闖入者
翌日、飾り窓の間と呼ばれる広間で、貴族院の議長任命式が行われていた。
床まである巨大なアーチ型の窓が並び、窓枠には花や果実の模様が装飾されてる。日の光が差し込み、場は厳粛な空気に包まれていた。
ナヴィドが名を呼ぶと、一人の男が恭しくラウールの前に進み出、頭を垂れる。
「ティエリ・ラカンを議長に任ずる。よく励め」
ラウールの言葉に、男はさらに深く頭を下げた。参列しているクリスティーナとオリヴィアは、真面目な顔で見入っている。
その様子を隣室から眺めて、シェイラとエイミーは息をついた。
この式典に二人は参列を許されていない。式が終わるまで隣の控室にいるよう案内されたが、ここには広間の様子が見える小さな窓がついていた。官吏が式の進行を見ながら出入りができるよう作られたものらしい。他国の任命式など早々見れるものではない。好奇心に抗えず、こっそりと二人はこの窓から中の様子を覗いていたのだった。
式典が終わりに差し掛かろうとする頃、一人の男が扉を開けて広間に入ってきた。シェイラ達がいる控室からちょうど反対側にある大扉である。
男はつかつかと広間を横切ると、憤怒の形相でナヴィドを睨む。
「ナヴィド! 貴様、狂ったか!」
入ってきたのは、モーリス・デメル。口ひげをたくわえ、厳めしい顔つきをした50代の男性である。大柄な体躯に堂々とした態度は、線の細いナヴィドなどよりよほど威厳があった。
モーリスを一瞥すると、ナヴィドは目を眇めて不快感を表した。
「これは、法院長殿。式の最中ですよ」
冷静なナヴィドに対し、モーリスの方はあまりの怒りに他の人間が視界に入っていないようだった。
「捕らえた男が全員死んだというではないか」
「彼らは自ら命を絶ったのです。目を離した見張りの兵は、既に処罰しております」
「それは本当か? 長い歴史の中で6人の人間が同時に自決したなど聞いたこともないぞ」
「そうはいいましても、事実ですから仕方がありません」
「ナヴィド。よもや貴様、裁判にもかけずあの者たちをーー」
モーリスの言葉をナヴィドが遮る。
「妙な勘繰りはやめていただきたい。これ以上私を侮辱するならそれ相応のお覚悟を」
冷え冷えとしたナヴィドの口調に、モーリスはぎりりと歯がみする。
「最近の貴様の振る舞いは目に余るぞ。法を何だと思っている!」
「今は式典の最中です。これ以上騒ぐようなら無理やりにでも出ていっていただきますよ」
ナヴィドが目線で合図を送ると、壁で控えていた衛兵が動く。
「ええい、触るな!」
モーリスは怒りも露わに、そばに寄ってきた衛兵の手を振り払うと、そのまま自らの足で広間を後にした。
唖然と成り行きを見守っていた参列者たちは、底冷えするような声に我に返る。
「続きを」
ナヴィドは一言そう言うと、進行を促す。その声に、まるで先程の出来事などなかったかのように、式典は再開されたのだった。
夕刻、クリスティーナはバーナードを部屋に呼んだ。
既に昼間の一件をオリヴィアから報告されていたバーナードは、席に座るなり口を開く。
「今回の一件、ゴルゴナ内の権力闘争の可能性が出てきました」
「どういうこと?」
クリスティーナが尋ねると、バーナードがちらりと隣のユアンに視線を送った。今、この部屋には外務局の面々が勢揃いしている。
ユアン・ベーコンはバーナードの右腕と呼ばれる人物である。実年齢は30代後半だが、皺一つない顔のおかげで十は若く見える。バーナードの視線を受けて、ユアンが口を開く。
「舞踏会で被害にあったマルコ・ビューロー伯爵ですが、次の法院長に内定していたようです」
法院長とは、裁判や司法を司る高等法院のトップのことを指す。時に立法にまで口を出す強い権限を持っていた。
「それが、今回の事件でその話はなくなったようですね」
当面は、現職のモーリス・デメルが法院長の椅子に座り続けることになったという。
「ではライバルのビューロー伯爵を、法院長が排除する為にやったということ?」
クリスティーナが尋ねる。
「あくまで可能性の一つです。ビューロー伯爵は評判の良くない人物のようですし、まだ何か出てくるかもしれません」
「でもそれならどうして今日あんなに怒って入ってきたのかしら」
ライバルを蹴落とすという目的は達成している。わざわざナヴィドに喧嘩を売る必要はないのにとクリスティーナは首を捻る。
「確かに変ですね」
「変よねぇ」
ヒースも首を捻ると、二人でうんうんと考え込んでいる。
「もう少し情報が必要だな。オリヴィア、ビューロー伯爵について調べられるか?」
バーナードの指示にオリヴィアが頷く。
「でしたら局長、レオンハルトと組ませてください」
オリヴィアの言葉に、シェイラは小さく動揺した。
「いや、レオンハルトには他の仕事を頼んでいるから駄目だ。ヒース、オリヴィアと一緒に調べてくれ」
「あら残念。レオンハルトならご婦人方の口も軽くなるのに。まぁ、ヒースでいいか」
「お前なぁ……」
ヒースが呆れたようにオリヴィアを見ている。ヒースの視線を受けて、オリヴィアは赤い唇を綺麗に引き上げて笑った。
二人のやりとりを少し疲れたように見つめ、バーナードは溜息をつく。
「しかし、モーリス殿の発言は気になりますね」
話題を変えるようにレオンハルトが言うと、バーナードも頷きを返す。
「迂闊な事は言えないが、本当に裁判もせず捕えた男達を処罰したのだとしたらーー。あの補佐官、かなりの危険人物だ」
同国人にさえ、やりかねないと疑惑を持たれている。顔色の悪い痩身の男を思い浮かべて、バーナードは眉間に皺を寄せた。
「もう少し事件の全体像が見えてくるまで、ナヴィド・バルトリには近づき過ぎるなよ。殿下もこれまで以上にご注意を」
バーナードの言葉に、その場にいる全員が表情を引き締めた。




