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クロス・ワールド  作者: 小来栖 千秋
PART Ⅰ
24/118

第三章 家 ~ルーム~ Ⅱ

 

 太陽がゆっくりと西へ沈もうとしている。

 それとは逆に、緩やかな風に乗って流れている雲は東へと、その形を変えながら流れていっている。

 悠生(ゆうき)は、先ほどまで騒がしくしていた『ルーム』のリビングから、ベランダへ出てきていた。

「はぁ……」

 短くため息を吐く。

 リビングでは、ミユキとタクヤがトモユキという男と話している。そのリビングの空気に居づらくなって、ベランダに出てきたのだ。悠生の視線は、何の悩みもなく、ただ風のおもむくままに流されている雲へと向けられている。

(雰囲気悪いな……)

『ルーム』では部外者とも言える悠生は、そう心中で吐露(とろ)した。

 今も張り詰めた空気がリビングに蔓延っていることは容易に想像できる。その中にずっといることは絶えがたかった。そこで、ベランダで新鮮な空気を吸っているのだ。

 ぼうっと眺めている雲は相変わらず、自分の意思があるのかも分からず東の空へと移動していっている。その雲が、どこか悠生の現状と被って見えた。

「すまないね」

 そこへ、声が届いた。

「……?」

 背中へかけられた声に悠生が振り返ると、トモユキの姿があった。

 悠生にはトモユキが謝る理由が分からない。だから、

「何がです?」

 と聞き返した。

「ミユキが『時空扉(タイム・ドア)』を失ったこと、タクヤがそのミユキを怒鳴ったこと、君に居づらい空気を作ってしまったこと、そして、君に多大な迷惑をかけたこと、だよ」

 聞き返した悠生に、トモユキは努めて優しい声で答えた。そこには、心からの謝罪の気持ちが(うかが)える。

「そんな――。謝ることじゃ……」

「いや、君にはいくら謝罪しても足りないと思っているくらいだよ」

 気にしていない、とでも言うように手を横に振っている悠生に、加えてトモユキは本音を伝えた。

 それを聞いて、悠生は固まる。

「あいつらを怒らないでやってくれないか?」

 その悠生に、トモユキは言葉を続けた。トモユキの目がまっすぐ悠生に向けられている。その視線に多少驚きながら、

「なんで、俺が怒るんですか?」

 トモユキの言葉の真意がわからない悠生は、再び聞き返した。

「『時空扉(タイム・ドア)』が失われたら、君がこちらの世界に来た意味が分からなくなってしまうから、だよ。それでも、ミユキとタクヤを怒らないでやってほしい」

「そんなこと……」

 悠生にはもともとミユキを責める気持ちも、ミユキに対して怒鳴ったタクヤを怒る気持ちもない。二人にはすでに助けられているのだから、そんな気持ちを抱くことも考えていない。

「俺に二人を責める権利はないですよ」

 雲を眺めていた視線を地上へと落としながら、悠生はぽつりと呟く。

「本当にそう思っているのか? こちらの世界へ無理矢理飛ばされて、わけも分からず起きたら、元の世界へは戻れないと言われ、いきなり『覚醒者』や謎のグループに追われたのに」

 改めてトモユキは、悠生がこちらの世界で体験したことを列挙した。

「それについてはたしかに理不尽だと思いましたけど、もう理解しましたから。それに言葉や態度はアレですけど、タクヤもミユキも俺のために行動していたんだって分かりましたし」

 清々しい表情を見せて、悠生はそう答えた。

 その顔に、夜中走りまわっていたことに対しての疑問に満ちた表情はない。こちらの世界へ飛ばされたことに対する怒りなどはまだあるだろうが、それらも押し殺して理解した、という表情だ。

 悠生の返事を聞いて、トモユキは懐かしそうな顔になる。

「そうか。君は優しいのだな」

 悠生の答えた言葉の中に、ユウキと重なるモノがあったのだ。

「優しいだなんて。そんなことないですよ。わけも分からない世界で、事情を把握するために必死についていってるだけです。受け身にしかなれないことは歯がゆいですけどね」

「受け身……か」

 それは、悠生がこちらの世界に来たときからそうだったことである。

 ミユキあるいはタクヤの説明を聞き、逃げろと言われればそれに従ってここまで逃げてきた。それだけなのだ。そこに悠生の意思は汲み取れられていない。それに悠生は従っている時点で受け身でしかないのだ。

「しかし、それはいずれ変わるだろう」

 意味深にトモユキは言った。

「……? どういうこと――」

「今は知らなくも大丈夫だよ」

 聞き返した悠生の言葉を、トモユキは遮った。そして、ベランダからリビングに入ろうと振り返る。

「君にこの世界のこと、我々のことをもう少し詳しく話そう。後でリビングに来るといい」

 窓を開けてリビングに戻る際に、トモユキはそう言った。再び悠生の目へとまっすぐ向けられた視線は先ほどよりも真剣さが増していた。

 

 

 

 

 数分後、悠生はトモユキに言われた通り、リビングに来た。

 すでにリビングにはトモユキ、ミユキ、タクヤ、アオイ、カツユキ、ミホの六人がいた。どうやら『ルーム』にいる全員が集まっているみたいだ。

 悠生が来たことを確認して、大きなテーブルの椅子に座っていたトモユキは、視線を上げる。

「改めて、悠生くん。我らが『ルーム』へようこそ」

 視線を上げたトモユキが、リビングに入ってきた悠生へと歓迎の言葉をかけた。

「少し話が長くなるかもしれない。テーブルの椅子に腰かけてもらって構わない。ずっと立っているのはしんどいだろう」

 リビングのドアの前で突っ立っていた悠生へ、トモユキは座るように勧めた。それに従って、悠生もトモユキの対面の椅子に座る。

 椅子に座った悠生は、改めて『ルーム』のリビングを見渡す。

 大きなテーブルには椅子が八つあり、テーブルには悠生の他にトモユキ、ミユキ、タクヤ、カツユキの四人が座っている。ミユキとカツユキは並んで座っているが、タクヤだけ数席間を空けて座っていた。一方、アオイとミホはそのテーブルから少し離れた壁際に配置されているソファに座っていた。

 ファミリーマンション二部屋分を使って、改装された『ルーム』は改めて見るとかなり広い。そこにミユキたちは暮らしているのだが、悠生は違和感や疑問を抱いた。

「さて何から話せばいいのか、こちらも困っているのだが、まずは君が知りたいことを聞こう。ミユキやタクヤから、こちらの世界のことはいろいろ聞いただろうが、他に何か知りたいことはあるかい?」

 悠生がテーブルについたのを見届けて、トモユキは尋ねてきた。

「知りたいこと――」

 トモユキの言葉に、悠生はしばし考える。

 夜の街を走り回ったことに対する疑問はすでに解消されている。しかし知りたいこと、感じている疑問はまだまだたくさんある。どれから尋ねようかと迷っているのだ。

「……『覚醒者』っていうのは?」

 十数秒考えた悠生は、おもむろに口を開いた。

「世界に突如現れた人々のことを指している。それらの人々はみな、何かしらの力――それも人知を超えた超人的な力を有している。初めて『覚醒者』という存在が認められた、あるいは世界に認知されたのは一九九七年三月一七日と国際機関が発表している」

「国際機関?」

 トモユキの話の中に気になる単語があった悠生は話を割って、聞き返した。

「あぁ。『覚醒者』の存在を研究している国連が主導した機関だ。この国際機関が世界中で『覚醒者』について今も研究をしているのだよ。その国際機関が発表した『覚醒者』のことを我々は『始まりの覚醒者』と呼んでいる」

 そこで、トモユキは一拍置く。

 悠生の理解を追いつかせるためとここまでで抱いた疑問を解消させるためだ。

「その『覚醒者』ってのは、俺がいた世界にはいませんでしたよ?」

 その悠生は、思い返したように尋ねた。

「なるほど。君の世界に『覚醒者』がいないとなると、『覚醒者』という存在や概念は、こちらの世界にだけのものらしいな」

「知らなかったんですか?」

 悠生の話を聞いて唸るように納得したトモユキに、拍子抜けした悠生はさらに尋ねた。

「知らなかったというよりも、『覚醒者』の存在と並行世界が実在することは別の問題だと我々は考えている。並行世界の存在はそもそも立証すらされていなかったのだからな」

 何を当たり前のことを、と言うようにトモユキは言った。それを聞いて、悠生はさらに驚く。

「立証されてなかった!? じゃ、じゃあ俺は本当にあるかも分からない並行世界(パラレルワールド)への移動で、こっちの世界へ飛ばされたんですか!?」

「そういうことになるな」

「君自身が並行世界は存在する、という生きた立証人ということだ」とトモユキは付け加えた。

 それを聞いた悠生の驚いた表情が固まる。

 無理もないだろう。並行世界へ飛ばされたというだけでも驚きだった悠生に、それが証明された上での行動ではなく試しにやってみた、というような感覚で行われたのだ。そのような軽い感じで悠生は世界を越えるという人生で味わったことのない経験をさせられている。

「そんな……」

 あまりの驚きに、悠生は情けない声を上げた。

「時空移動については我々が緊急事態だったということもある。君には全く身に覚えのない話だがね」

「緊急事態?」

「そうだ。君もこちらの世界へ飛ばされてすぐにわけも分からない奴らに追われただろう? 奴らが追っているのはユウキ、そして奪われた『時空扉(タイム・ドア)』だった。申し訳ないのだが、奴らが何故ユウキや『時空扉(タイム・ドア)』を追いかけているのかは分かっていない。現段階で推測できるのは時空を越えて別の世界へ行く手段を求めているのでは、ということだけだ」

 それは、当然だろう。

時空扉(タイム・ドア)』の使用用途をミユキから聞いた悠生にも、それ以外の理由でユウキや『時空扉(タイム・ドア)』を追いかける理由は思い付かない。トモユキが分からないと言っているのは、それで何がしたいのか、ということである。

「ただし奴らは最初にユウキを追っていたということからユウキの力を欲していること。ユウキを捕まえるという過程で『時空扉(タイム・ドア)』を奪ったということから、『時空扉(タイム・ドア)』の使用にユウキが必要だと知っているのではないか、ということ。この二点は推測できる」

 強い自信があるようで、トモユキは言葉に力を込めて言った。そして、

「つまり、奴らはもう一度君を捕まえようとやってくるだろう」

 とも予想した。

 それは単純に考えれば当たり前のことなのだが、悠生は疑問を口にする。

「ここの場所は、あいつらに知られてるんですか?」

「いや、知られていないはずだ。ユウキが狙われていると我々が知った時は『ルーム』の位置を悟られないように、『眠る街(スリープタウン)』で対応すると決めたからな」

「『眠る街(スリープタウン)』ってのは?」

 タクヤも同じ単語を言っていたことを思い出した悠生は、話を続けているトモユキに尋ねた。

「『覚醒者』たちの抗争によって都市機能を失った街のことを『眠る街(スリープタウン)』と言うんだ。ようするに無法地帯ってことさ。君がこちらの世界に来て目を覚ました所も、『眠る街(スリープタウン)』の一つだ」

 トモユキの話を聞いて、悠生はここに来るまでに必死に走った廃墟と化した街のことを思い出す。

 窓ガラスが失われたどころか建物の壁がなくなり、吹きさらしになったビルがいくつもあり、電灯の明かりさえない街の様子はとても人が住める場所とは言えないものだった。しかし、そのような状態になった街にもかつては人が住んでいたのだ。なぜ、あのような街の姿になったのかを想像して、悠生は顔を青ざめてごくっと唾を飲み込んだ。

「そこでミユキたちは奴らと交戦したが追い詰められて、『時空扉(タイム・ドア)』を使ってユウキをあちらの世界へ、君をこちらの世界へつれてきたというわけだ」

 自分がこちらの世界にいるこれまでの過程を聞いて、改めて悠生は自身がかなり大きな問題に巻き込まれていることを認識した。

(これから俺どうなるんだ……)

 そして、その不安感は簡単に拭えない。

 ミユキはこちらの世界へ飛ばされた悠生を守ると言ってくれた。その言葉は嘘偽りのない本心だろう。しかし、悠生を守るというのはユウキを守ることに繋がる。そしてミユキはそれがこちらの世界を守ることに繋がるかもしれない、とも言っていた。それは純粋に危険な目に合うだろう悠生を守る、ということではない。こちらの世界のために、危険な目に合うだろう悠生を守る、ということである。

『覚醒者』に守られるということは心強いことだと思いながらも、それはそれで素直に納得するのは駄目なんじゃないか、と悠生は思う。

「そういえば、ここにいるみんなは『覚醒者』なんですか?」

 ふと思った悠生は、リビングに集まっている面々の顔を見回しながら尋ねた。

「私以外は、みな『覚醒者』だ。あと二人いるのだが、今は外出中でね」

 悠生の新しい質問に、トモユキが答えた。

 ここにいるトモユキ以外の人間は『覚醒者』と聞いて、悠生は驚く。そして、これらの人に守ってもらえるなら安全だという打算的な考えも浮かんだ。

 しかし、

「『覚醒者』の力は様々だ。ミユキのように戦闘に向いたのもあれば、タクヤやアオイのように戦闘に向かない力もある。君の安全を必ず保障するということはできないが、我々は全力で君を守ろう。それが無理矢理連れてきてしまった君へ、我々が行う償いだ」

 そうトモユキは続けた。

 全力で守ろうという決意を見せたトモユキに合わせるように、カツユキやミユキたちも力強く頷いている。

「償い……」

 トモユキが使った償いという単語に、悠生は敏感に反応した。

 その単語を選んで言ったということは、少なからず罪の意識があるということだ。それはトモユキだけでなくミユキたちも持っているのだろう。だから、力強く頷いたのである。

「我々が出来ることは君の疑問をなるべく解消し、全力で君の安全を確保することだけだ。それでも君は我々を信じて、共にいてくれるだろうか?」

 真摯な言葉と態度で、トモユキは肝心のことを悠生に尋ねた。

 ミユキたちにとっても、それは大事なことだった。ユウキが時空移動した代替として、こちらの世界へ来た悠生だが、当の悠生は目が覚めた時にその場にいたミユキたちに従って、今ここにいるというだけである。何も、このままミユキたちのお世話になるという選択肢しかないわけではない。

 しかし、

「……今の俺には、他に行くあてもない。それに、ここにいた方が安全なんでしょう?」

「答えは決まってる」と悠生は、トモユキに言った。

 こちらの世界での知り合いが他にいない悠生が、他の選択肢を選ぶことは自殺行為に匹敵する。『ルーム』から一歩出ただけで、また追われる可能性だってあるのだ。それならば、ミユキたちに守ってもらうほうが最良に決まっている。

「そうか。では、改めてよろしくな、悠生くん」

 満足そうに悠生の返答を聞いたトモユキは立ち上がって、握手を求めてくる。差し出された手を、悠生も立ち上がって応える。

 固く握手をしたトモユキは、悠生に向けて笑顔を見せる。私たちは君の味方だ、と優しく訴えるように。

「もう夕方になる。君はこっちの世界で目覚めてから、ずっと起きていたのだ。部屋を用意している。眠ったほうがいいだろう」

 再び座ったトモユキは悠生の身体を心配して、睡眠を取るように勧めた。

 身体の疲労はすごく感じている悠生だが、こちらの世界に飛ばされてから半日近く起きていたのに意識は不思議と覚醒していた。

 それでも、トモユキの進めに従う。

「……わかりました。ベッド借ります」

「あぁ、ゆっくり休んでくれ。アオイ、案内してあげなさい」

 それまでずっとソファに座っていたアオイに、トモユキは指示をした。

「はい。悠生くん、こっちよ」

 トモユキの指示に立ちあがったアオイは、悠生を部屋へと案内する。そのアオイに、悠生もついていく。

 リビングを出る際に振り返るとトモユキは再度笑顔を見せてきて、ミユキは何とも言えない表情ながら悠生の顔をまっすぐ見つめていた。

「…………」

 ミユキに見つめられた悠生は、その表情をどこかで見たことのあるものだと気付く。しかし、どこだったか思い出すことができなかった。

 

 

 

 

 アオイに案内された部屋は『ルーム』の奥にある部屋のようで、廊下の突き当たりにドアがあった。

「この部屋を使って。とりあえず今はゆっくり休んで」

 悠生を部屋に案内したアオイは、トモユキのように努めて優しい声で言った。

「あ、あぁ。ありがとう……」

 その声色を聞いた悠生は驚いたような拍子抜けした声でお礼を述べる。そのお礼を聞いて、アオイもにっこりとする。

 そしてドアが閉まる間際に、

「それじゃ、おやすみなさい」

 と声がかけられた。


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