王女クリスティーナ
「あの人、またシェイラに絡んだのね」
怒り心頭のクリスティーナは声を荒げた。
異母姉を「あの人」と呼ぶあたりに、クリスティーナとノーマの関係性が現れている。
シェイラがクリスティーナの部屋に戻ると、一足先に帰っていたベスが先ほどのノーマとのやり取りをクリスティーナに報告しているところだった。
「でも、スペンサー伯爵が颯爽と現れて。まるで白馬の王子様でしたわ」
ベスがうっとりとそう言うと、クリスティーナの瞳が途端に輝き出す。
スペンサー伯爵とは、レオンハルトのことで、嫡男である彼は公爵家がもつ様々な爵位のうち次位の伯爵を名乗っている。
「素敵! 引き裂かれても恋人の危機に駆けつけるなんて」
まるでロマンス小説ね、とベスと同じ表情でうっとりと呟くクリスティーナにシェイラは慌てた。
「クリスティーナ殿下。私とレオンハルト様は殿下が想像するような関係ではありません」
「隠さなくてもいいのよ。二人の関係は皆わかってるわ」
皆とは誰です、という言葉が喉まで出かかったが藪蛇になりそうで口を噤む。シェイラの沈黙をどう受け取ったのか、クリスティーナは痛ましそうにシェイラを見つめた。シェイラ達を恋仲だと信じ切っているクリスティーナは、恋人達を襲った悲劇に心底同情しているのだ。それが分かって、シェイラはいたたまれない。
許嫁ではあったが世にいう恋人ではないと口を開こうとして、侍女頭が話を遮った。
「人の恋路の心配より、ご自分の課題の心配をなさいませ。明日までに外国語作文の課題がチザム先生から出ておりますでしょう」
マリーが窘めると、クリスティーナは唇を尖らせた。
チザムは、クリスティーナの外国語教師で、レオンハルトとシェイラにとっても師にあたる人物だ。爵位はあるが、周囲からは親しみを込めてチザム先生と呼ばれている。好々爺然とした風貌からは想像もつかないが、かつて10年に渡り他国で捕虜になりながら自力で脱出したという剛の者である。帰国後伯爵位を叙爵されてからは、王族や高位貴族の子女に外国語を教えながら悠々自適な生活を送っていた。
「ちょっとくらい息抜きも必要よ」
「ちょっとどころか午後中手を付けていないではありませんか」
「もう! マリーったら融通がきかないんだから」
ぷりぷりと怒りながらも、クリスティーナはベスとシェイラが持ち帰った本を手に取り机に向かう。その様子に、シェイラの口から笑みが零れた。
クリスティーナは少し子供っぽい言動はあるが、素直で聡明だ。誰の言葉でも耳を傾ける。たとえそれが耳に痛い忠言であっても、クリスティーナがその言葉を蔑ろにしたことはない。シェイラがその事に感心していると、「だって私のためを思って言ってくれているのでしょう?」と逆に呆れられてしまった。
ふと、シェイラは先ほど会ったノーマの事を思い出した。彼女には諌めてくれる人間が周りにいないのだろうかと。その人のためを思うからこそ諫言が出るのであれば、ノーマの事を真剣に心配しているのは母親であるサビナだけという事になる。
ーーそれは、とても不幸だ。
シェイラの同情など望んでいないだろうが、シェイラはノーマを気の毒に思った。クリスティーナには彼女の未来を案じ、支えたいと思う人間が沢山いる。シェイラも勿論その一人だ。ただクリスティーナに味方が多いのは、彼女が高貴な生まれだからというだけでなく、クリスティーナ自身の人柄によるところが大きい。いくらシェイラがノーマを気の毒に思っても、彼女に進んで手を差し伸べたいとは思えなかった。
自分はクリスティーナに精一杯仕えよう、とシェイラは決意を新たにする。この年若い王女の幸せを、シェイラは心から願っていた。




