側を埋め尽くし、夜の篝火の中にぼんやりと浮かび上がる。
「これだけ近くに森があると、動物もやってくるかもしれないね」
僕がそう答えると、エルヴィンは楽しそうに笑い、僕の足元に視線を送る。
僕が何事かと思い視線に合わせると、そこでは、30cmほどの細長い生物がうろうろと彷徨っていた。
この生物は手に僅かな水かきの痕跡があり、鋭い爪をむき出しにしながら、往来する馬車を前に右往左往する。
「あら、中々かわいいわね」
フランが屈み込み、手を伸ばそうとしたため、僕は手でそれを遮った。彼女は不服そうに僕を睨む。
「野生動物は君が思っているより凶暴だから、触ると大けがするよ」
僕の言葉を承知したのか、彼女は渋々立ち上がり、一歩後ずさりする。僕も動物を避け、今日の宿へと向かう。
「あれ、描かないのね」
「うん。描きたいのはやまやまなんだけどね……」
僕はフランが抱えたヤトに視線を送る。ヤトは自身の天敵と思しき動物を認めたためか、耳をぴんと張り、跳ねるように足を動かしている。彼女は「あぁ……」と呟き、エルヴィンの歩幅に合わせる。僕は歩幅の差によってやや遅れることになり、早歩きで追いかけた。
「ねぇ、あれはなんて動物?イタチかしらね」
「あれは多分、ミンクルだよ」
ミンクルとは、体毛の黒い、イタチ型の魔物だ。毛皮として好んで利用される彼らは、基本的には水棲動物を捕食するため、海岸線や川沿いの地域を主な生息地とする。
プロアニアのミンクルは、生息地の名を借りてザックミンクルと呼ばれ、樹上生活をするミンクルで、虫や小動物を捕食する。川を泳ぐ姿なども見られるが、樹上生活に適応する為に水かきが若干退化しているようで、ミンクル種の中では比較的珍しい種族だ。
また、ミンクル最大の特徴として、高い営巣能力がある。例えば、カペルに生息するセーブミンクルは、川沿いの岩場などに巣を作るだけでなく、川の上に藁や葦などを積み上げて巣を作るものもいる。岩場に作る個体も、中々立派らしく、積み上げた石と藁の屋根によって、旅人が集落と間違えるほどの代物を作ると言われている。
ザックミンクルは、樹洞の中に巣を作るが、やはり中にクッション代わりの植物を敷き詰めたり、爪で木を削り、窪みに数日分の食料を蓄えたりするようだ。
森が近いだけあって、ここまでミンクルがやってくるのか、と少々感心していた僕だが、つい、歩みを止めて振り返る。
もしかしたら、この駅は、元々ミンクルを狩る為にミンクルの生息地のすぐ近くに作られたのではないか。僕はミンクルがちょろちょろと逃げていく姿を目で追いかけた。ひどく怯えた様子の彼は、爪を立て、石垣を這うようにしながら、森の中へと消えて行った。
「やっぱり描きたかったのね」
フランがニヤつきながらそう言う。その声に振り返れば、エルヴィンも笑顔で僕を待っていた。僕は急いで彼らのもとに向かう。
「ご、ごめんなさい。ちょっと気になって」
「見た目だけは可愛いもの、仕方ないわ」
「少し根に持っているようですね」
エルヴィンがフランに言うと、彼女は鼻を鳴らし、じっとりとした目つきで彼を睨みなおした。
「当たり前でしょう?仕返しも兼ねて、アーミンを買い漁ったこともあったわ。あんなに可愛い感じだとわかったのは、人間になったおかげかしらね」
彼女はケタケタと笑う。衆目の視線を集めそうな甲高い声だったので、思わず僕は咳払いして会話に水を差した。
「この駅、毛皮のお土産が多いのかな」
二人は僕の言葉から、先程僕が立ち止まった理由を理解したのか、僕に歩幅を合わせつつ、難しい表情をした。
「そうですねぇ。プロアニアやムスコール大公国には、毛皮は不可欠なものです。特に、雹の降る日などには、暖炉か毛皮がなければ死んでしまうかもしれません。この駅は、かなり古くからここにありますが、そうした理由も大きいのでしょう」
「それに、勝者のアピールも大事な外交手段なのだから、仕方がないわ」
僕の胸がちくりと痛む。毛皮と権力者は切っても切り離せない関係にある。僕もまた、その一人だ。多少の責任を感じずにはいられない。
木々が風に靡く。涼やかな風が僕らの頬をかすめ、温度を少しだけ奪っていく。ひどく明るい月光と、満天というには隙間の多い星空、そしてガス灯に照らされた駅は、夜の賑わいに明かりを灯し始める。石垣が森と一体化して消えることに、僕達は気づく事すらなかった。
今回の魔法生物
ザックミンクル:
長30-50cmのイタチ型肉食獣。セーブミンクルが水中生活に長けているのに対し、ザックミンクルは樹上生活を行う。そのため、水かきは退化しているが、鋭いつめが進化し、細長くしなやかな体格をしている。食性は小動物や樹上に住む昆虫を捕食する。
巣は樹洞に作ることが多く、樹洞に巣を作ることのあるスキオウロスなどをよく攻撃する。
セーブミンクルと異なり、魔法によって捕食者を撃退する。ベルクートを攻撃するために水鉄砲を打ち、自身の周囲の重力を操作して錯乱させ、その隙に逃亡する。
セーブミンクル:
体長10-50cmのイタチ型の魔物。体毛は撥水性に優れ、水袋などとして好んで利用される。また、前後肢に水かきを持ち、水中を器用に泳ぐ。そのため、陸上の昆虫やヤカドランのほかにも、水中の魚や甲殻類も好んで捕食する。
葦や藁などを束ねて水上に巣を作り、天敵から身を守る。一夫一妻制で家父長的な群れを形成しする。父個体の死後、巣をもっとも大きな雄個体と、もっとも小さな雌個体が継承する。雄は巣立つと水辺を沿って移動し、草を集めながら新たな営巣に入る。そのため、大きな雄個体と小さな雌個体ほど死亡率が低く、両性の体格差が大きい。
魔法は使用しない。劣化した器官はあるが、使用の痕跡は一切ない。この事実を踏まえると、この種は自然消滅するのではないだろうか。




