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川向かいの同胞へ 2

 翌日、駅を出発してから暫く進むと、小さな集落を通った。

 その集落はプロアニアの中では非常にのどかなもので、決して豊かではないものの、煤煙に塗される心配はなかった。

 木と煉瓦を使用した簡素な家々は、伝統的な建物のようで、少し欠けていたり、白化したコンクリートが所々ぽろぽろと剥がれたりしている。その壁の前で、夫婦が立ち、何か相談をしていたが、これも統率の取れたプロアニアの都市と比べてゆったりとした会話だった。


 町には二毛作が完成しており、彼らが一世紀程前に開発した肥料「アルモゲン」を蒔く姿が見られた。アルモゲンは異界から持ち込まれた技術を利用した特殊な肥料のようで、一世紀ほど前の大国同士の大戦の際に作られ始めたものだった。この戦争は、プロアニアでは「三つ首竜の王」伝説として語られているが、この時代、元より先進的だったプロアニアの技術はさらに飛躍的に上昇した。アルモゲンは、その中でも優れた肥料として、現在でも重宝されている。外国ではそれなりに値の張るアルモゲンも、プロアニアではこのような静かな集落でさえ行き届いている。


「みて、蜂箱よ」


 フランの指を追いかけると、蜂箱らしきものが、集落と道から少し離れた場所にあった。周囲には丸みを帯びた体形の蜂が大量に飛んでいる。


「あれは、シロップホーネットですね!」


 エルドが興奮気味に言う。フランは驚きの表情を浮かべると同時に、怪訝そうに眉を顰めた。


「えぇ、シロップホーネットって何?」


「シロップホーネットはね……」


 僕が解説しようとすると、エルヴィンが高ぶった感情を隠そうともせずに大きな声をあげた。


「シロップホーネットは、発熱機関を持った、花の蜜を餌にする蜂ですよ!発熱機関のお陰で、彼らは巣の中で越冬をできます!腹を小刻みに震わせたり、それでも厳しい際には熱魔法で暖を取ることもありまして、あぁ、そして何より蜂蜜がうまい!あまりに美味な為に、蜜の蜂、シロップホーネットと呼ばれているんです!これが丸くてなかなかかわいくてですね……」


「エルヴィン」


 僕が彼を制止すると、我に返ってぴたりと喋るのをやめた。困惑気味のフランは、エルヴィンに聞こえないように僕の耳元で囁いた。


「何、あの人、あんなに喋る人だったの?」


「虫が好きなんだって」


「えぇ……。男の子って変ねぇ」


「誰にでもそういう所はあるよ」


 エルヴィンは頭を掻きながら、蜂箱から意図的に視線を逸らした。

 その姿が何となく滑稽で、僕はメモ帳を取り出しながら振り返った。


「エルヴィン、少しだけ、速度緩めてくれる?」


 エルヴィンは振り返る。僕の手元の物を見つめると、まんざらでもなさそうな笑みを浮かべる。


「えぇ、いいですよ。休憩も兼ねて、すこし集落を散策してみましょうか」


「ありがとう」


 僕がそう言うと、エルヴィンは僕に軽く頭を下げ、蜂箱に視線を送る。僕は、荷台から顔を覗かせながら、蜂箱のスケッチを始めた。

 プロアニア中部のザック地方は、バーデンブルク地方と比べて平地が多く、また、周囲を深緑の森に囲まれている。そのため、森林に適応した魔物も多く住み、西の大国カペル王国の類縁種も多く生息する。

 プロアニアを横断する幾つかの川が、血液のように交錯するのもこの周辺であり、プロアニアでも肥沃な土壌に恵まれている。冬は長めだが、秋と春は温暖で、穀倉地帯もこの周辺に多くある。


 魔物にとって住み心地がよいならば、人間にとっても同様で、かつて南下した異教徒たちはこの地域から北部までに主に定住し、多種多様な神を信仰した。その後、神の輪郭にはあまりこだわらなかったのか、僕達の信仰する宗教の中に吸収されていった。

 その為か、この周辺には神に纏わる特殊な神話も多く存在する。「神の融合」という奇妙な単語は、ザック地方の信仰を表現するにはちょうど良いものだ。


 蜂箱が遠ざかると、僕は前のめりになりながら急いで筆を走らせる。ペンのぶれがないようにしっかりと握りながら、その光景を描いた。


 完成した蜂蜜農園は、少し走り書きではあったが、出来栄えは悪くない。少し高い位置に置くために三脚の支柱で支えられた蜂箱は幾重にも重なり、黒い点々のようにランダムに飛び回るシロップホーネットもよく表現されている。奥には鬱蒼とした森が広がる。向かい側の陽ざしが少し惜しまれるものの、陰影の表現を少し工夫することによって、それなりのものが出来た。

 僕が鼻を鳴らすと、隣でヤトと戯れていたフランがのぞき込み、鼻で息を吐く。


「もうちょっとかわいいものを書けばいいのに」


「ははは……」


 僕は苦笑いを返す。確かに非常に地味ではあるが、エルヴィンの中々珍しい表情を見られた記念としては、ちょうどいいものだと思う。


 エルヴィンはチラチラとこちらを見ながら、絵の完成を心待ちにしていた。僕は、スケッチブックに残ったかすを払い、御者台まで向かった。

 エルヴィンはいかにも嬉しそうに、僕の絵を覗き込む。蜂があまり大きく書かれていなかったためか、少し複雑な表情を浮かべながら、「ほう、お上手」とだけ言った。僕は彼の表情から察し、ある程度予想を混ぜならシロップホーネットを書く。しかし、今度も少し複雑な表情を浮かべる。僕のシロップホーネットの絵は、躍動感が足りないのかもしれないと思い、少し体を寄せ合って暖を取る様子も描いていたが、かなりこだわりが強いのか、彼は笑みを浮かべながらも、少し残念そうにしていた。


「本当に、男の人って変ねぇ」


 後ろからそんな声が聞こえる。僕の事も指しているのだと気づき、少し恥ずかしくなった。


 フランは恥ずかしがる僕を見て声を殺して笑う。無表情なヤトにも笑われているような気がして、僕は御者台によじ登った。


「……お互い様ですよね、エルド様」


「……うん」


 互いに何となく目を合わせられないで視線を逸らすと、視界にはくすくすと笑う集落の人々が映った。一連の話を聞いていたらしく、蜂蜜の瓶を持っていた婦人は楽しそうに胸の前で手を振っていた。

 馬車は少しだけ速度を上げ、蜂箱の前を足早に立ち去った。


 集落のほぼ中央に辿り着くと、簡素な教会が姿を見せる。奇妙な植物の蔦に囲まれた人間の像が一つか二つ飾られた外観は、僕からは少し奇抜に見える。


「エルヴィン、あの人って、誰?」


 僕の言葉に反応したエルヴィンは、教会を見てきょろきょろとしている。僕が指を差して示すと、彼は「あぁ」と気の抜けた声を上げた。


「緑の人、と呼ばれているらしいです。ザック地方では珍しくないようですよ。もっとも、私は北の方の生まれですから、よくわかりませんが」


「緑の人……」


 無表情で蔦に絡まれている姿というのは大変に奇妙なもので、簡素な教会であることも手伝い、非常に目立って見えた。


「私達の神様が来る前から、そういう類のものはあったみたいよ」


「へぇ……」


 要するに、この辺りに定住した移民たちの信仰の名残のようなものらしい。輪郭のない神や、弓や雷や花吹雪と共に描かれる神々に慣れ切った僕達には、その有難みはよくわからなかった。


「自然信仰、なのかなぁ」


 僕が呟くとフランは首を傾げる。どうも彼女自身もよく分からないらしい。

 もやもやとした気持ちを抱えたまま、馬車は集落を通り過ぎていった。


今回の魔法生物

 シロップホーネット

 体長約3cmの中型の虫である。ホーネットと比べて温厚であり、花の蜜から栄養を得る点も異なっている。体形もずんぐりとしており、美味な蜂蜜を作ることでも知られている。

 単純な熱魔法を用いて暖を取り、巣の内部は常に暖かいため、越冬をする蜂としても有名である。

 穏やかといえど毒をもつため、迂闊に近づくことは危険である。


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