序章 交わりの始まり Ⅳ
夜空に吸い込まれるように、黒煙が空高く上っていく。ついで焼けるような匂いが、辺りに充満している。
それらは、先ほどの爆発によるものだ。
地面が大きく揺らぐほどの爆発は巻き上げられた粉塵と火炎の衝突によって、引き起こされた。いや、強烈な風とともに巻きあがった粉塵が火炎放射器を飲み込み、無理矢理放射された火炎が火炎放射器の内部爆発を引き起こした、と言うのが正確だろうか。
どちらにせよ、公園の一帯が爆発の影響で悲惨な状況と化していた。
「……逃げられたか」
その状況を眺めながら、スピーカーの声の男はぽつりと呟く。
先ほどまで捕まえようと必死に追っていたユウキの姿はすでにない。一緒にいた少女――ミユキと呼んでいた――とともに、どこかへ消え去ったのだろう。
「も、申し訳ありません。私のせいで――」
そこに、捕まえ切れなかった男が謝りに来る。
「いや、仕方ないさ。向こうが『覚醒者』と分かっただけでも上出来だ。これでさらに対策が練れる」
ユウキを捕まえ切れなかったことに、スピーカーの声の男はそれほど悔しさを見せない。悲惨な状況へと変化した公園の中で、スピーカーの声の男はおもむろにタバコを吸い始める。
「『覚醒者』、ですか……」
『覚醒者』という単語を聞いて、謝りに来た男は声を震わせる。その男の震えを感じてスピーカーの声の男は、
「そうと知っていれば、対処することにはそれほど困らん。むしろ我々の計画への必要性がより高まったというだけだ」
震え上がる男をよそにして、スピーカーの声の男はニヤリと笑みを浮かべる。それには自身の見立てが間違いではなかったことへの嬉しさが滲み出ている。その笑みを見て、男はさらに震え上がる。『覚醒者』に立ち向かうことに恐怖よりも嬉しさを覚えている、といった表情は見る側には獲物を狩る獰猛な肉食獣にしか見えない。
「では――」
「無論だ。奴らはそれほど遠くへは行っていないだろう。すぐに追いかけるぞ」
「はっ!」
スピーカーの声の男は、依然として残り火が燃える公園の後にして、ユウキたちを再度追いかける。
街灯の明かりが点々と夜の街を照らしている。
その明かりに沿うように、ぽつぽつと地面に血痕が残されている。血痕はユウキのものだ。
「はぁはぁ……」
夜の街を歩いているユウキは爆発の影響で腹部に傷を負い、ミユキの肩を借りてなんとか歩いている状態だった。
「くそ……っ」
そのミユキは額に汗をにじませながら、先ほどの男たちから一歩でも逃げようと必死に歩いている。しかし、その肩にはユウキの手が回されていて、とても重そうだ。
「無理するな……。俺を置いて行けばいい」
ミユキを心配するユウキの声はとても小さい。
「はぁ……!? 何、馬鹿なこと、言ってんのよ。ここでユウキを置いて私だけ逃げたら、身体を張った意味がなくなるでしょ。それに、ユウキも、あいつらなんかには渡さない――っ!」
途切れ途切れの言葉にも、強烈な意志が込められている。ミユキの意思は最初から変わっていない。ユウキを決して狙ってくる奴らには渡さない、というその一心でここまで身体を張っている。それはミユキの、ユウキへの恋心と重なっている。
「けど、ミユキまで捕まったら元も子もないだろ……」
「そんなヘマはしないよ。私も、ユウキもあいつらには捕まんない。捕まえさせない――っ」
力強い言葉とともに、ミユキは一歩ずつ前へと進む。立ち止まることは、それだけ相手との距離が開かないということだ。
ミユキが歩いている場所は、住宅街の中のようだ。周囲には一軒家がずらっと並んでおり、物静かな様子は、硬質感が漂う建造物ばかりの市街地よりも増しているようだ。
それらの住宅はすでに明かりが消されており、静まり返った夜の街を象徴している。
「はぁはぁ……」
その夜の住宅街に、ミユキの息遣いが響き渡る。
「だから、無理すんなって――」
ミユキの肩に手を回して身体を預けるようにして歩いているユウキは、ぽつりと声をかける。その声色は依然として弱弱しい。
「それはユウキも同じよ。何も自分だけを犠牲にしなくてもいいじゃない……」
「俺自身に関わることだ。お前を巻き込みたくないんだよ」
「今さら何言ってんのよ。私が自分から首を突っ込んだことだもん。途中で投げ出すなんてしたくないの」
ユウキの本音を聞いても、ミユキは引き下がろうとしない。
(そうよ。私が好きで飛び込んで行ったんだもん)
自分の意思を確認したミユキの決意は固い。それを止める術を、ユウキは知らなかった。
足を休めずに歩くミユキの呼吸は次第に荒くなっていく。すでに二〇分近くは歩いたはずだが、皮膚を伝う緊張感は未だに解けない。まだ先ほどの奴らが近くにいることを、その本能が知らせているのだ。その緊張感のまま、ミユキは住宅街の十字路へさしかかる。
それを証明するかのように、夜の帳が降りている住宅街に無数の走る足音が響きわたっている。こんな時間に足音が響きわたること自体が異常と言えるだろうが、聞こえてくる足音は次第にはっきりと聞こえてくる。
(追いついて来たのかな……)
聞こえてくる足音に、ミユキは耳をすまして集中する。
目の前の十字路のどこから聞こえてくるのかを判断しようとしているのだが、ユウキや自身の呼吸音、肌を刺すような緊張感が集中力を鈍らせる。
「足音は間違いなく奴らだな――」
もっと意思を集中させようとミユキが頭を振っていると、ユウキが小さく言う。どうやらユウキも気付いたようだ。
「どうしよう……?」
「引き返すのがベストかもしれないな。けど俺の血が地面には垂れてる。先回りされたのかもしれない……」
そう推測するユウキは渋い表情をしている。自分の不注意が招いた結果だと考え、自身に対して憤っているのだろうか。
「そんな……。ばれないように住宅街を縫うようにして歩いてたのに――」
「それでも相手の数と速さには敵わないさ。爆発が起きる前の時点で、まだ八人は生きてたんだからな」
「そんな数くらいなら、私でも十分倒せるよ?」
ユウキは住宅の塀に寄り掛かるようにして、少し足を止める。その身体を相変わらず支えているミユキの息は上がりっぱなしだ。そのような状態でも、ミユキは大の大人八人を倒せると断言する。
その発言は間違いではないだろう。先ほどのミユキの戦いっぷりはとても少女のようではなかった。さらに、数人の男に囲まれても軽々といなしていたのだ。八人ならまだ許容範囲であるのだろう。
「相手が単純ならそれでいいかもしれないが、八人全員で迫ってくるわけでもないだろう。分散してるだろうし、何より応援が来てるかもしれない。相手の素情が分からないんだ。あらゆる可能性を考えるべきだろ?」
追ってきている敵全員を倒そうといきり立っているミユキに、ユウキは冷静な言葉を掛ける。腹部を押さえているユウキの左手は真っ赤に染まっていた。
「そうかもしれないけど……。このまま捕まるのだけは避けないと――」
「それは分かってる」
周囲への注意を怠らずに、ユウキは思考を巡らせる。傷を負った状態でなければ、逃げることは軽々と出来たかもしれない。今さら嘆いても仕方ないことだが、そう考えられずにはいられなかった。
足音はだんだんと大きくなり、それに次いで会話も聞こえてくる。
(すぐそこまで来てるな……)
そう判断したユウキは、ミユキとともに住宅街に設けられているごみ収集場の陰にひとまず隠れる。
「そっちには?」
「いなかった――。血痕はこの先にはない。やはり引き返したんじゃないのか?」
「そのはずはない。そのまま血痕を追っている味方とさっき会ったが、発見していないと報告してきた」
「じゃあ――」
「この住宅街にまだいるってことだ。それほど大きい住宅街じゃないんだ。各ブロックごとにあてれば、すぐに見つかるさ」
聞こえてきた声は次第に小さくなり、足音もそのまま通り過ぎていく。
(そのまま突っ切っていったのか――?)
会話の声や足音が聞こえなくなったことに、ユウキは不信感を露わにする。間違いなくこっちに向かってきていた声や足音はぴたりと止んだ。
「どうしたのかな……?」
隣にいるミユキも不思議そうに言う。
「十字路を突っ切ったんだろうな。恐らく俺の血痕は気にせずに、先回りを命令された連中なんだろう」
ということは後ろから追ってきている奴らもいる、ということだ。そして、それは聞こえてきた会話の内容からも間違いないだろう。
「そんな――!?」
「まぁ向こうにとっちゃ、それが一番の手だろ」
「どうしよう……」
二人の声が止まる。
前に進めば、先ほどの連中とぶつかるかもしれない。引き返せば、追ってきている連中とぶつかるかもしれない。正面衝突をして負けるとミユキは考えていないが、今の目的は追ってきている奴らを倒すことではなく、捕まらないように逃げることだ。
その目的を達するには、ユウキが負っている傷はあまりにも重い。出血はハンカチを破いて止血したが、失った血の量はとても多い。立っているだけでもユウキには苦痛な状態だろう。
「……」
(どうすれば――)
「……」
(私だけでも敵を倒す自信はある。けど、その間にユウキが捕まったら元も子もない。もうこうなったら――)
ユウキもミユキも声を発しない。再び静まり返った住宅街に、二人の息遣いだけが虚しく響く。
しかし、この場にじっとしていることはできない。後ろから男たちが追いかけてきていることは間違いないのだ。
「ね、ねぇ、ユウキ――」
意を決したように、ミユキが口を開く。
「……? どうした?」
「ここで捕まるのだけは避けないといけないよね……?」
「? ここまで来たら、な」
そのユウキの言葉を聞いて、ミユキは肩にかけていたバッグから手鏡ほどのサイズの丸い円盤型の機械を取りだす。
「お、おい! それは――っ!?」
手のひらに収まるサイズのその機械を見て、ユウキは目を見開いて驚く。
その円盤型の機械は、少し丸みを帯びた淵から中央のボタンのような仕掛けまで、全てが鈍い銀色を発している。パッと見ただけではどのような機械かも分からないが、それを一番間近で見てきたユウキには一瞬で分かった。
「うん。何かあった時に役に立つかなって持ってきてたの」
「それを使うっていうのか!?」
「ユウキが捕まらないで済む一番の方法――そうでしょ?」
「そうかもしれないが……っ! それはまだ――」
「そうも言ってられないでしょ? こうしてる今も、あの男たちが追いかけてきてるなら、こうすることが一番だと私は思うの」
そう言ったミユキはユウキの同意も得ずに、円盤型の機械の中央にあるボタンを押して、機械をそばにある住宅の塀に押しつける。
すると、円盤型の機械は眩しいほどの強烈な光を放ちながら、丸みを帯びた淵が円状に広がっていく。
「……っ!?」
あまりの眩しさに、ユウキもミユキも手で光を塞ぎたくなるほどに目を細める。
淵が広がりきるとその眩しさは次第に弱まっていき、そのうちまた元の鈍い銀色の光沢だけが残る。しかし、円状に広がった淵の中は薄暗い霧が渦巻くように漂っていた。その中だけ別の空間のように思える。
「これが『時空扉』――」
円盤型の機械は、時空を飛ぶための機械――『時空扉』だった。
起動した円の内に入れば、平行世界に飛ぶことが出来る機械だ。この機械を使い、現在の世界とは別の時間を進んだ平行世界へ飛べば、ユウキは捕まらないで済む、という最後の手段だ。
「お、おい――。本当に使えっていうのか?」
ミユキはユウキを『時空扉』の前に無理矢理といった感じで立たせるが、円の中に飛び込むことをユウキは躊躇する。
「なんで躊躇うの?」
そのユウキの反応を、ミユキは不思議そうに尋ねる。
「なんでって――」
目の前にある時空への扉は霧が渦巻いている状態にしか見えず、その薄気味悪さは尋常ではない。それだけでも飛び込むことは躊躇いそうになるが、ユウキが躊躇する最大の理由は別にある。
「ここで躊躇してちゃいけないよ! 前に行っても後ろに行っても、じっとしててもあいつらに見つかるんだよ?」
「だからって、いきなり時空を飛ぶのは――」
必死になっているミユキにユウキは『時空扉』の使用は考え直そうと言おうとするが、
「もう――っ! ここでジタバタしてるよりは絶対マシなんだって!」
の一言とともに、『時空扉』の円の中へと背中を押される。
「え……っ!?」
急に背中を押されたことに驚き、また押されたことにより自身の身体が円の中に飛び込んで行こうとしていることに、ユウキは間抜けな声を上げる。
時間がその時だけゆっくりと進んでいるかのように、あるいはコンマ送りの映像を見ているかのように、身体が円の中に入るまでの一秒足らずの時間をユウキは途方もなく長く感じてしまう。
「おい! ミユ―……」
最後の一言は途切れて、ミユキまで届かない。
「ばいばい……っ」
消えていったユウキにミユキは別れの言葉を言う。その表情はどこか寂しげだった。
そのままミユキは起動させた『時空扉』を元の状態に戻す。これでユウキがあいつらに捕まることはないだろう。
(出現座標は変えたし、理論上はこれで上手くいくはず……。あとは代替で現れる人物の確保――ね)
そして振り返って、視線を前へ向ける。その表情は毅然としたモノに変わっていた。




