第三章 選択を迫られて Ⅱ
トモユキがアオイと電話で話していた頃、悠生は『ルーム』のミユキたちの部屋にいた。ミユキに呼ばれたのである。
ちなみに『ルーム』で六つある個室の中で、ミユキたちの部屋はミユキ、アオイ、ミホの三人で使っている。そのため部屋の中にはベッドが三つあり、それだけでかなりのスペースを取っていた。
部屋に呼ばれた悠生はベッドに横になっているミユキを見て、
「怪我はもう大丈夫なのか?」
「えぇ、大丈夫よ」
部屋には悠生とミユキだけではく、『ルーム』で一番幼いミホもいた。
悠生とミユキが話している横で、ミホは静かに本を読んでいる。それは先ほどからミホが読んでいる小説だった。
そのミホを、悠生はちらちらと何度か横目で見ている。
(何だろう、この空気……)
悠生はなぜ部屋に呼ばれたのかも知らない。何か話があるのだろうが、何の話なのか見当もつかないでいる。さらに、部屋にはミユキしかいないのかと思ったら、ミホもいたのだ。
「どうかした?」
困惑している悠生を見て、ミユキは首をかしげた。
「い、いや。話って何なのかなって思って……」
「あぁ、うん。そんな大した事じゃないんだけどね。ミホから、リビングでトモユキさんたちと悠生くんが話してるって聞いたから、どんな話してたのかなって気になって……」
ミユキは、悠生がリビングでトモユキやマサキたちとどのような話をしていたのかを気にしている。自分はベッドで横になっている中で、何か重要な話をしていたのではないか、という不安があるのだ。
一瞬迷った素振りを見せるが、悠生は口を開いた。
「……タクヤを助けに行こうって、みんなに言ったんだ――」
(あれ、違った!?)
自分がしていた予想と違っていたことに、ミユキは心中で驚く。
ミユキがしていた会話の予想は『時空扉』に関して、だった。トモユキと悠生が『時空扉』奪還のために今後の計画などを話し合っているものだと思っていたのだ。
しかし、予想は違っていた。そのことにミユキは声に出さないまでも、狼狽している。それに気付いていない悠生は話を続ける。
「『賞金稼ぎ』に捕まってるかもしれないから、急いだ方がいいって。そしたら、連絡が来てからだ、って相手にされなくて……」
「タクヤを?」
「うん。……なんか心配だったんだ。タクヤ自身のことはまだ良く知らないけど、俺を助けてくれるために行動してくれたことは変わらないから。だから、俺もタクヤを助けるために行動したかったんだけど――」
言葉が詰まったことに、ミユキはトモユキやマサキたちに反対されたのだろう、と予想する。
トモユキたちの反対はミユキも理解できる。悠生は未だに危険な身であり、おいそれと『ルーム』から出るべきではない。そのために反対したのだろう。だが、悠生ではなくミユキであればタクヤを助けるために『ルーム』から出ることは問題ない。
「……そっか。けど、悠生くんがそんなに頑張らなくても大丈夫よ。タクヤは私が助けに行くから」
「え……っ? で、でもミユキは身体が――」
「さっきも言ったでしょ、もう大丈夫だって――。みんな大袈裟すぎるのよ。いつまでもベッドで横にならなくたって、立って歩けるんだから外に出ることくらい、なんてことないわ」
相変わらず身体は大丈夫だとミユキは言う。
しかし、同じ部屋にいたミホは小さくため息をついて、
「ミユキお姉ちゃんこそ、そんなに無理しなくていいと思うよ?」
と口を挿んだ。
それまで読んでいた本を閉じて、ミユキの顔をまっすぐ見つめている。対して、ミユキは年下であるミホの視線から逃れるように顔を背けた。
「無理ってどういうことだ?」
悠生は、いきなり割り込んできたミホの言ったことに疑問を持つ。
「ミユキお姉ちゃん、ほんとはまだ戦えるくらいまで治ってないよね?」
「ど、どうしてそう思うの――?」
「ずっと一緒にいるんだもん。ミユキお姉ちゃんの仕草がおかしいことくらい、私でも気付くよ」
「仕草がおかしい?」
ミホの言葉に、悠生はさらに疑問を感じる。
ミユキの仕草がおかしいというのはどの部分のことなのだろう。悠生には、ミユキの仕草の違いなど全く分からなかった。
「そ、そんな、ことは……」
対して、ミユキは心当たりがあるように歯切れの悪い返事をした。その反応を見て、悠生もようやくミユキの体調は万全ではないことを悟る。
ミホは追いうちをかけるように、さらにミユキを問い詰めていく。
「ほんと? ミユキお姉ちゃん、寝る時はいつも身体横にしてるよね? 昨日も仰向けで寝たままで、寝返りしなかったの私知ってるよ?」
「う……っ」
ミホの指摘に、ミユキは明らかにうろたえる。それはミホの指摘が当たっていることを示していた。
閉じた小説を持って、ミホは立ち上がる。
「私、リビングに行ってるね。ミユキお姉ちゃんはもっと自分の身体のことも心配した方がいいよ」
部屋を出て行く間際にもう一度振り返って、ミユキに忠告した。
そのミホを、悠生は茫然と見つめていた。
「……な、なんかすごい子だな――」
年下のミホは、ミユキにきつい口調でものを言っていた。
どちらが年長者なのか分からなくなる。それほどミホの忠告はしっかりとしていた。この一週間見てきた彼女とはあまりにも違っていて、悠生は茫然としていたのだ。
「普段は年齢相応の子に見えるでしょうね。でも、結構鋭い子だから――。寝る時の様子を見ているなんて、誰も思わないじゃない」
「まぁ、確かに――」
ミユキの身体はまだ全快じゃないというのを、寝る時の体勢から判断するなんてことは普通ならしないだろう。
そのことに、悠生はミホのことが少し恐いとさえ思ってしまう。
そのまま悠生は、ミホが出ていった部屋のドアを見つめている。ミホの態度がいきなり変わったことにまだ驚いているのだ。
すると、悠生は急に部屋を見回し始めた。それまではリラックスしていた悠生も急に身体を強張らせる。
「どうかした?」
悠生の様子が急に変わったことを、ミユキは不思議に思う。
それまでと違って、悠生は妙にそわそわとしている。
「いや、この部屋に入るのも久しぶりだなって思って」
「ぶっ!」
悠生の言葉に、ミユキは盛大に吹いてしまった。
「な、何言ってんのよ――」
「何ってほんとにそう思ったんだし、聞いてきたのはミユキじゃんか」
ミユキの反応に、悠生は自然とむっとしてしまう。
そんなに驚かれるようなことだろうか、と首をかしげながら、ミユキの反応に難癖をつけた。
「たしかに、そうだけど。急にそんなこと言うから――」
一方のミユキは過剰な反応を見せたまま、言葉を返した。
しかし悠生が言っているように、その言葉に間違いはない。
先日の『炎』の『覚醒者』との戦闘で深手を負ったミユキは一週間近く療養していたため、悠生が部屋に入る事はなかった。部屋に入るのは、この部屋で一つの決断をした時以来になる。
改めて、悠生は部屋を見回す。
結構な広さがある部屋に思えるが、やはり三つもあるベッドがその広さを消していることは疑いようがない。部屋には別にタンスや本棚など、どの家庭にもあるだろう家具が並べられている。それらの家具がある反対の壁には、大きなクローゼットがあった。
「……ずっと、ここで暮らしてたのか?」
不意に気になったことを、悠生は尋ねた。
「ずっとじゃないわ。私がここに来たのは一年半くらい前よ」
「え、そうなのか!?」
意外に短い期間であることに、悠生は驚く。
ミユキの話では、『ルーム』が出来たのもその時だと言う。
ミユキたち『覚醒者』が、トモユキが勤務している研究所に所属することになる際に作られた家が『ルーム』なのだ。それが、ミユキが先ほど言った一年半前である。
「じゃあ、その前は?」
「……みんな、別々のグループにいたわ。私はユウキ――こっちの世界のあなたと一緒に行動していたわ。タクヤやアオイと出会ったのは高校生になってからよ。他のみんなと知り合ったのは『ルーム』に来た時が初めてだった」
「ふぅ~ん。てっきり、ずっと一緒にいたのかと思ってたよ」
悠生は、それまで自身が抱いていた感想を口にする。
「一年と半年くらいなのに、みんな仲が良いんだな。年も結構ばらばらなのに」
初めてここに来た時から、悠生はそう思っていた。
こちらの世界のユウキがいたから、というわけではない近寄り難さというものを感じていたのだ。
「そんなこと気にしてたの?」
「気にするなってほうが無理だろ。時空移動なんて人に言えない形でこっちの世界に来てるんだし、恥ずかしいけど頼れるのはミユキたちしかいないんだから」
自嘲混じりに、悠生は言った。
それを聞いて、ミユキも小さく苦笑する。
「それも、そうね。でも安心して。確かに、私たち『覚醒者』は固まってることが多いわ。けど、悠生くんの力になろうって気持ちはみんな持ってる。私だって、約束したしね。悠生くんが、元の世界へ戻る方法を探すって」
「……あぁ、わかってる」
小さく頷いた。
その反応を見て、ミユキも浮かべている表情を苦笑から微笑に変える。
悠生も、ミユキたちの輪に自分が後から来たことは十分理解している。今もこちらの世界のユウキと比べられている部分があることは肌で実感している。その緊張からか、悠生は積極的に距離を縮めようとしてもはっきりと縮まらないすき間があることを分かっていた。
「うん。だから、もっとフレンドリーでいいんだよ。私だって、悠生くんがいた世界のこととか興味あるし」
「そうなのか?」
意外だ、と悠生は驚く。
悠生自身はこちらの世界のことに興味――元の世界へ戻るため、という理由を含めて――を示していた。しかし、ミユキもだが『ルーム』にいるみんなは、それほど悠生の世界へ関心を示していなかった。一番驚いていた――あるいは、反応を見せていたのは『覚醒者』が存在しないということだけだ。
「ごたごたしてたからね」
その時のことを口にすると、ミユキはそう苦笑いを浮かべた。
「まぁ、そうだな」
思い出す。
ほんの一週間前の出来事なのに、もう随分前のことのように思えた。
悠生がこちらの世界へ来る原因にもなった『時空扉』とユウキを巡った争い。巻き込まれた形の悠生は望むと望まないに関わらず、争いの中心に立たされた。
その時のことを思い出して、悠生は胸の奥がちくりと痛んだ。
「……悠生くん?」
「大丈夫。それに、今は置いとくよ。さっきも言ったけど、ミユキやタクヤは俺を助けてくれた。今度は、俺が助ける番だから――」
胸の痛みを隠して、悠生はまっすぐに答える。
悠生の言葉に、ミユキは「うん」と短く頷いた。
悠生もミユキもそれぞれ、先日の争いに思いを抱いている。それが同じものかどうか、二人は確かめ合うことはしない。それでも、悠生は二人の思いがどこかで繋がっているのだと確信していた。
二人の間の雰囲気が変わる。
自然と微笑みたくなるような居心地の良い雰囲気に、悠生とミユキは目を合わせる。「ふふ」と小さく笑ったミユキの笑顔が、悠生にはとても眩しく見えた。
(……この世界も案外良いかもしれないな)
悠生は、不意にそう思ってしまった。抱いた気持ちを不思議に思うこともなく、悠生はその思いを飲み込んだ。
変わった雰囲気を、いつまでも感じていたと思う。それが叶わないことを知りながら、悠生はミユキの笑った顔を見つめていた。
すると、部屋のドアがノックされた。
誰かが来たようだ。
悠生は立ち上がって、ノックされたドアを開ける。開けたドアの先にいたのは、マサキだった。
「マサキさん、どうかしたんですか?」
そのマサキの表情が浮かないことに気付いた悠生は尋ねた。
「……トモユキさんがリビングに来いって、みんなを集めているよ。タクヤについての情報が入ったんだ」
「情報!?」
「タクヤが見つかったんですか!?」
小さな声で紡がれたマサキの言葉に、悠生とミユキは跳び上がるようにして驚く。
「アオイから連絡があったんだよ。アオイの話だと、緊急事態みたい」
その二人の様子を見て、少し言いにくそうにマサキは続けた。
「「緊急事態?」」
悠生とミユキの声が重なる。
緊急事態とは何なのだろうか。タクヤに何かあったのだろうか、と二人は気になる。マサキの表情が浮かないままであることを見れば、悪い結果を想像してしまう。
その質問にマサキは、
「それは、トモユキさんから話がある」
と、リビングにいくように言った。
「トモユキさんから?」
はぐらかされたことと、トモユキから話があるということにミユキは不思議な顔をする。全員を集めるということは、やはり最悪の結果が起こったのだろうか、と想像した結果が頭の中でさらに色濃くなっていく。
マサキが言った緊急事態というキーワードが悠生とミユキの胸中を渦巻きながらも、二人はマサキについていく。




