第三章 救われる者は Ⅴ
研究所にけたたましいサイレンが鳴り響く。
「警告レベル、レッド!! 施設内にて、『覚醒者』の無断能力使用を確認! これは……トモヤですっ!!!」
『県立異能力精査研究所』。
その管理室で、一際大きな声が響いた。
「どこだっ!?」
監視スタッフの報告に、管理室にいた研究員がすぐに反応した。
「中庭です!!」
「なんで、急に能力を!? くそ……っ、仕方ない。警察に対『覚醒者』部隊の出動要請を! 理由は分からんが、爆発のレベルからお遊びじゃないぞ!!」
一気にまくしたてた研究員はさらにスタンドマイクを握り、所内放送を行う。
「こちら管理室! さきほどの爆発は、『覚醒者』の無断能力使用によるものと判明! 該当する『覚醒者』は覚醒者ナンバーシックス、トモヤ! 所員はただちに避難を開始せよっ!!!」
耳を塞ぎたくなるほどのサイレンと爆発の音に負けないように、最大音量で所内放送が行われた。
その放送に、研究所のあちこちで騒ぎの声が一気に響きだした。
「爆発?」
「どこからだ……っ!?」
研究所内のあちこちの部屋から、研究員や常駐のスタッフたちが飛びだして驚く。初めてと言えるほどの異常事態にパニックになっていた。『覚醒者』が爆発を起こすという出来事は、この施設では初めてだったのだ。
「と、とりあえず逃げないと――」
「それよりも子どもたちの安全を――」
「彼らは俺たちよりは力を持ってる。まずは自分の身の安全が大事だろ」
口々に言い合う所員たちは意見をまとめる暇もなく、再び起こった爆発に煽られるようにして建物の外へと向かって走り出した。身の安全を確保するにも、『覚醒者』の子どもたちを助けるにも、まずは外に出なければならなかった。
違う場所で、鳴り響くサイレンをさらに塗り替えるような所内放送を聞いていたかれんは驚愕していた。
「……爆発はトモヤくんが……っ!?」
つい先ほど、所長からトモヤの話を聞いたところである。
研究所閉鎖にトモヤが関わっているなら何が原因なのか、それを信じる暇も考える暇もなく、ここも同じようになってしまうのか。その恐怖が、かれんの身体を襲う。
「そんな……っ!」
それまでは半信半疑だったことが、ここで起こっている。かれんの肌は襲いかかる恐怖に震えていた。
(マサトシはいない! それなら私は所長に頼まれたことをしないと――)
慌てて、かれんは研究所内にある寮棟へと向かう。
(この時間なら、みんな談話室にいるはず)
休日の研究所は普段と違って、研究員やスタッフの数は少ない。それでも、最低限の数のスタッフはいる。研究所にいたスタッフたちが、先ほどの所内放送を聞いて廊下をばたばたと走っていた。
「かれんちゃん! そっちは危険だ」
そのうちの一人が、寮棟へと向かっているかれんの背中に声をかけた。しかし、かれんはその声を無視して走り続ける。
「はぁはぁ……っ」
(爆発の音は寮棟のほうから聞こえてきてた。急がないと――)
その焦りが、かれんの心を恐怖に支配させる。
トモヤの能力が異様に高いことは所長から教えてもらった。所長の言葉通りなら、かれんにトモヤを抑えることはできないかもしれない。トモヤの相手にすらならないだろう。
それでも、かれんは与えられた責任を果たそうと足を急がせる。所長が、かれんにだけ頼んだ理由を、かれんはしっかりと理解しているからだ。
中庭の木々や花壇が激しく燃えている。先ほどの爆発で、研究所や寮棟の外壁が所々崩れ落ちて、地面のコンクリートにひびが入っていた。
それらの光景を見たトモヤは、
「こ、これは……」
(さっきの薬の力……?)
トモヤは白い錠剤を飲んだ瞬間から身体が急に熱くなりだし、力が溢れ出るのを感じていた。
「……落ち着くのを助ける……」
大きい影が口にしていたことは嘘だろう。しかし、気分が高揚として悪い気ではないことは確かだった。
(これなら、みんなを助けられるっ!)
トモヤは確信する。これだけの力を発揮できるなら、一人でも弱い立場のみんなを助けることが出来る、と。
その視線は炎が燃え移ろうとしている寮棟へと向けられる。あそこには、今も現状に不満を漏らしている仲間がいるのだから。
瞳に強い意思を宿して、トモヤはゆっくりと歩を進めていく。
トモヤが向かっている寮棟は、今にも爆発の炎が燃え移ろうとしていた。中庭に整然と植えられている木の天辺まで炎が飲み込んでいたのだ。
その様子を窓から見ていた『覚醒者』の子どもたちは慌てて逃げようとしている。
「こっちのが早いって!」
子どもの一人が、寮棟から外へ出ようと出入り口のある一階へ向かおうと指を指している。しかし、他の子どもは、
「ばか! 外が燃えてるんだから、研究所へ行ったほうが安全だろ! そっちなら大人もいるし」
逃げる方向を言い争っている子どもたちの前で、窓が割れる音が響いた。
「きゃ……っ」
と、ショウコが両手で耳を塞ぐ。
「熱……っ」
窓が割れたことで、炎の熱気が寮棟の中に侵入してくる。
顔を背けたくなる熱気に耐えながら、『覚醒者』の子どもたちは必死にその場から逃げていく。
「どっちでもいい。早く寮から出よう!!」
このままでは、寮棟自体が持たない。そう判断した子どもたちは走り出した。
そこへ、慌てた様子の寮母がやってきた。
「あなたたち!」
走り出した背中に掛けられた声に、子どもたちは驚いて振り返った。
「サトウさん!」
「みんな、無事!?」
「俺たちは……」
「で、でも、かれんお姉ちゃんとトモヤくんがいないの」
「……そ、そう。でも、今はあなたたちが助かることを考えなさい。すぐに避難するわよ」
子どもたちは口々に慌てた言葉を発する。それを聞いて、一瞬躊躇した表情を寮母は見せたが、先に子どもたちを避難させようとした。
パニックに陥っている状態の子どもたちは、寮母の後を走ってついていく。この場で唯一の大人である彼女についていけば安全だ、と子どもながらに思っているのだ。
中庭に植えられている木から炎が寮棟へと燃え移ろうとしている。炎の勢いは衰えることはなく、瞬く間に中庭を火の海へと変えていた。
「こっちよ、みんな!」
その様子を見た寮母は階段を降りながら、『覚醒者』の子どもたちを誘導していく。
階段を一段二段と飛ばして駆け下りていく子どもたちの前で、廊下の窓がいくつも割れていく。中庭で爆発が立て続けに起こっているのだ。
「な、なんなんだよ、これ!?」
何が起こっているのか分からないユウヤは、叫びながら必死に走る。
割れた窓から爆煙と炎が寮棟へと侵入してくる。立ち止まっていたら、煙と炎に焼かれてしまう。そうならないためにも、状況を理解できなくても走るしかなかった。
「とりあえず走るんだよ。止まんなよ、ショウコ!」
子どもたちの一番後ろを走っているショウコに別の子どもが声をかける。息切れ切れに「うん」と答えたショウコも必死の表情をしていた。
ようやく一階まで着くと、そこはすでに悲惨な状況になっていた。
上の階は窓が割れる程度だったが、一階は壁自体がなくなっていた。中庭の様子が丸見えになっていて、昨日までとの違いに『覚醒者』の子どもたちは絶句する。いつも遊んでいる中庭が、足を踏み入れることも躊躇う火の海になっていたのだ。窓から見たよりも炎の勢いは強くて、一瞬の内に飲み込まれてしまいそうな錯覚を覚える。
その炎の中にトモヤの姿があった。
「お、おまえ……」
トモヤの姿を見つけたユウヤは声を失う。
「こんなところにいたんだ。早く行こう? ここにいたら、僕たちはいつまでも籠の中だ」
「なに言って――」
トモヤの言っていることが理解できない、とユウヤは言葉を最後まで紡げない。
そのことは気にも留めないで、トモヤは子どもたちに近づいていく。ぎらぎらとした目付きは以前のように、大人しそうなトモヤの印象を完全に消している。台詞と表情が合っているようには思えない。
すると、近づいてくるトモヤから子どもたちを守るように、寮母が両手を広げて前に立った。
「何の真似?」
「この炎はトモヤくんが出したものでしょ? みんなを恐い目に遭わせて、何がしたいの!?」
「恐い目?」
寮母の言葉に、トモヤは顔をしかめた。
「そんなつもりはないよ。僕たちはここにいたら、ずっと閉じ込められたままだ。こんなに素晴らしい力があるのに、なんで僕たちは閉じ込められなきゃいけないんだよ!! それこそ、僕たちは籠の中で恐い目に遭わされてきたんだ!」
語気を荒げるトモヤ。
その威圧感に、子どもたちを守るように間に立った寮母は圧倒されてしまう。子どもと大人という以前に、『覚醒者』と一般人という差が二人にはあった。そのあまりに大きな差が、トモヤが行動を起こした原因の一つであることに寮母は気付かない。
「そんなことないわ。トモヤくんも他のみんなもここで大事にされてるのよ? それが分からないの?」
「分からないさ! 大事にされてる? 大人が僕たちを恐がって、ここに閉じ込めてるだけじゃないか!!」
感情的に言うトモヤに、寮母の言葉は届かない。届くはずがないのだ。それでも、『覚醒者』の子どもたちを守ろうと寮母はトモヤの前に立つことを止めない。
「サトウさん……」
寮母の後ろで怯えるように立ちすくんでいるショウコは唇を震わせている。トモヤの豹変ぶりに恐怖を感じているのだ。ショウコだけでなく、それは他の子どもたちも同様だった。
「あなたたち先に逃げるのよ……」
その子どもたちに、寮母は小声で伝える。
「で、でも」
「ここは任せて。あなたたちを犠牲にさせるわけにはいかないの!」
声を張り上げたことで、子どもたちはトモヤに圧倒的な恐怖を感じながらも慌てて寮棟から離れていこうとする。
しかし、
「なんでみんな逃げるんだよ!」
走り出した子どもたちの後を、トモヤも追いかけようとした。
「行かせないわ」
そこに、寮母が再度両手を広げて妨げる。その手は激しく震えているが、決意を持った瞳は全く揺らがないでいた。
「……邪魔しないでよ。僕はただみんなを助けたいだけなんだ」
トーンの低い冷めた声だった。トモヤの身体から止まることなく発せられている炎の熱さに驚いてしまうほど、本当に冷たい声だった。
「邪魔するなら、容赦しないよ」
一言。
たった一言が聞こえてくるうちに、寮母の身体を炎が包みこんだ。
そして、火柱が一気に燃え盛る。炎が全てを飲み込む轟音にかき消されない悲鳴が木霊した。
「サ、サトウさん!!」
ユウヤの声が炎に焼かれている中庭に響き渡った。
数秒。
火傷しそうなほど熱気を浴びている肌がピリピリとした痛みを感じている――その数秒間。
それだけで、炎は寮母の身体全てを焼いていった。
「さ、一緒に逃げよう」
何事もなかったように、立ちすくむ子どもたちにトモヤが声をかける。
目の前で寮母が炎に焼かれて倒れていくところを見た子どもたちは顔を蒼白にしていて、声を失っていた。ショウコの口がぱくぱくと動いているが、そこから音は聞こえない。声にならない声とともに、うっすらと涙が頬を伝っていた。
「トモヤ……」
我に返ったユウヤは、トモヤを睨みつける。
「ここにずっといても、僕たちは幸せになれない。みんなももっと外で幸せになれるんだ」
変わらず、トモヤは声をかけ続ける。自分以外のみんなも、それを望んでいると信じながら。
子どもたちはトモヤの言葉に納得はせず、無表情なトモヤに狂気すら感じた。恐怖を感じさせるトモヤについていこうとする子どもはいない。ユウヤを先頭にして、全員がトモヤから後ずさりを続けるだけだった。




