狂騒
人が燃えている、という現実味のない光景に茫然としていると「シェイラ」と鋭く名を呼ばれた。
レオンハルトは厳しい顔つきで周囲に視線を走らせている。
はっとしてクリスティーナの姿を探すと、既にアルタニアの兵士に周りを囲まれていた。ほっと安堵の溜息が漏れる。
目の前では、燃える森の精霊がのたうち回っている。苦悶の呻き声が、黒い毛皮の塊から漏れ聞こえた。
「早く火を消せ!」
ナヴィドが叫ぶが、衛兵も尻込みしている。火の大きさが異様なのだ。
貴族達が出入口に殺到しはじめ、騒然とした雰囲気になりつつあった。レオンハルトはシェイラの肩を抱き寄せると、「側を離れるな」と短く命じる。
彼の表情から、これが事故ではないのだと知る。
油断なく警戒しながら、クリスティーナの元へ歩みを進めると、続々と他の面々も集まってきた。
「クリスティーナ殿下を早く安全な場所へ」
バーナードが命じると、衛兵が素早くクリスティーナの周りを固めて動く。クリスティーナもできることは何もないと思ったのか、青い顔で素直に従っている。
ダンスフロアを振り返れば、ようやく屈強な兵士達が濡れた布と水をかけて消火にあたっている所だった。傍では、精霊の衣装を身にまとった男達が兵士に取り押さえられている。
既に仮面は外され、素顔が晒されていた。
「お前達、何者だ」
ナヴィドが問うが男たちは彼を憎悪のこもった目で睨みつけるだけで答えない。埒が明かないと思ったのか「連れて行け」と命じると、シェイラ達の方へやってきた。
「歓迎の宴がこのようなことになってしまい申し訳ありません。尋問の内容は後ほど私から伝えに参りますので、どうぞ今はお部屋にお戻りになってください」
ナヴィドの顔も青ざめている。
後でクリスティーナの部屋に集合することにして、一旦部屋へ戻ることになった。
レオンハルトはシェイラを衛兵の間まで送り届けると、念を押す。
「後でそちらに行くから、シェイラは殿下の部屋にいるんだよ」
一人では出歩くなと重ねて言う。シェイラも素直に頷いた。
まだ心配そうな顔をしていたので、「お仕事があるのでしょう?」と促すとようやくその場を後にした。
その背中を見つめる。衛兵よりも貴方が傍にいる方が心強いのだと言う言葉は、声にはならなかった。
シェイラがクリスティーナの部屋をノックすると、扉を開けたのはエイミーだった。
彼女もまた蒼白な顔をしている。
二人ともまだ夜会用のドレスを着ていたので、着替えましょうとクリスティーナを促す。部屋用のドレスに着替えたクリスティーナに紅茶を淹れると、ようやく肩の力が抜けたようだった。
「さっきのは、何だったのかしら……」
クリスティーナのいた壇上からは距離があったが、それでも炎は見えていたはずだ。ショックを受けるクリスティーナの手を握り、背中をさする。
しばらくして、レオンハルト達がやってきた。
椅子に腰を下ろすと、バーナードが口を開く。
「まだはっきりとしたことは分かりませんが、被害にあったのはマルコ・ビューロー伯爵です」
バーナードの説明によると、重症ではあるものの彼は一命をとりとめたという。
「私達がこの国に来たことと何か関係があるのかしら?」
「それは何とも。しかしあれほど目立つ方法です。周到に準備はされていたでしょう」
「……一体、何が起こっているの」
不安げな問いに、応える声はない。重い沈黙が場を支配した。
「補佐官殿の説明を待ちましょう。今日は遅いので来るのは明日になると先ほど連絡がありました。我々もこれで失礼します」
「今夜はゆっくりお休みください」
レオンハルトもそう言うと立ち上がる。扉を開けたシェイラに、「おやすみ」と小さく告げた。
扉を閉めると不安な顔のまま、クリスティーナが二人を見上げる。
「ねぇ、エイミーもシェイラも今日はここで一緒に寝てくれない?」
幼子のような願いに二人は顔を見合わせる。流石にそれは不敬に当たるのではないか。二人の困惑にクリスティーナは言い募った。
「お願いよ。一人では寝られそうにないの」
王女の懇願に最終的には二人が折れた。クリスティーナの不安もよく分かったからだ。
急いで自室に戻り、必要なものをまとめてクリスティーナの部屋にとって返す。
その後は寝間着に着替えると、その日は早々に就寝することにした。
広い寝台の上で、クリスティーナを真ん中に川の字で並ぶ。
疲れていたのか、横になるとすぐに睡魔が襲ってきた。眠りに落ちる直前、「ありがとう」と小さな声が横から聞こえてきた。「いいのです」という呟きはクリスティーナに聞こえていただろうか。抗えない眠気に、シェイラは意識を手放した。




