少年王の苦悩
兵士が数人がかりで取り押さえているにも関わらず、女は異様な力で抵抗し、口を塞ごうとした兵の指を噛みちぎろうとした。
「くそっ! この女!」
指を噛まれそうになった兵士は、女の頭を手で押さえつけ、地面に押し付ける。
と、それを制止する声があった。
「やめよ! 乱暴にするでない!」
ラウールの言葉に、兵士達の顔に困惑が浮かぶ。国王の御前で、この狼藉。すぐにでも牢へ連れて行かねば己の責任問題になりかねない。しかし、幼くとも王であるラウールの言葉に否とは言えず、兵士達は従った。
「そちは人殺しといったが、それは余のことか?」
蒼白な面持ちでラウールが尋ねる。どこか焦点の定まらぬまま視線をゆるゆると上げ、女は口を開いた。
「この国は、人殺しでございます」
ぼそり、と女が呟く。ラウールの表情が強張った。
「それは、此度の戦争のことか? しかし、戦の勝利でわが国の領土は増えたのだぞ」
「でも、私の息子は死にました!」
突然、大声になった女にビクリとラウールの身体が震えた。
「あの子はまだ7つだったのに。食べるものがなく、どんどん痩せて……陛下、何故戦争を続けるのです? わが国は勝利したのでしょう? もう、無意味な戦争などお止めください!」
それは、7歳のラウールが答えるにはあまりにも酷な質問だった。もはや二の句が告げず、女をただ凝視することしかできない。
「何をしている。早くその女をつれていけ」
ラウールの後ろから姿を見せたナヴィドの言葉に、兵ははっと我に返った。
「ま、待て。その者に食事を与えよ」
兵士に連れ去られる痩せた女の姿に、ラウールが思わずそう言うと、ナヴィドがピシャリと叱責した。
「なりません。この者は罪人です。過ぎた恩情は不公平だと不満の温床になりましょう」
「しかし」
「無礼を働く者にいちいち情けをかけていては、陛下の馬車の前に身を投げる市民が後を絶たなくなりますぞ。それでもよろしいか」
ラウールは悔しげに唇を噛み締めている。
「ナヴィド、そちはこの戦争でわが国はより豊かになると言ったよな? ならば、何故あのように食うにも困る者がいるのだ?」
「申し上げましたでしょう。戦争の利益が下々の者まで行き渡るには時間がかかるのです。ごく一部の者達を見て、大局を見失ってはいけません」
「では、戦争を続ける目的は?」
「国益のためです。王ならば、より大きな目的を達成するためには、小さなことに捕らわれてはいけません」
二人の会話は、市民達には聞こえなかった。けれど、王の前に身を投げ、我が子の死を嘆き、不戦を訴える女の姿は彼らの記憶に残ることになる。
どこか空々しい雰囲気が漂う中、その後のパレードは予定通り進められたのだった。
宮殿に戻った後、アルタニアの面々はクリスティーナの部屋に集っていた。今日は衛兵達を束ねる小隊長ピアース・カーライルも同席することになった。アッシュグレーの髪に精悍な顔立ちのピアースは、歴戦の勇士といった佇まいの男である。
「いよいよ、きな臭くなってきたな」
バーナードの言葉に、その場にいた全員が頷いた。
「今回のクリスティーナ殿下の訪問を、政府の人気取りに上手く利用された感がありますね」
結果的に女の登場で水を差されたが、途中までは狙い通りだったはずだ。レオンハルトの言葉に、バーナードは眉間の皺を深めた。
「しかし、ゴルゴナ国内の状況がこれ程酷いとは」
「その件ですが、街で調べた調査結果です。予想以上に市民生活は悲惨です」
レオンハルトが渡した書類に目を通しながら、バーナードの表情が更に険しいものになっていく。
「なんだ。これは」
「ここ半年に作られた新税です。それ以外に、既存の税金も上がっています」
書類には、ここ半年でドゥールで徴収されることになった税の一覧が載っていた。家屋税、富裕者税、宿泊税、入市税。上がる物価に、新税の乱発。市民が困窮するのは当然のように思われた。
「連絡官は何をしていた!」
ゴルゴナにいる連絡官は、情報収集の結果をアルタニアに報告する任にあたっている。
「それが、ナヴィド補佐官に買収されていたようです。問い詰めたところ白状しました」
「こんな状態だと知っていれば、訪問を取りやめたものを……!」
バーナードは苦々しく頭を掻く。上司の苛ついた様子を、ユアンとヒースが宥めている。
「アルタニアに帰った方がいいのかしら」
これまでやり取りをじっと聞いていたクリスティーナが口を開く。
「ええ。これでは関税交渉も前提条件が変わってくる。この国に留まる意味はあまりないでしょう」
早々に荷物をまとめて帰る準備を、と言ったところで扉が激しく叩かれた。「ピアース隊長」と衛兵の焦った声が扉の向こうから聞こえる。
「どうした」
「それが、たった今、モーリス・デメル法院長が強制逮捕されたと連絡が」
「ったく、次から次に……!」
本格的な宮廷闘争に発展しそうな状況に、バーナードは思考を巡らせる。他国の厄介事に巻き込まれる前に、早くこの国を離れた方がいい。何と言っても、クリスティーナの安全を確保しなければ。
緊迫した雰囲気の中、シェイラはバーナードに茶を入れようと席を立つ。これまで何度かバーナードに茶を頼まれている内に、シェイラは彼が茶を欲しがるタイミングが分かるようになっていた。彼は自らを落ちつかせたい時に、シェイラに茶を頼むのだった。
部屋の隅にある茶器を取ろうとして、大窓の前でシェイラは足を止めた。窓の外に広がる光景に、一瞬頭がついていかず混乱する。
「シェイラ?」
窓の前で固まったシェイラに、レオンハルトが声を掛ける。
レオンハルトの方をゆっくりと振り返った彼女の顔は、青ざめていた。
「……あれを」
ゆっくりと指で窓の外を指し示したシェイラに、レオンハルトは彼女の傍らに近づく。そこで、レオンハルトにもシェイラが何を伝えようとしているのかが分かった。
視界の先に広がる赤。
もうもうと黒煙が立ち昇り、空を黒く染め上げていた。窓の先、ドゥールの街の一角が、激しい黒煙を上げながら、炎上していたのである。




