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異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第六章 虹と大空を手に入れて
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虹と大空を手に入れて 21

 澄み切った空気が私の肺に一杯に広がると、とても息苦しく感じて咳き込むように吐き出した。この空気に混ざって私の鼻孔に届くのは、灰色をした今一つの不快な空気だった。


「……あぁ?なんだよ」


 ルプスは子供っぽく唇を尖らせる。眉間にしわを寄せているが、いざ馴れてしまうと何となく愛らしくも思えた。


「何でもない」


 私は少しだけ語気を荒げる。二人の前を様々な人が通り過ぎていく。

 通り過ぎた人の中には、広告代理店へと入っていく人も少なくない。この店は、最新技術である蓄音機をリースし、それを従業員が管理する事によって、ノヴゴロド内での広告活動に利用することのできるサービス業らしい。

 と言っても、これは、あくまで副業であって、普段は伝書板と呼ばれる情報紙を発行したり、書籍の印刷や、その装丁について助言をしたりといった、紙の伝達媒体全般を取り扱っているらしい。


 ルプスがふかす煙草の臭いは、凍てつくこの地では目立って不快に感じられた。ノヴゴロドの人々は広告代理店に時折足を運んでは、手元にパンフレットや情報誌を携えて戻ってくる。所謂情報媒体となる書誌の販売も担っているのか、定期的に刊行される政府資料や、飾り気のない組合員用の資料など様々な内容の書誌を取り扱っているようだ。ルプスは興味なさげにその様子を見つめながら、白い息を吐く。

 長年文字とは一切無関係な土地で育ったため、こうして手に書籍を持ち歩く人を見るとどうにも興味が抑えられない。私は思い切ってルプスに訊ねてみる事にした。


「ルプスは、文字は読めるの?」


「あ?ものによっちゃ読めるが、あれは母国語じゃねぇ。無理だ」


「ルプスの母国語って私のと一緒だよね?」


 私は彼を見上げる。彼は暫く沈黙し、胸元でふかした煙草を保ちながら遠くを見つめていたが、私が微動だにせずに見つめると、頭を掻きながら眉間にしわを寄せて唸り出した。


「いいか、そう言うのは専門外だ!エルドに聞け、エルドに!」


「……えぇー」


 頬を膨らませて威嚇する。ルプスはあからさまな舌打ちを打ち、周囲を見回すと、私を無理やり引っ張り、プロアニアから輸入されたらしい文化、コーヒーハウスの中に入店した。


「コーヒーで黙ってくれ。頼むから」


「……コーヒーにはお茶請けが必要だって、フランお姉ちゃんが言ってた」


「あぁ、勝手にしろ!ったく、妙な知識ばかり植え付けやがって」


 ルプスはぶっきらぼうに吐き捨てる。私は言葉に甘えてメニューを開く。コーヒーは勿論、料理のレシピも読めない。


 そこで、閃いた。


「……読めないんだけど」


 ルプスは激しい舌打ちを打つと、店員のいるカウンターに向けて大声で叫んだ。


「こいつにコーヒーと茶うけを!砂糖でも蜂蜜でも!」


 ……残念。店員はルプスの母国語を理解したのしていないのか、こちらに近づいて確認しようとする。店主らしき人物が彼女に耳打ちすると、彼女はそそくさと店の中へ戻っていった。


「仕事の邪魔はすんなよ、頼むから」


 ルプスは心底不愉快そうに言う。私は黙って頷き、彼と同じように窓の外を眺める。

 こうしてみると、ノヴゴロドの町はエストーラと変わらない、賑やかな都市でしかなかった。ケヒルシュタインで垣間見た技術も散見されるが、煉瓦造りの道に歩く人々も冬のエストーラの服装に近い服を着て、足早に道を急ぐだけだ。怪しい人など通るわけでもなく、ただ、道すがら望む商品を買い、行商人が商会に立ち寄っては小包を売る姿があるだけだ。私達田舎者たちが望んだ景色があるだけだ。


 勿論、その「憧れ」も遠い過去の記憶のように思えるようになってしまった。

 父を亡くしてからの事を思い出す。田舎の秋は厳しく、葬儀を終えた私はすぐに麦の収穫に駆り出された。鎌を片手に失った父の分の労働力を補うのはとても困難で、男の必要性を改めて感じた。家に戻ると母が私の分の編み物を進めてくれていた。母は調理の為に席を立ち、私が母の代わりを務める。

 人一人の犠牲で狂う時間の流れは凄まじく、隣近所との付き合いにもうまく対応できないほど奔放に育てられていたらしい私は、直ぐに女の必要性を感じた。そしてそれは、多分、男でも女でも、同じ能力さえあればどちらでもよかった。その意味で父の代わりはいくらでもいたし、同じ理由で代替できる人は他にいなかった。


 再び、ノブゴロドの町を見る。立派なミトラを被った主教が白い馬車に乗って現れる。護衛は四人ほどで、どれも長い槍にノブゴロドの市旗を結わえている。その前を通りかかった人を見て、ルプスが動いた。


「いいか、そこにじっとしてろよ。金はここ置いとくからな」


 そう言って乱暴にコインをばらまいた彼は、店を直ぐに飛び出した。私はその金が捕られないようにすぐに仕舞い、運ばれたコーヒーと林檎のパイを受け取る。その間も、私は通りがかりの白い馬車に目を奪われていた。


 ルプスが反応したのは、イェンスを名乗る人物だった。彼はまず件の広告代理店入り、伝書板を購入して戻ってくる。白い主教の馬車は、一旦そこで停車し、主教が外に現れると、幾人かの市民たちと言葉を交わす。最後の市民と話し終えると、彼は馬車に乗り込み、暫く待機していた。

 店から戻ったイェンスを名乗る男が、ミトラを被った主教と何かを話している。ルプスはその会話が聞き取れる位置まで近づき、雨宿りをするように堂々と商店の前に立ち、果実を一つ購入すると、そのまま店の隣で一服を始めた。


「煙草は諜報にちょうどいいのか……」などと思いながらその様子を見つめる。

 ルプスはのんびりと一服をしながらも、忙しくポケットの中を探っている。探っているように見えるが、何かを書いているようにも見えた。主教とイェンスの会話が終わると、主教は馬車に乗ったまま大通りへ続く道を再び進み始め、イェンスは何事もなかったようにコーヒーハウスに向かって歩き始める。その様子を始終瞳だけで追いかけていたルプスは、彼がコーヒーハウスに入るのと同時に、ふかした煙草と果物を持ったまま、こちらに戻ってきた。


 イェンスが入店する。私は思わず顔を隠す。彼はスタスタと落ち着きなく奥へ進むと、はっきりと私達の言葉と分かる声で、「コーヒーと甘いものを」と囁いた。


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