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王都

 ゴルゴナの首都、ドゥール。

 64万人が暮らす、大陸有数の大都市である。

 遥か北に勇壮なペルデュ山脈が聳え、宮殿を中心に放射線状に王都の町並みが広がる。

 雑多な空気が漂う喧騒の間を、金髪の青年が縫うように歩いていく。

 ドゥールにある酒場の一つに入ると、ここ数日で顔なじみになった店の女将と挨拶を交わす。金払いの良いレオンハルトの事を、彼女はすっかり気に入ったようだった。


「最近の街の景気はどうです?」


 軽く水を向けると、女将は「どこもだめねぇ」と首を振った。

 宮殿の外で平服に着替え、今のレオンハルトは商人風の格好をしている。女将は貴方のところも大変でしょうと同情的だ。


「そうですね。うちもなかなか厳しいですが。なんとか」


 ここの酒代くらいは問題ありません、と言うと女将は声を上げて笑った。


「ほら、あそこで飲んでる人達。近くで商売やっているんだけど、ここの所の不景気でこの時間からやけ酒よ」


 こっそりと声を潜め、奥の席に座る男達を目で示す。確かに飲み始めるにはまだ早い時間だったが、既に空のジョッキが男達の前に並んでいた。


「まぁ、お金がないからすぐに切り上げるんだけどね」


 レオンハルトは男達の方をちらりと確認すると、会話に耳を傾ける。どうやらかなり酔っているようだった。


「政府の役人達は何を考えてる!」

「今度は家屋税だと。俺達に死ねということらしい」


 したたか酔った男が、ジョッキをテーブルに乱暴に置く。男の言葉に、周りの男達も頷いている。


「なんでも、モーリス・デメル法院長様が反対したのを、政府が無理やり押し通したらしい」

「へぇ、お貴族様でも気概のある人がいるんだね」


 男の一人が意外そうに眉を上げる。


「高等法院の貴族達は、俺達庶民の味方だというぞ」

「ほんとかねえ」

「あまりに政府に楯突くから、法院長様が更迭されそうになったとか」

「後釜に座ろうとした悪徳伯爵が丸焦げになったって事件だろ?あれは、胸がすっきりしたねぇ」

「因果応報さ。悪い奴には罰が下るもんだ」


 ちがいない、とがははと笑う男達の話に、レオンハルトは眉を顰めた。

 このところ、急速に市民達の間に広がっている噂。そこに誰かの意図を感じたのだ。

 店を出たレオンハルトの顔には、厳しい表情が浮かぶ。

 帰ってバーナードに報告しなければと、レオンハルトは足早に歩き出した。


 ***


「ふぅ」


 店先に残る花々をみて、エマは溜息をついた。

 今日も、全く売れなかった。

 市の一角、朝用意した花々は籠の中にほとんどそのまま残っている。

 このままでは今晩も食卓に並ぶのは、固いライ麦パンと味もしないほど薄めたスープになってしまう。家でエマの帰りを待つ幼い弟妹と病気の母になんと言おう。肉など長いこと口にしていなかった。

 自分のやつれた頬に手をあてて、また溜息が漏れる。


 みんな、花を買う余裕などないのだ。

 半年前、戦争に勝利したという報に国中が沸いた。誰もがこれでやっと元の生活に戻れる、否、もっと生活が良くなると期待した。

 けれど、半年経ってもエマ達の生活は苦しいままだ。

 国の偉い人が何を考えているのかエマには分からなかったが、街の人たちは皆、政府が悪いのだと言っている。

 戦争で得た利益を、全て自分たちの懐に入れているのだと。王様は幼すぎて、周囲の言いなりだと。

 ちっとも良くならない暮らしに、エマだって怒りを覚えている。


 今日はもう店じまいして帰ろうか、と思いかけた時。

 一人の青年が、店の前で足を止めた。

 店先に並ぶ花を見て、少し迷うようにしている。

 客だ、と思った瞬間エマは話しかけていた。


「贈り物ですか?」


 にこにこと商売用の笑顔で尋ねると、青年は逡巡した後口を開いた。


「ああ」


 青年の顔をまじまじと見て、エマはびっくりした。

 驚くほど綺麗な顔をした人だ。金色の髪に青い瞳。こざっぱりと清潔感のある青年は、エマより少しだけ年上だろうか。

 胸が一瞬ときめいたが、それよりも今日のスープの具が増えるかどうかの瀬戸際だ、という思いの方が上回った。


「どんな風にしましょうか? カトレアなんていかがです?」

「……彼女は、あまり華美なものは好まないと思う」


 青年は店に並ぶ花を幾つか指で示して、こういうものの方が多分好みだろうと口にした。


「では、いくつか見繕って束にしましょうか」

「頼む」


 青年の目元が柔らかく細まる。恋人の事でも考えているのだろうか。


「ありがとうございました」


 花束を渡し、青年から代金を受け取ると、エマは心からの笑顔でそう言った。

 花を手にした青年に「きっと喜んでくれると思います」と言うと、彼は蕩けるような微笑を浮かべた。


「ありがとう」


 去っていく青年の後ろ姿を見ながら、あんな笑顔を向けられる人は、一体どういう女性なのだろうとエマは思う。彼はどんな顔をして花束を渡すのだろう。エマの作った花束が恋人達の笑顔を作るというのは、なかなか楽しい想像だった。

 その後もあれこれと想像を膨らませながら、久しぶりに幸せな気持ちで、エマは帰路についたのだった。

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