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宮廷舞踏会

 体中の血が沸騰するかと思った。しばし固唾を呑んで見つめあった後、先に視線を逸らしたのはシェイラの方だった。

 これ以上見つめていれば、シェイラに向けられた視線の意味を、きっと都合よく解釈してしまう。

 けれどレオンハルトはそんなシェイラの心情を知ってか知らずか、あっさりと距離をつめたのだった。


「シェイラ。ーー綺麗だ」


 そつのないレオンハルトにしては、あまりにも率直な言葉に、再びシェイラの体温が上がる。頬が熱い。何か言わなければと思うのに、沸騰した頭では何も考えられない。

 硬直したシェイラに、助け舟を出したのはバーナードだった。


「その辺にしておけ。困っているじゃないか」

「局長」

「部下が不躾で申し訳ない。とてもよくお似合いだ。お美しいですよ」


 大柄な体に似合わぬ優美な動きでシェイラの手を取り、腰を折る。バーナードも軍服だが、レオンハルトとは別の意味でよく似合っていた。将軍だと言われたら、きっとそのまま信じただろう。バーナードに助けられて、シェイラはやっと口を開くことができた。


「勿体ないお言葉です。ーーレオンハルト様もありがとうございます」


 レオンハルトを見れば、胸をかき乱すような艶のある表情は消え、いつもの柔和な笑顔になっていた。


「本当に綺麗だ。そのドレスも君によく似合っている」


 穏やかな声音に、シェイラの顔も綻ぶ。


義姉あねが選んでくれたんです。レオンハルト様もとても素敵です」


 ちょうどゴルゴナの官吏が入場を告げにやってきたため、話はそこまでとなった。


 アルタニアの一行が会場に入場すると、視線が一気に集まる。大広間には既に貴族達がひしめき合い、今日の主役を待ち望んでいたようだった。

 きらびやかな装いの貴婦人達に、宮廷楽師達の軽やかな音楽が華を添える。

 クリスティーナが壇上に座るラウールに挨拶を述べると、「うむ。今宵は楽しむとよいぞ」とラウールが大仰に頷いた。本人は至って真面目に言っているのだが、やはりどこか可愛らしい。

 王の言葉を合図に、舞踏会が始まる。最初は高位貴族が踊り始め、徐々に身分の上下なく踊りに加わっていく。


 外務局の人間にとっては、この場もまた主戦場である。さっと各々がゴルゴナの要人の所へ散ってしまった。


 最初の頃、シェイラはエイミーといたのだが、飲み物を取りに行くと言ってその場を離れた途端、エイミーは青年貴族に捕まったようだった。ダンスの申し込みを受けて、今はフロアで踊っている。


「麗しいお嬢さん。私と一曲踊っていただけませんか?」


 唐突に話しかけられて振り向くと、目の前に茶髪の青年が立っていた。年はレオンハルトと同じくらいだろうか。グレーの瞳が、シェイラへ向けられている。


「ーー私ですか?」

「ええ」


 一瞬ダンスの申し出に戸惑ったが、すぐに、断っては失礼にあたると思い直した。シェイラの逡巡を別の意味にとったのか、青年は口を開いた。


「これは名乗りもせず失礼しました。フランツ・アバックと申します。お名前を伺っても?」


 フランツの問いかけに、シェイラは笑みを返す。


「アルタニアより参りました。シェイラ・イングラムと申します」

「ーーイングラム?」


 はっとした時には遅かった。目の前の青年は一瞬顔を困惑に歪めた後、つたない言い訳を並べてそそくさとその場から去ってしまった。

 その表情に、隣国のスキャンダルとイングラム家の悪名は、この国でも知られているのだとシェイラは悟る。


 さざ波のように、けれど光の如き速さで、シェイラの出自はその場にいる貴族達に広まったようだった。ダンスを申し込む男性はその後現れず、シェイラは自分の失態に深く落ち込むことになった。


 これで、ゴルゴナの人々がアルタニアに侮られたと感じたらどうしよう。シェイラの存在に不快感を覚えたとしたら。クリスティーナやレオンハルト達の努力を自分が台無しにしてしまうのではないか、という押しつぶされそうな不安が去来する。


 せめてできるだけ人々の視界に入らないようにと壁の近くに移動して、会場をぼんやりと眺める。

 大臣らしき男性と熱心に議論しているレオンハルトが目に入った。クリスティーナは、すっかりラウールに気に入られたようで、幼い王の隣で楽しげに話しかけられている。シェイラの失敗に気づいた者は、アルタニア側にはいないようだった。


 夜会前の高揚した気持ちは、今や跡形もなくなっていた。

 シェイラが壁の花になっていると、近くにいる少女達の囁きが耳に入る。


「ーーほら、あの方が」

「実家があんな事になったら、私だったら恥ずかしくて表には出られないけれど」

「いくら高い爵位があっても、ああも落ちぶれてはねぇ」

「でも、そのおかげであれほど素敵な人と婚約できたんだもの。羨ましいわ」

「ーー本当に素敵な方。おまけに次期公爵様であらせられるのですって」

「ああ、わたくしがお慰めして差し上げたいわ」

「まぁ、はしたないわよ」


 くすくすと、視線をシェイラに寄越しながらお喋りに花を咲かせている。

 彼女達が、シェイラに聞こえるようわざと言っているのは分かったが、素知らぬ振りで毅然と顔を上げる力は残っていなかった。


 顔を俯け、耐えるように唇を噛む。ふいに、視界が暗くなって、シェイラの前に影ができたことに気がつく。はっとして顔をあげると、金髪の青年が目の前に立っていた。


「ーー美しい人、どうか私に貴方と踊る栄誉を与えてはいただけませんか?」


 レオンハルトにしては芝居がかった誘い文句で、シェイラに手を差し出す。呆然と見つめると、レオンハルトはシェイラにだけ聞こえるように「手を取って」と囁いた。

 この手をとれば貴方に迷惑がかかるのだと言おうとして、シェイラは言葉を飲み込んだ。きっと彼はとっくに気がついている。シェイラといれば好奇の視線に晒されることを。

 分かっていて尚、こうしているのだ。恥ずべきことは何もない、とその目が語っていた。


 レオンハルトの強い瞳に、負けるなと背中を押されたような気がして、シェイラは覚悟を決めた。


「ーーはい。喜んで」


 そっと、レオンハルトの手に自分の手を重ねると、あっという間に引き寄せられる。そのままレオンハルトのエスコートでダンスフロアへ進むと、無遠慮な視線が送られてきた。


 二人に向けられた視線は痛いほどだったが、シェイラは気にすまいと心に決めた。今は、差し出されたこの手を信じよう。


 管弦楽のゆったりとした調べにのせて踊っていると、レオンハルトと何度も視線が合う。シェイラの心を波立たせる熱を持った瞳に見つめられ、顔を俯けようとすると「逸らさないで」と耳元で囁かれた。心臓の音がうるさいほどだったが、それでもレオンハルトを見つめれば彼は嬉しそうに笑う。


 長くも短くも感じる一曲が終わると、何かを待つように楽師が動きを止めた。何やらダンスフロアでこれから余興が始まるらしい。レオンハルトと共にダンスフロアから出ると、何が始まるのかと人々の視線が中央に注がれる。出てきたのは、不思議な扮装をした人々だった。


 それは、奇妙な踊りだった。蔦の絡まる衣装、草花を模した衣装、生き物の毛皮のような毛むくじゃらの衣装を身にまとった一団が輪になって踊る。全員が仮面をつけ、素顔は見えなかった。それぞれが、蔦の精霊、花の精霊、森の精霊に扮しているのだと、しばらくしてシェイラは気づく。三精霊が出てくる有名な寓話があるのだ。幻想的とも不気味とも思える踊りは、次第に輪を広げていく。踊り手が一人、また一人と周囲で見ている貴族を輪にいざなう。

 見よう見まねで踊る貴族に、どこから出したのか同じような衣装を差し出す精霊達。頭からすっぽりと衣装を被り仮面をつければ、もはや誰が誰だかわからなくなってゆく。幾人もの蔦の精霊、花の精霊、森の精霊が舞い踊る。


 花の精霊が、会場の燭台から松明たいまつに火を灯した。手に松明を持ったまま、輪の中央で踊り始める。炎を使った舞に、場は益々盛り上がった。


 熱気が最高潮に達した時、それは起こった。


 森の精霊の身体が、突如として燃え上がったのである。

 シェイラは始め、それを演出だと思った。

 しかし、耳をつんざくような悲鳴に、ようやく炎に包まれた黒い塊の中に、生身の人がいるのだと認識する。


 華やかな宴は終わりを告げ、一気にその場は恐慌状態に陥ったのだった。

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