外務局長
翌朝、クリスティーナの部屋にやってきたナヴィドが告げた言葉に、バーナードは眉を顰めた。
「死んだ?」
バーナードが聞き返すと、ナヴィドが冷ややかに頷く。
「牢の中で自害したと、今朝見張りの兵から報告がありました」
そんなバカなとバーナードは心の中で悪態をついた。捕らえられた男達は全部で6人。揃いも揃って自殺するのに気づかないなどということがある訳がない。
クリスティーナの部屋に集った面々も眉間に皺を寄せている。
バーナードは歯ぎしりしたくなるのを堪え、口を開いた。
「昨夜の尋問で犯人の目的は分かったのですか?」
「それが、口を割らなかったようで。恐らく他国の工作員の類ではないかと」
「他国の工作員が何故あのようなことを?」
「貴国と我が国の友好に亀裂を入れたかったのではないでしょうか」
歓迎の場であのようなことが起これば、今回の訪問に水をさすのは明らかだとナヴィドが言う。言っている事は尤もなのだが、バーナードの長年の経験がこの男は食えないと言っている。
「マルコ・ビューロー伯爵が狙われた理由に心当たりは?」
「誰でも良かったのでしょう。あの場には人が大勢いたし、伯爵は運が悪かった」
どうにもこの男の本心が見えなかった。
こんな見え透いた嘘を信じると本気で思っているのだろうか。ナヴィドは話はこれで終わったとでもいうように、礼をとるとその場を辞した。
ナヴィドがいなくなった後、真っ先に口を開いたのはレオンハルトだった。
「局長、どう思われます?」
「嘘だろうな。しかしあそこまで頑なな理由が分からん」
「それほどに隠したい事があるのでしょうか」
呟いたのはヒースだ。
「いずれにせよ我々でも調べるべきだろう」
バーナードの言葉に、レオンハルトは何か熟考をはじめたようだった。頭の切れるこの部下は、一度集中するとなかなか戻ってこないことをバーナードは知っている。
レオンハルトを気遣わしげに見る紫の瞳の少女に向かって、バーナードは微笑んだ。
「すまないが、茶を淹れてくれないだろうか」
「はい」
一途にレオンハルトに好意を寄せるこの少女を、バーナードは思いの外気に入っている。
シェイラは茶を淹れると、そっとバーナードの前に置いた。
「ありがとう」
「熱いですから、お気をつけて」
茶に口をつけると、先ほどの苛立ちが少し落ち着いた。結婚前であれば、烈火の如く怒った後はなかなか血の気が引かなかったものだが。頭が冷えたところでクリスティーナに向き直った。
「殿下、明日から関税の交渉がはじまります。殿下とは行動を別にすることも増えるでしょう。何か気になることや不審な事があったら必ず我々に教えて下さい」
「わかったわ」
神妙な顔でクリスティーナが頷く。
「あまり無茶はなさらないでくださいね」
おどけて言うと、クリスティーナもわざとらしくむくれて見せる。
「失礼ね。そこまでお転婆じゃないわ」
緊迫した空気が少しだけ和らいだところで部下を伴って部屋を退出した。クリスティーナがショックを受けていないか心配だったが、あの分なら大丈夫だろう。
明日の交渉に備えてバーナードが執務室で書き物をしていると、レオンハルトがやって来た。気になることを思い出したと言う。
アルタニア外務局の為に用意された部屋の一つを、局長専用の執務室として使っている。レオンハルトは執務机の前に座ると口を開いた。
「到着した日の夜なのですが、衛兵達が気になることを言っておりまして」
レオンハルトの話によると、当番でなかった衛兵達が数人街に降りたのだという。本来、身体を休めるべきなのだが、彼らは酒場へ出向く方を選んだらしい。
「あいつらーー」
再び歯ぎしりしそうであったが、話が進まないためレオンハルトに先を促す。
「それが、夜も更けないうちに戻ってきたのです」
バーナードは首を捻った。兵士が早々に酒を切り上げ帰ってくる。結構なことではないか。
「それの何が問題なんだ?」
「彼らの話によると酒が異常に高かったと」
アルタニアで売られている酒の倍の金額を取られたと衛兵達は憤慨していたらしい。足元を見られてぼったくられたと、レオンハルト相手に不満をぶちまけたのだ。
「私も最初は気に留めていなかったのですが。彼らの行った店がたまたま悪かったのでなく、実際その値段なのだとしたらーー」
バーナードはすっと目を細める。
「レオンハルト。その話、調べてくれるか」
「かしこまりました」
すぐに踵を返して出ていこうとする背中に声をかける。「あまり無茶をするなよ」と数刻前、若い王女にかけたのと同じ言葉を、今度は本気で言っていた。
余裕のある笑みで「はい」と言うと、レオンハルトは部屋を出ていった。
一人になった部屋で、先ほど出ていった部下の事を考える。入局当初から有能ではあったが、一方で大義のためなら命を簡単に投げ出しそうな危うさも感じていた。国の為に命を捧げる覚悟は必要だが、それは命を粗末にすることとは違う。蛮勇と勇気は別物だとバーナードは思っている。なまじ優秀な分、レオンハルトは無茶を無茶と思わない節があった。
それが最近、レオンハルトは変わった。以前のような危うさがなくなり、地に足がついたとでもいうのだろうか。その変化の理由が、黒髪に印象的な紫の瞳を持つ少女にあることを既に彼は知っている。若い二人の行く末を案じる己を自覚して、バーナードは苦笑した。「……俺も歳を取るわけだ」くしゃりと最近白髪の増えた髪を掻く。以前はあまり他人のことを気にかけるような性格ではなかった。だが、この変化は悪くない。妻が聞けば「そんな貴方も素敵よ」と笑ってくれるだろう。
アルタニアにいる家族の事を思って、彼はしばし瞳を閉じた。




