王宮
「あなたが噂のシェイラね。クリスティーナよ。これからよろしくお願いね」
好奇心に瞳を輝かせ、第一王女クリスティーナは楽しげに言った。
「クリスティーナ殿下、お目にかかれて光栄にございます。シェイラ・イングラムと申します。精一杯務めさせていただきます」
14歳になる第一王女は面差しが王妃によく似ている。長い睫毛に縁取られた榛色の瞳が興味深そうにシェイラを見つめていた。
クリスティーナ付きの侍女はシェイラを入れて4人いる。30代前半のマリー・エインズワース伯爵夫人を侍女頭として、シェイラと歳の近いベスとエイミー。二人はそれぞれ子爵家と男爵家の娘である。
王女のその日の衣装を決め、化粧や髪結いを施すのがシェイラ達の主な仕事となる。既婚者のマリー以外の3人は、王宮内に部屋を与えられている。
「シェイラ、貴女には殿下の衣装管理を担当してもらいます」
マリーの説明によれば、ベスは髪結い、エイミーは化粧を得意としているという。
「ベスもエイミーも家格は貴女より下ですが、ここでは自分が伯爵家の娘だということは忘れるように」
義姉アンネが継いだ伯爵位が現在のイングラム家の家格である。爵位こそあるものの、醜聞にまみれた家名は、貴族社会全体に知れ渡っている。嘲笑の対象にはなれど、誇れるような名ではない。元よりシェイラに爵位を笠に着るつもりはないため、マリーの言葉に素直に頷いた。
はじめベスとエイミーはシェイラの扱いを決めかねていたのだろう。態度もよそよそしく敬遠されているようだったが、クリスティーナが積極的にシェイラに話しかけるものだから、間もなくそれもなくなった。一週間が経つ頃には、二人とは他愛ない会話ができる程に打ち解けていた。
出来過ぎだとシェイラ自身が感じるほど、王宮勤めは順調な滑り出しであった。
唯一の気鬱と言えば。
「あら、誰かと思えば逆賊の子が王宮をうろうろしてるなんて。何を企んでいるのかしら」
出仕してから十日目。クリスティーナの使いで王宮書庫から戻る途中、声を掛けられシェイラとベスは足を止めた。
鈴の鳴る様な声で、シェイラを呼び止めたのはプラチナブロンドの美少女だった。名をノーマ・ブレナンという。王とその公妾サビナ・ブレナンの娘である。
「ノーマ様にはご機嫌麗しく」
一緒にいたベスが青褪めたのが分かったため、シェイラはベスを後ろに隠すように位置を変え、口元に笑みを浮かべて頭を下げた。さり気なくノーマに道を開けるが、彼女は動かない。後ろに控えているノーマの侍女も冷笑を浮かべて立っている。
シェイラが出仕を開始して以来、ノーマはシェイラを見つける度に近づいてきては、こうして侮蔑に満ちた言葉を投げつけてくる。十日間で3回目ともなれば慣れるもので、顔に笑顔の仮面を貼り付けたまま、ひたすらシェイラは無言を貫いた。
「どうやって王妃に取り入ったの?いつ裏切るかわからない女が王宮にいるなんて恐いわ」
元々ノーマはシェイラを嫌っていた。かつてはそれを表立って口にする事はなかったが、イングラム家の醜聞を機に、シェイラへの憎悪を隠しもしなくなっていた。
そもそものきっかけは一年前に遡る。同い年の二人は、社交界デビューの年も同じで、ある時同じ夜会に参加することになった。デビュー以来、その美しさで華々しく周りを取り囲まれていたノーマだが、この日ばかりはいつもと様子が違った。
レオンハルトのエスコートを受けたシェイラが、それまでノーマが集めていた視線をことごとく奪ってしまったのだ。
宰相の息子である公爵家嫡男と運輸相の娘で侯爵家令嬢の組み合わせに貴族達は色めき立った。
庶子のノーマに王位継承権はない。絶世の美女と評判の彼女の母は元女優で、その身一つで王の公妾にのし上がった女性であったから、ノーマには名乗るべき家名も爵位もなかった。それでも、母サビナは長らく王の寵姫であり続けたから、ノーマは王宮で王子王女並の扱いを受けていた。ここに彼女の不幸があった。
ノーマは己の立場がサビナが王の寵愛を失えば、一瞬で崩れるほど脆いものだという事に遂に気づけなかったのである。血筋は嫡子に劣るかもしれないが、この美貌をもってすれば己の価値は王族に匹敵するのだという思いがノーマにはあった。
この国の歴史を紐解けば、庶子の扱いは王族とは明確に区別される。後ろ盾の王が亡くなれば、王宮を出て年金を与えられながら余生を過ごすが一般的だ。爵位を与えられたり、高位貴族に嫁ぐというのは非常に稀で、娘であれば子爵家や男爵家に嫁げれば良い方といえた。
ノーマとて無学な訳ではない。貴族へ嫁いでもいいように、マナーや読み書きなど貴族令嬢と同等の教育を受けた。王族が受ける高等教育には程遠かったが、勉学を好まないノーマに不満はなかった。にも関わらず、ノーマが自分の立場を正しく理解していなかったのは、周りの環境も一因といえた。王宮での彼女は王族並みの贅沢を許されていたし、誰もがノーマを丁重に扱ったのだ。母サビナは何度も謙虚であれとノーマを諌めたが、父は自分を溺愛しているという自信が改心の機会をふいにさせた。低位貴族の妻などで満足できるものか、と内心ノーマは思っていた。
そんな彼女にとって、夜会で別の女に注目を奪われるというのは初めての経験だった。クリスティーナであればまだ納得できた。彼女は嫡子であったから。しかし、たかが侯爵令嬢に取り巻きの貴族達がへつらいに向かってしまったことは許容しがたかった。
シェイラとレオンハルトがノーマの元に挨拶に訪れた際、湧き上がる憎悪を隠すことはできなかった。
シェイラもその射抜くような視線にはっきりとノーマの敵意を感じたが、理由が分からず困惑した。レオンハルトのことを好きなのだろうか、とその程度しか当時のシェイラには想像できなかったのである。
「その黒髪も魔女みたい。目障りだわ」
「それはお目汚し、申し訳ございません」
嫌味にも皮肉にも表情を変えずに頭を下げるものだから、ノーマは癇癪を起こしそうだった。ノーマの胸にこの女の顔を歪ませ泣かせたい、という欲望がふつふつと湧き上がる。
「そうね、貴女の目障りな髪を切って差し上げたらすっきりするかしらーー」
ノーマが侍女に命じようとして、ふいに別の声が話を遮った。
「シェイラ」
聞き間違えるはずのない声に思わずシェイラは顔を上げる。
呆然と振り向けば、目の前に立っていたのはレオンハルト・スペンサーその人であった。




