第二章 身を寄せて、背を向ける Ⅲ
カツユキとアオイは町を一つ二つと電車に揺られて、とある駅まで移動していた。
トモユキからの指示により、ニュースになっていた『賞金稼ぎ』の足取りを掴むために、犯行が行われた『眠る街』がある町まで移動したのだ。
ずっと電車に座っていたためにお尻が痛くなっているカツユキは左手でお尻をさすりながら、駅の改札から出てきた。
「あ~痛かった……。ずっと立ってるのもしんどいけど、座りっぱなしってのもしんどいな」
相変わらずぼさぼさの茶髪頭であるカツユキは、長時間電車に乗っていたことに愚痴を吐く。
しかし、隣を歩いているアオイは取り合わない。駅を出るとすぐに携帯電話を取り出して、何か操作し始めた。
ホームが二つしかない小さな駅を出ると、それほど大きくない町であることに気付く。『ルーム』がある都会と呼べるような街ではなく、住宅街や団地の多さばかりがやけに目についた。
カツユキは顔をしかめながら、隣にいるアオイに尋ねる。
「で。この街にある『眠る街』なのか?」
「そうみたいです。ニュースでも言ってましたし、間違いないでしょうね」
先ほど取り出した携帯電話の画面を見ながら、アオイが答えた。
携帯電話の画面には先日のニュース記事が映し出されている。記事に載せられている写真は明け方撮られたモノのようで事件当時とは違うだろうが、駅からもそれは見ることができた。
「ここの『眠る街』で有名なタワーがあれ、か」
カツユキは駅からもはっきりと見えるタワーを見つめている。すっかりと廃れた外壁や塗装が剥がれていることまで視認できた。何の目的で建てられたタワーなのかは分からないが、あれほど目立つモノはこの町には他にないだろう。
そして、ニュース記事に載せられている写真にも同様のタワーが写り込まれていた。
「ですね。とりあえず『眠る街』に行ってみましょうか?」
「ん、そうだな」
アオイの提案に、カツユキは口をもごもごとさせて答えた。
返事がはっきりとしていなかったことに、携帯電話の画面を見ていたアオイが視線を上げると、カツユキは口に咥えた煙草に火を点けようとしていた。
「また煙草ですか?」
それを見て、アオイは呆れるように言った。
電車に乗る前も一度吸っていたのだ。少しは我慢できないのか、と横目にしながら思っているのだろう。
「一時間以上も電車に乗ってたんだ。一服くらいさせてくれよ」
「……はぁ。いいですけど、時間は惜しいんですから早くしてくださいよ?」
「分かってるって」
アオイの視線も気にしながら、カツユキは咥えた煙草に火を点けた。フゥ~、と煙を吐きながら、カツユキは落ち着いたような表情をしていた。
そのカツユキの表情を見てアオイは、過度な中毒症状が出ているんじゃないか、と本気で心配する。
数分後。
吸い殻を携帯灰皿に入れたカツユキとアオイは駅からようやく『眠る街』へ向けて歩きだしていた。
一軒家やアパートばかりが目立つ町は独特な静けさに覆われている。通りを歩いていても人とすれ違うことが極端に少なく感じられた。それは、普段都会で暮らしているから抱くことかもしれないが、カツユキとアオイにはどこか恐くもあったのだ。
「……今日は休日だったか?」
「え、えぇ、そうですけど――。それでも、やけに静かですね」
時刻は午後の三時前。
休日であるため友達同士で遊んでいる子どもを見かけたり、家族してどこかに出掛けようとしている家庭を見かけてもおかしくない日ではある。それでも、すれ違った何人かの人々は全て一人で歩いていた。
町からは活気のある声が聞こえてこない。そのことに二人は嫌な恐怖を感じていた。
「今朝のニュース見て、みんな家に閉じこもってる――とか」
一つの可能性をアオイは言葉にしてみた。
「その可能性はあるかもしれないが、にしても引き籠りが多すぎないか? この時間帯ならスーパーとかに買い物に行ってる連中がもっといても不思議じゃないだろ」
「そ、そうですよね……」
自分で言った可能性も、アオイは確信があるようではなかった。
結局、二人は町を歩いている人があまりに少ない理由が何も分からなかった。嫌な静けさに満ちている町を二人は歩いていく。廃れた様子が遠目でもわかるタワーを目指して。
『眠る街』の規模は、場所によってかなり違う。
かつての大竹町が覚醒者の抗争で都市としての機能を失ったここの『眠る街』は、先日悠生が逃走劇をした『眠る街』よりもはるかに規模が小さい。数ブロックの地区が『眠る街』として外の世界から隔離されているだけである。
ちなみに、『眠る街』の規模は、そのまま覚醒者たちの抗争の大きさを表している、と言える。一キロ四方の区画で『眠る街』となっている町は、まだかなり小さい方、なのである。
駅からタワーを目指して、まっすぐと歩いていた二人は三〇分も経たないうちに、そのような比較的小さな『眠る街』の前まで来ていた。
『眠る街』と区別するために、外周にはかなり高いフェンスが設けられている。
しかし、管理されていないため、フェンスの金網は切られ、中へ自由に出入りできるようになっていた。
「ここも静かですね」
旧大竹町である『眠る街』を見て、アオイは外の町と雰囲気がそれほど変わらないことを口にした。
アオイの言う通り、『眠る街』も異様な静けさに満たされている。外の町よりも、人の気配がしそうにない。
「ここは普通静かなもんだけどな。それより『覚醒者』の姿は?」
カツユキに尋ねられて、アオイは自身の『覚醒者』としての力を行使する。
周囲にいる生物と視界を共有して、その生物が見ている物をアオイも見ることができるのだ。
「……見つけられないです。『覚醒者』はいるのかもしれないけど、ちょっと分からないですね」
『眠る街』はアオイの『覚醒者』の力が及ぶ範囲よりも広いようで、アオイの力でもすぐに全てをくまなく探せられるわけではない。何より視界を共有する生物が自身の力が及ぶ範囲内にいなければ、何もできないのだ。
「じゃあ、人は?」
「範囲内には人の気配すらありません」
アオイの報告を聞いて、カツユキはやはり、と唸った。
本来『眠る街』は機能が停止した街として世間に認識されており、世間の目を気にしている『覚醒者』や住む場所を失った人々には格好の場所とされている。そのため無法地帯となっているのだが、ここの『眠る街』には人の姿が見当たらない、とアオイは言っているのだ。
「何か気になりますか?」
「『賞金稼ぎ』の犯行があったから、『覚醒者』が場所を変えたってことはあるかもしれないだろうが、人がいないってのはちょっと気にはなる――な」
駅から『眠る街』に来る過程でも、外を歩いている人があまりに少ない気がしていた。
不可解なことばかりに、カツユキはさらに首をかしげている。しかし、なぜなのかはやはり見当もつかなかった。
人の気配がしない『眠る街』の中へ、カツユキとアオイは金網が切られたフェンスをくぐって慎重に入っていく。
まだ昼の時間であるにも関わらず、二人が足を踏み入れた『眠る街』は外の町よりも暗い気がした。それが町の雰囲気によるものなのか、単純に陰が多いからなのか、二人には区別もつかない。
一歩一歩の足取りが重くゆっくりであり、人の気配がしないことが、逆に誰かに見られているのでは、という錯覚を起こさせる。
時々聞こえるカラスの鳴き声が、このような時間でも不気味に感じられた。
「本当に誰もいないみたいだな――」
静けさに耐えられなくなったように、カツユキはおもむろに口にした。
その声にさえ、アオイは身体をビクつかせる。
「もぉ~、いきなり喋らないでくださいよぉ……」
涙声のような声で、アオイは弱々しく言った。
「そ、そんなこと言ってもな……」
「ホントにびっくりしたんですからね!」
「悪かったって――」
外壁が崩れて中の様子が丸見えの建物、路上に放置されたままの自動車、ガラス窓がひび割れて活気がなくなったスーパー。それらの他にも多くの物が、『眠る街』としての特徴を端的に表している。それら壊れた物や放置された物は、この町が『眠る街』となった争いの時の名残か、その後にそうなったのか。
どちらにせよ、二人にとってそれなりに見慣れた光景であり、それ以上の情報を与えてくることはない。
それら『眠る街』の特徴を表している物を横目にしながら、二人は常識がある人なら近寄らない街を歩いていく。
そういえば、とカツユキが思い出したように声を出した。
「『賞金稼ぎ』はここで犯行を起こしたって言ってたけど、具体的にどこなんだ?」
カツユキとアオイは町の雰囲気を肌で感じるために来たわけではない。
二人がここまで来たのは、ニュースになっていた『賞金稼ぎ』の足取りを確かめるため、である。
「えっと……」
もう一度携帯電話を出して、アオイはニュース内容を確かめる。
しかし、
「そこまで詳しいことは書いてないです。旧大竹町の『眠る街』としか――」
「……そうか~。まぁ、そこまでは分かるもんじゃないか……」
『賞金稼ぎ』の足取りに関しても、当然すぐに分かるものではない。犯行現場を見た、という人はいないだろうし、その『賞金稼ぎ』について詳しくて足取りが分かるという人もいないだろう。
「足取りを掴めって言われて、さてどうするか……」
改めて、トモユキの指示に二人は考える。
トモユキの指示は、ニュースに出ていた『賞金稼ぎ』のグループにタクヤの知り合いがおり、『ルーム』を出たタクヤはその知り合いの所に身を寄せている。だから、『賞金稼ぎ』の足取りを掴め、というものである。
端的に伝えられた指示であるが、それは予想以上に難しい。
「手当たりしだい聞いて回りますか?」
「一つの手段としてアリだろうが、まず疑われるだろうな。『賞金稼ぎ』にも『覚醒者』にも関わりたくない人ばかりだろう――」
「じゃあ……」
どうするんですか? という言葉をアオイは飲み込んだ。
『眠る街』はその名の通り、眠ったような静かさを依然として醸し出している。仮にここに人がいたとして、『賞金稼ぎ』のことを聞いても答えてくれる人などいないだろう。そして、それは隣接する町の住人に聞いても十分に可能性があった。
カツユキは考える。
(『覚醒者』が売られる場合、その取引先は『覚醒者』関連の施設が基本……)
「ここら辺で、あまり良い噂を聞かない『覚醒者』関連の研究所って知ってるか?」
「い、いえ……。そもそも、この県には『覚醒者』を受け容れてる施設の数は極端に少ないですよ?」
「……だよな」
アオイの返事を、確かめるようにカツユキは何度も頷いた。
その手が上着のポケットに伸びた。ポケットから取り出したのは煙草の箱である。
「また、ですか?」
それを見かねて、アオイは呆れた声を上げた。
「ん? おぉ、悪い。無意識だった――」
「無意識だったって……。それにしても煙草の吸いすぎですよ」
その言い訳が本当なのかどうか、アオイには分からない。
カツユキの身体を心配するアオイ。しかし、カツユキは深く取り合うことはしない。
「そんなきつく言わなくてもいいだろ~。それに、俺よりもっと吸ってる奴はいるからな? むしろこの程度なら、身体に良いくらいだよ」
「そんなわけないじゃないですか!」
二人の声は、大きくなってばかりだ。
他に音を発しているのはカラスの鳴き声や時折吹く風に木の葉が揺れる音くらいだ。その中で、カツユキとアオイの会話はよく響いている。
『眠る街』には他に人もおらず、その静けさが二人に恐怖感を与えてきているのだ。その恐怖に耐えられなくなった二人の声が大きくなっている。
「…………」
「……」
そこで、会話が止まる。
二人の間だけでなく、『眠る街』全体が再び静けさに包まれた。
寝静まった夜という訳でもないのに、静けさは肌を突き刺す恐怖へと変わる。太陽はまだ真上にあるというのに、『眠る街』はやけに暗く感じられた。
カツユキとアオイは、その街を変わらずに慎重に歩いていく。感じる恐怖から少しで逃げるように、アオイは隣を歩いているカツユキに寄りそうようについていっている。
「……お、おい、アオイ」
「だ、だって」
と、アオイは弱々しい声を上げている。
そのアオイを見て、カツユキは「はぁ……」と小さくため息をついた。
「そのままでいいから、とりあえずくまなく回ってみるぞ」
「は、はい……」
二人は『眠る街』を歩いてく。
(警察がいると思ってたんだが――)
『眠る街』の静けさに、やはりカツユキは違和感を抱く。
『賞金稼ぎ』が『覚醒者』を捕まえたニュースでは、今朝未明に犯行が行われた、と言っていた。今も警察の捜査が行われていてもいいはずである。
しかし、アオイは、『眠る街』には人の気配がしない、と言っていた。それはアオイの力が及ぶ範囲内でだが、実際に『眠る街』を歩いても人の姿を見かけない。
(事件の後に、何かあったのか)
そうカツユキは考える。
何かあったとしても、その何か、は分からない。『賞金稼ぎ』がまた別の場所で犯行を行ったか、町の住民まで仲間に引き込んでいるのか。その何かを一つ一つ考えていくと、そのどれにも可能性があるような気がした。
「どうかしました?」
カツユキが喋らなくなったのを見て、アオイが不思議がる。
しかし、尋ねられたカツユキは言葉を返すことはしない。ある一点をじっと見据えていた。
「? カツユキさん?」
アオイは再び声を掛ける。
すると、今度は静かな声が返ってきた。
「しっ! 誰かいる」
「……!?」
カツユキの言葉に、アオイは口に手を当てるようにして声を殺す。
二人が黙ると、声が微かに聞こえてくる。ここまで『眠る街』で人の存在を感じる事は出来なかった。ここにきて、始めて目撃した人になる。
「……何人かいますね」
聞こえてくる微かな声が、会話していることにアオイは気付く。
正確な数は分からないが、複数の人がいるようだ。
会話をしている人の様子を窺おうと、カツユキは建物の陰から顔を覗かせようとする。その時、はっきりと声が聞こえた。
「『賞金稼ぎ』の奴らはまだこの町にいるらしい」




