隠れ家
相手の男達は緊張した面持ちで、じりじりと間合いを詰めてきた。各々が手にした槍や銃をレオンハルト達に向けている。
「早くしろ。この娘がどうなってもいいのか」
リーダー格と思われる男の言葉に、しばし睨み合いになる。
やがてダグラスの「やめろ」という一言に、兵士達が銃を下ろした。抵抗されないと見るや、男は仲間に兵達が持っていた武器を取り上げるよう命じる。
「お前達、何者だ」
シェイラの喉元に刃物を突き立てたまま男が問う。首をわずかに動かせば、切っ先がシェイラの肌に食い込むほどの距離である。シェイラは竦んでしまって身じろぎさえできない。レオンハルトは怒りの篭った目で男を睨みつけながらも、この状況を打開する為にめまぐるしく頭を回転させていた。
ーー男の口にした言葉に対する違和感。この男達は自分達を追ってきた人間ではないのかもしれない。追手だとして、王女かもしれない少女に刃を向けるだろうか。
「我々は、アルタニア人だ」
男の疑問に対して、敢えて曖昧にレオンハルトは答える。
「アルタニアの人間がこんな所で何をしている」
警戒心を露わに別の男が聞き返したことで、レオンハルトの疑いは確信に変わる。ーー彼らは政府の人間ではない。
「訳あって、追われている」
「あの街に集まっていた連中か」
一体お前ら何をしたんだと聞き返す口調は、不審に溢れていた。
「政府軍から逃げている。我々は国に帰りたいだけだ」
バーナードの言葉に、男達は目配せを交わして何事か囁きあった。シェイラ達の扱いを相談していることは分かったが、会話は聞こえない。
やがて密談が終わると、一人の男が口を開いた。
「俺達についてこい」
妙な真似をしたら娘の命はないと、重ねて脅す姿に、逆に彼らの緊張が透けて見える。どうも盗賊の類でもないらしいと、レオンハルトは思った。
盗賊なら有無を言わさず身ぐるみを剥いでいくはずだ。わざわざ相手のことを知る必要はない。
リーダー格の男は髭を無造作に伸ばし、山賊と言われても違和感がない風貌であったが、レオンハルト達と対話をする気はあるようだった。
男達が向かった先は、街へ向かう方向とは真逆。林を抜け、やがて一軒の家が目に入る。見た目にはなんの変哲もない、民家であった。
「入れ」
家のドアを開けると、「おかえり」という女性の声がする。
緊迫した雰囲気にあまりにもそぐわない声音に、アルタニアの兵達の顔に困惑が浮かんだ。
「奥の部屋だ」
追い立てるように、部屋に入るとそのまま床に座らされる。リーダー格の男がシェイラの拘束を解いたことで、レオンハルトが素早くその身を引き寄せ抱きしめた。シェイラを人質に取られ、張りつめていたのだろう。彼の口から声にならない安堵の溜息が漏れた。
周りを男たちが取り囲む中、シェイラ達の前の椅子に腰を下ろした男が口を開く。
「で、お前ら一体何をして政府の連中に追い掛けられている」
レオンハルトがさっとバーナードへ視線を走らせると、即座に首肯が返ってきた。
「我々はアルタニア第一王女クリスティーナ殿下の従者だ」
下手に真実を隠して、不信感を持たれるのは得策ではないと判断する。
レオンハルトの言葉にぎょっとしたように男達の視線がシェイラへ向けられた。庶民にとって王族など一生に一度も見る機会のない雲上人である。まさかこの少女がアルタニアの王女なのかとざわつく男達に、レオンハルトは首を振った。「彼女は王女ではない」という言葉に、安堵とも落胆ともつかない表情が並ぶ。
「で、従者達が王女と離れてこんなところで何を?」
「我々は使節としてこの国へ来たが、今の情勢を鑑みてアルタニアに帰ろうとしていたのだ。だが、政府は我々に援軍を出すよう迫った」
レオンハルトの言葉に、聞いている男達の表情が徐々に険しくなっていく。
「そのまま宮殿に残れば政府に利用されると思った我らは逃げることにした」
「追われているのはそれが理由か?」
「そうだ。追手を巻く為に二手に別れて行動している」
ふうむ、と目の前の男が唸るのを見て、レオンハルトは核心に迫った。
「あなた達は、反乱軍の人間か?」
ここまでのやり取りからレオンハルトが導き出した答えだった。質問の体でありながら、殆ど確信しているようなレオンハルトの口調に、男が苦虫を噛み潰したような顔になる。
「そうだ。先ほどの話だが、王女は政府に協力をする気はないということか?」
「ああ。アルタニアはこの国には介入するつもりはない。だが、ゴルゴナ政府はクリスティーナ殿下を人質にアルタニアと交渉するつもりだ」
故に我らは追手から逃げているのだと、レオンハルトは語る。
例えナヴィドが交渉したとしても、アルタニア国王は援軍を出さないだろうが、その事を敢えてここで言う必要はない。
反乱軍の人間には、自分達をアルタニアに逃がした方が得だと思わせなければならなかった。
「我々はこの国を出たい。その為に協力してくれないだろうか」
レオンハルトの申し出に男が意外そうに眉を上げた。先ほどまで武器を突き付け、脅していた相手が協力を依頼してくるとは。
レオンハルトとて、シェイラを人質に取ったことは許せなかったが、背に腹はかえられなかった。このままではいずれ政府軍に見つかってしまう。
傍目にも体調が悪そうな彼女にこれ以上の無理を強いたくない。
少し考える素振りをした後で、男が口を開いた。
「馬車ならば手配してやろう。ーーただし、こちらにも条件がある」
男の語る条件に、その場のアルタニアの面々は眉間の皺を深くしたのだった。
***
「どうかご無事で」
シェイラはレオンハルトを心配そうに見上げるとそう言った。
昨日反乱軍の隠れ家に連れて来られた後、シェイラは本格的に体調を崩していた。熱が上がり、顔を真っ赤にした彼女に、看病を申し出たのはリーダー格の男の妻だった。
昨日、連れて来られた際の女性の声は彼女だったのかとシェイラは思う。「体調が悪い時くらい人の厚意には甘えるもんだよ」と言った彼女は、シェイラを家のベッドに押し込んでしまった。
夕方、隠れ家を出る直前、シェイラの顔を見に来たレオンハルトは真剣な顔で彼女に告げる。
「行ってくる。シェイラは先に寝ていなさい」
レオンハルトの言葉にシェイラは首を振った。これからレオンハルトが行く場所は、大きな危険が伴う。一人安全な場所で寝ているなどできるわけがなかった。
「お帰りを待っています」
「……分かった」
短い別れの挨拶の後、レオンハルトの出ていった扉をぼんやりと見つめる。
昨日、リーダー格の男が語った条件は、領主の館に囚われた仲間の救出協力を求めるというものだった。「いくら武装しても俺達は農民に過ぎない」とそう言って、兵士達の力を頼ったのだ。確かに戦闘慣れしていない武装農民より、精鋭のアルタニア兵の方が戦力になると期待するのも分かる。
密偵業務で荒事に慣れたレオンハルトも銃を持ち、その救出作戦に参加することになっていた。
一人になった部屋でシェイラは深く息を吐く。彼の帰りをただ待つしかできない事が辛かった。一人でいると色々と考えてしまう。
脱出した日のキス以来、レオンハルトとの間には微妙な距離ができていた。何かはっきりとした溝があるわけではない。けれど時折、レオンハルトがシェイラに見せる辛そうな表情の意味を、シェイラは分からないまま時が過ぎていた。
『私がおそれているのはーー』
レオンハルトの言葉を思い出す。あの時、彼は何を言おうとしたのだろう。
一人帰りを待つ時間は、異様に長く感じられた。やがて日付が変わる頃、レオンハルト達は戻ってきた。
ベッドから飛び起きて玄関に行くと、レオンハルトの服にべっとりと赤い血がついている。
蒼白になってレオンハルトに近づけば、彼はシェイラから身を引くようにした。それが少しショックだったが、構わず彼の前に足を進めた。
「怪我をーー」
泣きそうなシェイラの声音にレオンハルトは首を振る。
「私は大丈夫だ。これは、私の血ではない」
暗い翳りのある表情でそう告げる。シェイラから身を引くようにして「私といると汚れるから」というレオンハルトに、シェイラは思わず自分の手を彼の手の甲に重ねていた。自分は傍を離れないと伝えたかったのだ。
「……着替えたら、後で行くから」
触れたところから、レオンハルトの強張りがほどけていくのが分かった。
レオンハルトの言葉に従って大人しく待っていると、着替えを終えた彼はすぐに現れた。
彼はシェイラに救出作戦は上手く行ったと、計画の成功をまずは説明した。
「助け出した男は、怪我はしてるが命に別状はないよ」
今は手当を受けているらしい。アルタニアの人間も全員怪我はなかったと、レオンハルトは続けた。シェイラが一言も喋らない事を不思議に思ったのか、「シェイラ?」とレオンハルトが顔を覗き込む。
優しい声音に、シェイラの胸につかえていた思いが溢れ出した。
「私のために、命をかけて欲しくはないのです。ーー生きていてくれなければ」
大量の血が流れる現場。一歩間違えばレオンハルトは命を落としていたかもしれない。心配で心配で、胸を去来したのは不安と大きな恐れだった。彼がそんな事をしたのはシェイラの為だと分かるから苦しくて堪らなかった。想われていることが嬉しい、けれど自分のせいで彼が危険に身を投じることが辛い。
「……君がそう思うのと同じように、私もそう考えるのだとどうして気づかない?」
虚をつかれて、レオンハルトの顔を穴が開くほど見つめてしまった。彼はあの傷ついたような表情でシェイラを見ている。レオンハルトの声音からは苦しさが滲んだ。
ーーいつかシェイラが自分の為に命を落とすのではないか。
それが彼の恐れの正体なのだとようやく気づく。
「君が私を大切だと思うのと同じだけ、私にとっても君が大切なのだと、どうして分からないんだ」
心のどこかで、二人の想いの大きさは同じではないのだと思っていた。六年もの間、片思いをしてきたのはシェイラの方だったのだから至極当然のようにそう思っていた。
レオンハルトの気持ちを疑ったことはない。それでも、自分と同じだけ好きになって欲しいという願いは、あまりに我儘な望みに思えた。
でも、そうではないのだろうか。レオンハルトがシェイラをどれだけ大切にしてくれているか、彼自身の言葉で伝えられ、温かな感情が胸に満ちる。そっとシェイラの肩を抱き寄せると、レオンハルトは耳元で囁いた。
「だからもっと自分自身を大事にして欲しい。私のことを大切だと思ってくれているならば」
そう言われて、涙が止まらなくなる。ごめんなさいと何度もレオンハルトの胸で呟いた。
子供をあやすように優しく背中を叩きながら、レオンハルトはシェイラの涙を拭った。結局シェイラが泣きつかれてレオンハルトの胸で眠ってしまうまで、その温かな抱擁は続いたのだった。




