第三章 救われる者は Ⅶ
所長室にも燃える炎の熱が厚い建物の壁を越えて、届いてきているように思えた。それほど研究所全体に炎は燃え移っていったのだ。その炎を所長室の窓から見つめていた所長は、中庭にトモヤの姿を見つけた。トモヤの前には、他の『覚醒者』の子どもたちが身をすくめるようにして立っていた。
(……僕にできることは)
じっと中庭の様子を見つめていた所長は、数秒間考える。相手が子どもとはいえ、『覚醒者』が有している人知を超えた力は圧倒的だ。倍以上も年齢の違う所長が立ち向かったところで、返り討ちに合うだけだろう。
それでも、所長はここでじっとしているだけには耐えられなかった。ましてや、誰よりも早く逃げ出すことなど選択肢になかった。
(たとえ無力でも、僕はここの所長をやらしてもらっている。子どもたちも所員も僕のことを信頼してくれている。それを裏切ることは僕にはできない)
思い立った時には、所長はすでに所長室の扉を開けていた。
そして、中年太りした身体を限界まで速く走らせる。一人でも多くの人の未来を守るために自分ができる最高の努力をしよう、と。
研究所の廊下を走る所長の姿を見た所員たちは、慌てて所長を止めようとする。しかし、「そっちは危険ですよ」と叫ぶ所員に目もくれず、所長は中庭へと向かう。『覚醒者』の子どもたちはかれんにお願いしている。かれんを信頼していないわけでもない。それでも、頼むだけで後は放っておくということができなかったのだ。
「はぁはぁ……」
息が荒くなる。
それは久しぶりに身体に鞭打って全速力で走っているからだろうか。それとも、燃え盛る研究所内に煙が充満し始めているからだろうか。その判断もつかないまま、所長は中庭に出る扉の前まで辿りついていた。
「火がもうここまで――」
扉はすでに原型を留めていなかった。さきほど起こった爆発とトモヤの炎の影響で、外壁の半分近くが崩れている。そこから中庭を火の海にしている炎の熱気が流れてきていた。
(熱気だけで顔がやけどしそうだ)
飛びこむことを躊躇しそうになる。目の前の状況は、とても一般人が掻い潜れるものではなかった。いや、『覚醒者』であっても耐えることは難しかっただろう。
それほど悲惨な状況になっている中庭の反対側に、『覚醒者』の子どもたちはいる。恐怖を前にしている子どもたちのことを思うと、火など恐れるに足りなかった。
「これくらい……っ」
再び意を決して、所長は火の海に飛び込んで行く。
(大人が簡単に子どもを見捨てるわけにはいかない!!)
対『覚醒者』部隊が到着したのは、『県立異能力精査研究所』でサイレンが鳴り響いてから、約二〇分後だった。
県警が市民の避難誘導を優先して行っている中、ヘリコプターで日野市に降り立ったのだ。研究所近くの学校のグラウンドに着陸したヘリコプターから次々と完全武装した男たちが降りてくる。
「対『覚醒者』特例により、突撃許可は下りている。市民の誘導は県警が行う。我々は研究所へ向かい、『覚醒者』の鎮圧を行う!」
号令を発して、男たちは走り出す。その先には真っ赤に燃え上がる研究所がはっきりと見えていた。
出動した対『覚醒者』部隊は一個小隊のみだった。
暴走を起こした『覚醒者』は子どもが一人。よって、日野市から最も近い部隊が出動しただけだった。能力は炎であり危険度は高いと報告を受けていたが、警視庁は応援を送ることは渋ったようだった。
まもなく見る影もなくなった研究所の入り口に着いた。
爆発を受けて強固な鉄の門はひしゃげていた。その奥に燃える研究所から逃げ出してくる研究員やスタッフの姿が見えた。すでに警察車両がいくつも止まっており、まだ研究所にいる者の救助を行っているのだろう。消防隊は全てを飲み込もうとしている炎を鎮火しようと消防車のホースから放水を続けていた。
「突入する!!」
対『覚醒者』部隊は県警と同じように救助に向かうのではなく、騒動の核である『覚醒者』を鎮圧しようと突入していく。すでに、『覚醒者』は中庭にいるという情報を彼らは得ていた。




