第四章 流れに逆らう意思 Ⅴ
『ルーム』から、自分の意思で出た悠生は見慣れない街を懸命に走っている。
時刻は昼過ぎの二時前。
ミユキが出てから、すでに二〇分は経っている。
悠生はミユキがどこに向かっているのか、ミユキが受け取った電話がどこからかけられたのかも分からない。ただ分かっているのは、『市内の商店街』という言葉が会話から聞こえてきたことである。
その言葉が差す場所を探して、悠生は街を走っているのだ。
(市内の商店街――)
単にそう言っても、商店街は街に数多く存在する。通話の会話から聞こえてきた商店街が、どこの商店街なのかが悠生には分からないのだ。
『ルーム』から出て、ずっと走り続けた悠生は三つの商店街を回った後に、闇雲に走るだけじゃ絶対に見つからない、と考える。そして悠生は商店街を虱潰しに探すのは止めて、通りに設けられている市内の地図を見つめた。
(一番大きい商店街は……)
地図を見つめている悠生は街で一番大きい、長い商店街を探す。
買い物をするのならば小さな商店街ではなく、多くのお店が入っている大きな商店街に決まっていると判断したのだ。
そして、地図上で見つける。
(この商店街は、先に百貨店もあるのか。ここだな――)
悠生が目星をつけた商店街は、長さ一キロにも及ぶ市内屈指の商店街で、抜けた先に大きな百貨店がある商店街である。商店街と百貨店で買い物ができるスポットであり、市内で買い物をするのなら、まずここに行くだろうとも判断する。
(走って一○分くらいか……?)
悠生が現在いる場所から商店街までの距離を目測する。
それは信号などに引っ掛からなければ、という条件も加味されているが、なるべく早く着いたほうがいいと悠生は自然と考えた。
そして、悠生はまたしても走りだす。
思えば、悠生はこちらの世界にきてからずっと走っているような気がした。
それはほぼ間違いではないのだが、何のために走っているのか、それが決定的に違っている。その違いが悠生の身体を前へと押し進めている。
(そこへ行って何ができるのか――)
それは分からない。
(行って何がしたいのかも――)
上手くは言えない。
ただじっとしているだけじゃだめだ、と。
ただ作られた囲いの中で守られているだけじゃだめだ、と。
ただ指示されたことに忠実に従っているだけじゃだめだ、と。
そう、本能が言うのだ。
その意識には、自分に何かが出来るという確信も自信も根拠もない。ミユキたちが戦っている戦場へ行っても足手まといになってばかりだろうという結果も容易に想像できる。
それでも立ち上がり、走っている悠生の耳元へ、小さく声が聞こえる。
『おっきくなったら、私が悠生くんを守ってあ……から、悠生……んは私……守……てね』
(この声は、何なんだ……!?)
聞こえてくる声は、悠生の頭の中に直に響いている。
『大丈夫。私……も力があ……うに、悠生くんにもとって……強い力があるもん。未幸にはそ……分かるの。いつか、悠生くんもその力を使え……になるよ』
ぼやっとした声はノイズを交えながら、頭に響いている。
その声はどこから聞こえてくるのか悠生には分からない。
『だから、その時が……ら立ち上がって。じっとし……だけじゃなくて、悠生くんも立……がって。それが、あなたの――』
しかし、そんなことはどうでもよかった。
頭に響いてくる声が、悠生をさらに前へと進ませる原動力の一つになっていることに変わりはない。ならば、それがどこから来るのか、今は気にしなくてもいい。今は、目の前に迫っていることを直視するべき時だ。
気がつくと、悠生は地図で見た商店街の入り口へと着いていた。
懸命に走り、商店街にきた悠生はそこがやけに騒々しいことに気付く。
(何かあったのか? それに消防車や救急車も……)
商店街の入り口には消防車が二台、救急車が三台も停められている。その周囲には、多くの人が湧いていた。皆、商店街の入り口に停車している消防車や救急車に目を向けるか、商店街の奥へ視線を向けている。
「……ここで間違いない」
その状況を見て、悠生は確信する。
商店街のアーケードの上を見上げれば小さいが、黒煙も昇っている。それは、あの『覚醒者』によるものだろう。
その黒煙を見た悠生はやじ馬になっている人混みを掻き分けて商店街へ入っていこうとするが、商店街の入り口には立ち入り禁止の黄色いテープが張り巡らされていた。その傍には警察官も何人か立っている。
悠生が商店街に着いたのは騒ぎが起こってから、三○分も経った後である。警察が立ち入っていることは確実だったが、その可能性を悠生は全く考えていなかった。
(しまった! これじゃ商店街の奥にいけない……っ。どうする――)
周囲にいる人々も何があったのかと、商店街の奥を覗こうと背伸びをして様子を窺っている。しかし、その程度の行動では商店街で何が起こっていたのか知ることはできない。それは悠生も同様である。
商店街で何があったのか知りたいだけでない悠生は、その奥へと進むことを強く望んでいる。無論、それを言ったところで警察官は悠生がテープを越えることを了承はしない。それは分かっている。そのため、悠生は別の方法を取る必要があった。
(別の入り口。いや、路地裏はどうだ……。それか、建物の屋上を伝うしかない――か)
やじ馬の人々に紛れている悠生は商店街の中へ入る方法はないか、と顔だけを動かして探す。
商店街の周囲にはアーケードの柱とお店が入っている建物があり、その周囲にさらに別のビルが建てられている。それらの建物の裏へ回れば、路地裏から商店街の中へ入ることも出来るかもしれないと考え、悠生は移動する。
商店街の入り口には消防車、救急車などが停車されていることから、多くの人がやじ馬となって集まっていたが、悠生が移動した商店街の裏手のほうは人の姿はなかった。悠生が移動した先は、商店街にお店を構えている建物と建物の間にほんの少しのすき間があるショップの裏手である。
商店街の裏手とはいえ、凝ったショップなどが並んでいるため普段はそれなりに人が歩いている通りである。しかし騒ぎが起きていたということで通行人はおらず、周囲のお店のスタッフもとりあえず巻き込まれないように避難しているようだ。
(誰もいないのは好都合か)
周囲に誰もいないことを確認して、悠生は建物と建物の間のすき間を、身体を横にしながら通っていく。
「ぐ……っ。かなり狭いな――」
頬に建物の壁がこすれる感触を味わいながら、服が汚れ身体が軽く擦りむくのも気にせずに、悠生はただ前へと進んで行く。
一○メートル程度だが、人一人が身体を横にしてやっと通れる幅のすき間を通ることは悠生の神経をすり減らす。それは建物の外壁に身体が擦りむく感触や、商店街の中へ入ろうとしていることが見つかったらどうしよう、などの不快や不安の心理が働いているからである。
神経をすり減らしながらも、悠生は前へと進む。前に進まなければ、ミユキが戦っている場所へは行けない、と強く自分に言い聞かせて。
そして、建物と建物のすき間を通った悠生は、商店街の中へ入ることに成功した。
商店街へ入ることが出来た悠生はお店の陰から様子を探る。
『覚醒者』たちによる戦闘があったと思われる場所は商店街のアーケードが一部無くなっていたり、お店の壁が壊され、その中もぐちゃぐちゃになっていたり、と戦闘の激しさを窺うことができる。そのお店からは今も残り火が燃えていた。
(焦げた臭いがしてるし、お店の商品が遠くまで散らばっている)
ということは、ミユキとあの『炎』の『覚醒者』が戦っていたということだ。
しかし、すでに二人の姿はない。
(どこかに移動した……。また別のところで戦っているんだろうか?)
そう考えて、悠生は『ルーム』を出る前に電話していたミユキの会話を思い出す。
ミユキの電話の相手は慌てているようだった。そしてミユキの口からは『覚醒者』という言葉も出ていた。ミユキがその後『ルーム』を飛び出たことからも、電話の相手は追われており、助けに行ったのだろうことはすぐに考えられる。
(もう助けたってことも考えられるけど、ミユキは一度あの『覚醒者』に負けてる……)
この場にいないことに、悠生はミユキまで捕まったのではないだろうか、と危惧する。
それについても悠生は確信を持てない。二人が昨日戦っていることは知っているが、その内容は知らない。知っているのはミユキが『時空扉』を奪われた、という結果だけだ。どれほどの力量差があるのかは想像もできなかった。
そのどちらの可能性も考えながら、
(……ここで、引き返すわけにはいかない――っ!)
商店街まで来た悠生は、ここで『ルーム』に引き返すことはできない、と改めて視線を前に向ける。そこでは今も消防隊員が残っている火を消そうとホースの口を建物へ向けている。残り火が消火されたら、警察官が捜査するために多数入ってくるだろう。警察官たちに追い出されないためにも、それまでには動かなければならない。
そう考えたその時、
大きな爆発音が周囲へ鳴り響いた。
軽い地震のように爆発音に続いて、地面が揺れる。
地面の揺れを感じた悠生は慌てて体勢を低くし、どこから響いてきたのかと周囲へと視線を巡らせる。
(この近辺じゃない……)
商店街には別に変わりがないことを不審に思った悠生だが、ここにきてずっと臭っていた空気が焦げたような臭いが空からやってくることに気付いた。そして商店街の壊れたアーケードから空を見る。
すると、百貨店の屋上から黒々とした煙が空へと昇っていることに気付く。
(あの煙……。あそこか――)
見える煙は、見紛うこともない『炎』の『覚醒者』のものだ。その煙に気付いた悠生は、再び歩を進める。




