第一章 賞金稼ぎ ~ゴールドハンター~ Ⅰ
世界は二つ存在する。
普通の人ならば、それは嘘だとはねのけるだろう。だが世界の一部の人々は、自分がいる世界とは別の世界の存在を追い求めて、世界を移動する手段を確立した。実際にその手段によって、人が一人世界を移動している。
そのことより証明された二つ存在する世界には、それぞれ人が住み、文化があり、生活が営まれている。
しかし、それぞれの世界は微妙に違った。
片方の世界には『覚醒者』と呼ばれる人々が存在し、片方の世界には存在しない。大きな違いはこの一つだが、この違いがそれぞれの世界を別の世界なのだと決定している。
そのもう片方の世界に、悠生はいた。
黒い髪はしっかりとセットされており、だらしないという印象は微塵も感じない。きりっとした眉と合わさって、爽快なイメージを与えてくる。その一方で彼が着ているのは部屋着であり、それまでのプラス要素がゼロになるほどのだらしなさだ。起きて一、二時間ほどしか経っていないため、彼が部屋着のままだとしても何も不思議はないのだが。
ちなみに彼が着ている部屋着は、マサキが選んで買ったものである。
悠生がいるのは、『ルーム』と呼ばれる場所である。
『ルーム』とは、四LDKタイプのファミリーマンション二部屋分を、壁を壊すことで繋げた大きな家である。壁を壊して繋げただけではなく、中も改装されている。改装された『ルーム』には大きなダイニングと合わさったリビングとキッチン、さらに六つの部屋がある。
その『ルーム』のリビングに悠生はいた。
彼はリビングの場所を大きく取って置かれているテーブルに座っている。
しかしリビングにいるのは、彼だけではない。他に四人の人間がいた。トモユキ、マサキ、トモミ、そしてミホである。
「もう一週間になりますよ? 本当にいいんですか!?」
悠生の言葉は、テーブルの対面に座っている人間に向けられている。
「タクヤも『覚醒者』だ。この世界での生き方は熟知している。帰る家はここにしかないだろうが、隠れる場所は他にもあるだろう」
返ってきた声は、悠生の声と比べて大人びている。それは口調からも見て取れた。
声の主は、トモユキだ。
綺麗に整えられた短髪と黒縁の眼鏡が、端整な顔立ちをさらに際立たせている。レンズの向こうにある瞳はじっと悠生を見つめていた。
タクヤとは、この『ルーム』で生活している一人であり、彼らの仲間である。そのタクヤが返ってこなくなってから、六日が経っていた。
「けど……」
「君がタクヤを心配してくれることは、親代わりの私もうれしい。……しかし、それほど心配することはない。ここに来るまでの彼がいた場所にでもいるのだろう」
「ここに来るまでの?」
トモユキの話に疑問を抱いた悠生は尋ね返した。
「そうだ。『ルーム』にいる『覚醒者』は、以前はそれぞれ別の場所で暮らしていた。その当時の仲間の所にでもいるのだろう。別の仲間の所にいるのであれば、それほど心配する必要もないだろう?」
『覚醒者』。
人知を超えた力を有している者。
その総称。
彼らの存在は、一○年以上も前の一九九七年三月一七日に初めて確認された。その時に確認された『覚醒者』を『始まりの覚醒者』と人々は言う。『始まりの覚醒者』の出現以後、世界各地で同様の――人知を超えた力の持ち主は確認されている。彼らは、現在に至るまで世界中で多くの騒動を起こしてきた。単独であったり、集団であったり。その繰り返しの中で、『覚醒者』たちへの世間の不満、批判は高まっていった。追い込まれていった『覚醒者』たちは、それぞれ身を寄せ合い、集団で陰の中で暮らしていった。
その生活は、国連が『覚醒者』の本格調査を発表するまで続いた。
社会でその存在を知られれば、『覚醒者』は満足に暮らすこともできない。それは『ルーム』にいる『覚醒者』たちも変わらない。彼らが『ルーム』に集うまで、彼らはそれぞれの暮らす場所を持っていた。タクヤもそこにいるだろう、とトモユキは言っているのだ。
「……タクヤのかつての仲間ですか……」
「そうだ。『覚醒者』は一人では生活できない。社会――いや、世間がそのように変わってしまった。自業自得なのだが、改善されつつある現在でもその風潮は強い。タクヤも、かつての仲間とどこかでひっそりとしているのだろう」
かけている眼鏡の角度を直しながら、トモユキは説明した。
トモユキの話は妙に説得力がある。しかし、悠生には懸念していることがあった。悠生はその懸念を、トモユキに話す。
「たしかに、その可能性もなくはないが……。先日の戦いで、奴らは目的の一つだった『時空扉』を奪った。もう一つの目的である君を狙うために、タクヤを襲ったと君が考えるのも無理はないだろう」
そこで、トモユキは言葉を切った。
会話を切ったトモユキはゆっくりとした動作で、テーブルから立ち上がる。そのまま大きなテレビの前に置かれているリモコンを手にし、テレビのスイッチを点けた。
「?」
数秒後、テレビからお昼のニュース番組が流れてきた。テレビでは一人のアナウンサーが、最新のニュースを読み上げている。どうやら、臨時番組のようだ。
『引き続き、先ほどのニュースです。旧大竹町にあたる「眠る街」で、今朝未明、「覚醒者」グループを狙った誘拐事件が発生しました。誘拐されたのは、三〇代男性の「覚醒者」一名と警察は発表しております。また事件の犯人は複数と思われ、「賞金稼ぎ」の一集団の犯行と推測されます。この集団には「覚醒者」も含まれている可能性もあると見て、警察は対「覚醒者」用の部隊の出動も検討しています』
アナウンサーがニュースの記事を読み上げる中、テレビでは事件のあった『眠る街』の様子が映されている。
テレビに映っている『眠る街』の風景は、先日悠生が走った『眠る街』と恐ろしいほど似ている。昼間の映像のため街は明るい太陽に照らされているが、外壁が崩れて中の様子が丸見えの建物、路上に放置されたままの自動車、ガラス窓がひび割れ活気がなくなったスーパー、ゴミは散乱し、人が寄りつかなくなった街。
カメラが捉える景色が変わっても、テレビに映される映像はどれも似たようなものだ。
『眠る街』。
その名が差す通り、都市機能を失った街。
そこに暮らしているのは動物たちと家を失った者たち、そして闇の社会の住人たち。無法の街である。
「これは?」
トモユキがいきなりテレビを点け、ニュースを見せてきたことの意図を悠生は理解できない。
「先週テレビで報道されたニュースの録画だ。『覚醒者』の敵は、世間あるいは社会であるということを知ってもらいたくてね。君と『時空扉』を狙った奴らも、『覚醒者』を使って事を起こしている。『覚醒者』は悪い存在だと思われている社会でも、『覚醒者』が事件の被害者であれば警察は動く。つまり、君を狙っている奴らも警察の標的になるようなことを連続で起こすことはないだろう」
そう言って、トモユキはテレビのスイッチを切った。その際に、我々の方から警察へ届け出を出すことは出来ないがね、と付け加えた。
再び、『ルーム』のリビングに静けさが訪れる。
「……タクヤが、その『賞金稼ぎ』に襲われた、とか考えないんですか?」
トモユキの言葉を素直に呑みこめない悠生は、自身の考えを述べた。
しかしトモユキは、
「私はそうは思っていない。もちろんその可能性があることは否定しないがね。彼だって『覚醒者』だ。さっきも言ったが、こちらの世界での生き方を十分に知っている。そのような失態は犯さないだろう」
同じ言葉を、トモユキは繰り返した。
タクヤは悠生を狙っている連中にも、『賞金稼ぎ』にも襲われていない、とトモユキは確信があるように言っている。独自の情報源があるのかもしれないが、その言葉だけでは悠生は信じることができない。
再びテーブルの席に座ったトモユキから視線を外して、悠生はリビングを見回す。
ファミリーマンション二部屋分を改装して作られた『ルーム』のリビングには、元の家の二倍近い広さがある。そのリビングには九人も座れる大きなテーブルがあり、テレビを囲って見られるようにL字のソファも置かれている。その二つの家具でかなりの場所を取っているのだが、それでも狭いという印象は思い浮かばない。
それは使われている壁紙の色か、開放感を与えるように窓が大きく設えられているためか。
そのように狭いと感じないリビングのソファにはトモミとミホが座っており、テーブルの席の一つにマサキが座っていた。トモミはミホの相手をするという役割もあったが、トモミとマサキは二人の会話をずっと聞いていたのだ。一人じっとしているミホは、二人の会話を全て理解しているわけではないようで、視線をあちこちへと巡らせている。
「じゃあ、タクヤのことは放っておくんですか?」
再び視線をトモユキへ戻した悠生は、どうするのかを尋ねた。
向けられた質問にトモユキはゆっくりと時間を使って、
「……もちろん、そのつもりはない。タクヤが助けを求めるのなら、私はすぐにでも向かうつもりだ。今は彼からの連絡もない。私としても動きようがない、という状況かな」
警察への届け出を出すことも憚られ、タクヤからの連絡もない現状を、トモユキは動くことができないと説明した。
それは、悠生には受け容れるしかない苦しい現状のようにも、その場しのぎの方便のようにも、聞こえた。
「……そう、ですか――」
言葉が胸に詰まる。
これ以上何を言っても、トモユキはタクヤを助けに行くために行動するようには思えなかった。
そう判断した悠生は「失礼します」と言って、リビングから出ていく。その後ろ姿を、トモユキは直視することしかしなかった。
トモユキが悠生を引きとめなかったことに慌てたトモミが、リビングから出ていった悠生の後を追いかける。一人ソファに残されたミホは、きょとんとした表情をトモユキとマサキに向けた。
「……はぁ、いいんですか?」
ミホが視線を向けていることに気付きながら、マサキはテーブルから動こうともしないトモユキに尋ねた。
「私にどうしろ、と?」
「トモユキさんの判断に不満はないですよ。ただ、悠生くんがあれで納得するとは到底思えないですよ。彼は一度ミユキの指示を無視して『ルーム』から出ちゃったし、また一人で助けに行くとかなるかもしれませんよ?」
その懸念はマサキだけが抱いたものではない。
トモミもそうである。だから、リビングを出ていった悠生を追いかけたのだ。愚かな行動に出ないように説得するために。
しかしトモユキは、
「彼がそうしたいと自分で決めたことならば、それはどんな手段を使っても止められるものではない。彼が『ルーム』から出ることの危険を顧みないわけはないだろうし、私もそうなってほしくはないと思っている。けれど、彼がそう望んで決めたのなら、別の手を打つしかないだろう」
「悠生くんが『ルーム』から出ることを認めるんですかっ!?」
トモユキの言葉を聞いて、マサキはさらに慌てる。
悠生が『ルーム』から出ることには、依然として狙われるリスクがある。先日の出来事からまだ一週間程度しか経っていない。ミユキが『炎』の『覚醒者』を倒したのも、『ルーム』があるこの街である。
それらのことを考慮すれば、悠生が『ルーム』からでることを容認することは到底できないはずである。
「彼が、そうしたい、と言うならだがね」
トモユキは、また何か確信があるように言った。
悠生同様、マサキにはその確信がどこからきているのか分からない。妙に自信のある言葉に圧倒されるだけだ。
結局、マサキはそれ以上何も言葉を返せなかった。
トモユキの発言の意図とトモユキが何を考えているのか理解も予想もできないのだ。タクヤは大丈夫だろう、という話はマサキもその通りだと思う。しかし、まるでけしかけるように悠生に言ったことの意味が理解できない。トモユキは何か企んでいるのではないか、と勘繰りたくなるほどだ。
それ以上話を続けなかったトモユキは、ゆっくりとキッチンに向かって、コーヒーを淹れ始めた。立ち昇る湯気で曇ったレンズの奥の瞳は、まばたきもせずじっと一点を見つめたままだ。




