魔女の呻きはキィキィと 21
結局、僕は荷物を纏めて即座にこの町を出ることになった。いっぱいに詰め込まれた頭陀袋の中には、食料も水も不足していたが、道中で何とか補う方が、まだ希望があったのだ。
馬車は迷いなく出発する。馬の嘶きと共に、煤煙を切って車輪が動き出す。
僕は、火刑台の広場を横切る際に、そこに群がる群衆を見た。処刑を終えた火刑台の隣に、既に新たな火刑台が立てられ、晒し台にフランチェスカが拘束されていた。その瞳は揺らぐことなく、ただ、中空を見つめていた。
群がる群衆を見下ろすと、そこにはたくさんの下級労働者たちがいた。浮浪者、資本家も勿論いた。列席する神父と修道女の背後には、教会から解放されたワインが積まれていた。
僕は、首切りの現場を思い出す。あの受刑者の瞳に、彼女の瞳はとても似ていた。
馬車が速度を速めた。僕は、エルヴィンを見る。彼は前だけを見て、逃亡に集中している。
ここにフランチェスカがいるという事は、拷問を受けていなかったという事だ。つまり、彼女は即座に「魔女」であることを認めた、という事だ。ここで逃げれば、ぎりぎり密告の被害から逃れられるかもしれない。
「フラン!フラン……!」
リヒャルトの叫び声が聞こえる。守衛はリヒャルトを容赦なく抑え込む。たとえ貴族であっても、正義の前には無力なのだ。
「何かの間違いだ、こんなことあるはずがない!私の娘だぞ!貴様らっ!」
悲痛な叫び声が広場に響き渡る。馬車は広場を抜け出し、細い路地に入ろうとする。
僕はフランチェスカを見る。彼女は、リヒャルトの叫び声に唇を噛みしめた。
「刑を執行する!」
晒し台の鍵が外される。彼女に結ばれた縄が引っ張られる。
「フラン!フラァァン!」
守衛たちはリヒャルトを取り押さえる。耳をつんざく悲鳴を、しかし民衆は嘲う。
このまま見捨てれば、きっと僕は生き残るだろう。僕の速まる心臓の鼓動は止まるだろう。エルヴィンも、今まで通り優しく接してくれるに違いない。
本当に、そうか?僕の心拍数は、過呼吸は、これまで通りの恐怖と同じ感情から現れたものなのか?
リヒャルトの叫び声、涙ながらに訴える声を、娯楽と安堵を求める民衆の喝采が遮る。自分の命に諦めきったフランチェスカの虚ろな瞳と、それを見る輝く民衆の瞳が交差する。守衛はほとんど全員が、リヒャルトを取り押さえるために使われている。
その時、白昼夢の幻が重なった。首を絞められた彼女の呻き声は、自分のための物だけじゃなかった。撲殺された僕が守ろうとしたのは、自分の命だけじゃなかった。
僕は馬車の荷台を飛び降りた。エルヴィンが驚愕の叫び声を上げる。僕は体勢を立て直し、振り返ることなく、今まさに階段をのぼるフランチェスカめがけて走った。
民衆はフランチェスカの登壇に熱狂の声を上げる。僕の地面を蹴る音など、聞こえるはずもない。守衛はリヒャルトを抑え込むために必死で、反対側は手薄になっている。
僕は執行人の背後から、スリでもするように強引にその縄を引っ張った。すれ違い際に執行人と目が合う。そして、守衛たちが一斉に僕に向かい始めた。
「エルド、貴方……」
「こんなの間違っている、間違っているよ!」
戦争が起こるのは仕方がない。命がゴミのように打ち捨てられても、そこに利益があるのだから。
暗殺が横行するのも仕方がない。そこに、利益があるのだから。
狩りだって、仕方がない。そこに命がある限りは。
それでも、見えない「魔女」に惑わされて、穏やかな暮らしを奪うのは、牧歌的な願いを踏みにじるのは、間違っている、と、思う。
肩に激痛が走る。銃弾だ。掴んだ縄を放しそうになるのを、必死に堪える。
「魔女の使い魔だ、魔女の使い魔が出たぞ!」
民衆の怒号だ。
故郷ノースタットで、僕は、民衆が助けてくれない、などと嘆いたはずだ。しかし、そんな生温いものではない。プロアニアでは、民衆の全てが敵に回るのだ。
それでも、守りたかっただろう!リヒャルトは、何のために愛娘を育ててきた?確かに、政治利用の為もあっただろう。あの叫び声を聞くまでは、僕だって、それだけの為だと思った。
縄を強引に引っ張り、フランチェスカを前に引っ張り出す。僕の足を銃弾が貫く。僕は呻き声を上げて地面に転がった。守衛たちがすべて、僕に銃口を向ける。
「エルド、もういい、大丈夫。他人を巻き込んでまで、生きたくなんかないわ」
「嘘を……吐くなぁ……!」
弾丸の装填される音と、安全装置が外れる音が聞こえる。あとは引き金さえ引かれれば、僕はハチの巣になるだろう。
呼吸が整わない。フランチェスカの困惑の表情を、僕は歯を食いしばり、激痛を抑え込んで睨み付ける。
「貴方は初めから殺されると、分かっていて諦めただけだ。貴方は、殺されたいわけじゃない!」
「エルド……!もう、やめなさい」
「労働者に悲哀の目を向ける君は、あんなに美しかった!それなのに、なぜ君は、虚構を認めてまで、その命を終わらせようとするんだ!」
銃口が動く。もはや守衛には、僕を殺す準備が整っていた。
「エルド!」
例え届かない思いだったとしても、僕は、命に代えても守りたかった。まだ出会ったこともない、もう出会えない君を。
「そこまでだ」
銃が下ろされる音がする。僕は出血で朦朧とする意識を何とか保ち、視線を送る。
「国王陛下……」
守衛の困惑は揺れ動く視界でも確かめられる程だった。
「……魔女を助けたものを助けた、私を撃てるか?お前たち」
ふり返る守衛の背後には、たっぷり太った巨体、2メートルは越えるだろう高身長の男がいる。その鋭い眼光には、見る者を圧倒させる存在感があった。王の背後にも、守衛と同じように銃を構える軍人が数人いる。しかし、その銃は明らかに、守衛の物よりも新しいものだった。
暫くの沈黙。陛下と呼ばれた男は、太い鼻を鳴らして失笑した。
「……その程度の信仰心で魔女狩りとは、笑えるな。お前たち」
守衛は武器にロックをかけ、それを地面に放り投げた。両手を挙げ、恐怖の表情を浮かべる。一人だけ、銃口を国王に向けていたが、王は彼の銃を杖で払った。
「お前は後で登用しよう。使えそうだ。他はリヒャルトにでも仕えておけ。あの惨めは三下には、十分な駒だろう」
そして、後の兵士達に向き直ると、彼は苛立ちを露わにし、杖で強く地面を突いた。
「お前たち、何をしている。やるべきことは一つしか無かろう」
半分の兵士は急いで守衛の下ろした銃を回収する。そして、もう半分が、僕に肩を貸した。
陛下と呼ばれた男はフランチェスカをまじまじと見つめ、兵士に運ばせた人が入る巨大な麻袋を運ばせる。守衛は困惑しながら麻袋と男を交互に見た。
「たわけ、スケープゴートが必要であろうが。中には子供二人分の綿でも詰めて衆目に晒せ」
守衛たちは、急いで麻袋に地面の砂を放り込む。雑草と灰が混ざった黒ずんだ土によって、麻袋は少しだけ汚れた。男はその麻袋を足で蹴飛ばし、僕の零した血だまりの上を滑らせる。点々と血が付いた麻袋は、いかにも死体が詰め込まれたように錯覚される。
僕は、半分閉じた目で、滴り落ちた血の跡をたどる。点々と続く血を追いかけると、それは曲がり角の向こうにまで続いていた。もしかしたら、僕には案外体力があるのかもしれない。
フランチェスカの縄が解かれたのを確かめた僕は、安堵感から全身の力を抜く。そのまま重い瞼を閉ざすと、驚くほど心地よく、微睡みの中へと落ちていった。




