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第三章 邂逅 Ⅱ

 

「ここが私の――ううん、私たちのお気に入りの場所」

 そう言うミユキの先には、広大な林が広がっている。

 全て銀杏(いちょう)の木のようだ。

「ここ?」

「うん。何かあったら、よくここに来るの」

 そう口にするミユキの表情はとても穏やかだ。

 何を考えているのか、隣に立っている悠生には分からない。なぜ、ここに連れてきたのかも想像できなかった。

「へぇ~」

「秋になったら、綺麗な色になるんだよ」

「銀杏か。黄金色に染まるんだろうな」

 その景色が、頭の中に思い浮かぶ。

 辺り一面に埋められている銀杏の木は、今はよく()えた緑色を見せている。紅葉の季節になれば、木は黄金色に染まり、地面には綺麗な絨毯(じゅうたん)がひかれるのだろう。

「そうよ。銀杏の木、好きなの?」

「あぁ。家にも一本植えてあるんだよ」

「そうなの?」

「親が植えてくれたんだ。子どもの頃に、紅葉はもみじの赤色よりも銀杏の黄金色のほうが好きだって言ってた俺のためにさ」

「……っ!? そ、そうなんだ」

 ミユキの脳裏に、不意に記憶が蘇る。

 それは、かつて二人がこの場所に立った時のことだ。



「また、ここにいたの?」

「ん? あぁ、ミユキか」

 銀杏林に置かれたベンチに座っていたユウキへ、ミユキは声をかけた。

「みんなが呼んでたわよ、ユウキ」

「何だって?」

「そろそろ『ルーム』に帰ろうだって」

「あぁ、そうだな」

 頷くが、ユウキは腰を上げようとしない。じっと風に揺れている銀杏の木を眺めているだけだ。

「どうしたの?」

「いや、これで良かったのかなって思って」

「学校のこと?」

「あぁ」

 その瞳からは元気が見られない。

 生気がなくなったような表情を見せているユウキを、じっとミユキは見つめる。

「私たちがしたことはたくさんの非難を受けることだと思うわ。でも、そうしなければならなかったのよ」

 真剣な言葉は、虚ろな表情のユウキにゆっくりと届いていく。

「きっと、これからまた辛いことが続くんだと思う。でも、私たちなら乗り越えられるわ。――ううん、乗り越えなきゃいけないのよ」

「……そうだな」

 視線を動かすと、ミユキの視線と交わった。

 その表情は優しい笑顔に満ちている。ミユキの奥で美しい黄金色を見せている銀杏の木のように、とても優しくて柔らかい表情だ。

「銀杏とミユキはなんだか似てるな」

「なにそれ」

 ぷっと吹き出した。

「なんとなくそう思ったんだよ」

「本当に好きだよね、銀杏。私はもみじの方が好きなんだけどな」

「もみじの赤は刺激が強すぎるんだよ。俺はもみじよりも銀杏の黄金色の方が好きだ」

「いっつも言うよね。少しは銀杏以外の紅葉も見に行けばいいのに」

「ここだけで十分さ。こうして座ってるだけで落ち着けるし」

 そう口にするユウキの表情は、穏やかなものに変わっていた。



「……ユキ? ミユキ?」

「っ!? な、なに?」

 急に聞こえてきた声に、ミユキは驚いた声をあげた。

 気がつけば、悠生が心配そうにミユキを見つめていた。

「いや、急に黙ったから――」

「……あ、あぁ、ごめん」

「どうかしたのか?」

「う、うん。ちょっとね」

 まだ不安そうな顔の悠生だが、ミユキは「大丈夫よ」と言うだけだ。

 それ以上は口にしようとしないミユキに悠生は尋ねた。

「どうして、俺をここに?」

「……な、なんとなく」

 あっけからんに言うミユキ。

 対して、悠生はミユキの返事に戸惑った。

「なんとなくって……」

「う~ん。ここなら、悩みとか深い話とかも出来るかなって思ったの」

「深い話?」

「何か気になることあるんでしょ?」

「え……っ!?」

 それまでの表情と違って、ミユキの面持ちは真剣そのものだ。嘘を言うことも茶化して誤魔化すこともできないような雰囲気だ。

「な、なんでそう思っ――」

「分かるわよ。研究室に戻ったら、悠生くんが元気なさそうにしてるの」

(似てるから、分かっちゃうのよ)

 ミユキが研究室に戻った時の悠生の表情は、何かに苦悩しているようだった。それとなく聞くと、『始まりの覚醒者』やこの世界に起こった出来事について話を聞いたみたいだ。当然、それだけで話は終わらないはずだ。トモユキやマユミのことを知っているミユキなら、それは十分に分かる。

「……そっか」

 観念したように悠生はため息を吐いた。

 ゆっくりと口を開く。

「聞いたんだよ、マユミたちから。『覚醒者』が生まれる理由についても調べて損はないって。あと、『覚醒者』って呼ばれる理由について……」

「――やっぱり」

「やっぱり?」

「予想はついてたの。悠生くんがマユミから話を聞いたって言ってたから」

 真剣な面持ちはそのままだが、どことなくミユキは悲しそうな色合いを見せた。そのことを決して悠生には知られたくなかったというような残念さを端的に表した小さな仕草だ。

 それでも。

 ミユキは正直に言った悠生と面と向かう。

「マユミがどういう説明をしたかは分からないけど、悠生くんが気にしてることはその通りよ。私には、私たち『覚醒者』には触れられたくない秘密がある。それが私たちを、『覚醒者』にしてる」

「……ミユキもその自覚があるのか?」

「うん。私の過去のある出来事が、私に『覚醒者』としての力をくれたんだなってのは分かってる。だって、鮮明に覚えてる記憶だから」

 ミユキは凛とした声で言ってのけた。

 そこからは強烈な過去の出来事に苛まれているような印象を受けない。どちらかというと誇らしそうなほどだ。

「ど、どうして……?」

「マユミから聞いたんでしょ? 私の理由は幸せな記憶なの。過去のトラウマじゃないわ」

「…………」

 そういえば、と思い出す。

 マユミは、その出来事が当人にとって良いことでも悪いことでも関係ないと説明していた。ミユキの『覚醒者』としての力の種類は、彼女の過去の幸せな出来事からきているようだ。

 でも。

「忘れないで。私はそうだけど、そうじゃないって人もたくさんいることを」

「う、うん……」

 ミユキの言う通りだ。

 ミユキ自身が幸せな出来事で『覚醒者』になっているからといって、それを大きく口にしていいことではない。『覚醒者』の大半はトラウマが理由であることは変わらないのだから。そういう彼らにしてみれば、ミユキは嫌悪や妬みの対象になるのだろう。

「悠生くん……」

「ミユキはそうだからいいってもんじゃないよな。俺は……深く考えてなかったよ。ミユキやみんなが助けてくれるって言ってくれて、すごくうれしくて。こっちの世界のことは本当に分からないことばっかだったから、頼ってばっかりだ」

「そんなこと気にしないでいいのに」

「そんな簡単には無理だ。『覚醒者』がどんな存在なのかもみんなから聞いてなんとなく理解したつもりになってたけど、『覚醒者』みんなに言えない過去があったなんて知らなくて……」

 俯いている悠生の表情はミユキには分からない。目にかかるほど伸びた前髪が彼の感情までも必死に隠しているようだ。

「知らなくて当然だよ。でも、それを恥じないで」

「だけど! 俺は知らずに、みんなを頼りがいがあるって勝手に舞い上がって……っ」

 言葉の端々に、自分への憤りが感じられる。

 何も知らずにただ差し伸べられた手を握っていただけの自分に、悠生は無知による恥ずかししさや怒りを覚えている。ミユキの言う通り、それは当然のことでもある。それでも、悠生の憤りは収まらない。

『覚醒者』について深く知らずに、『ルーム』にいるみんなの手助けを喜んでいた。力強いと思っていた。彼らが過去に受けた様々な出来事によって、世間から忌み嫌われる存在になっていることを知りもしないで。

 それは、あまりに無神経に思えたのだ。知らないから許されるという問題ではない。悠生の舞い上がり様は勝手に相手の傷口を広げているようなものだ。『ルーム』で暮らすみんなが、悠生の素直に喜ぶ姿を見て、どのような感情を抱いたのかは想像もできなかった。

「……優しいんだね」

「そんなこと、ないさ」

 小さく否定した。

 けれど。

 否定に、否定で返される。

「ううん、優しいよ。私たちは『覚醒者』ってだけで世間から疎まれてきた。『覚醒者』って呼び方がどういう理由で定着したのかなんて大多数の人にはどうでもよくって、世界からいなくなっちゃえって思ってる人ばっかりだった」

「…………」

「だから、悠生くんが私たちの過去をしっかりと考えてくれてることが本当にうれしい。そういう人ってあんまりいないから」

 でもね、と言葉は続く。

「私たちの過去ばかりを気にして、悠生くんが私たちに遠慮するのは違うと思う。そりゃ、中には嫌がる人もいるだろうけど、『ルーム』のみんなは違うよ。みんな、心から悠生くんの力になりたいって思ってる。悠生くんを元の世界に帰すんだって思ってる」

「…………」

「私たちが知ってるユウキをこっちの世界に戻したいって気持ちだけじゃない。巻き込んでしまって申し訳ない気持ち。悠生くんにもちゃんと帰るべき場所があること。私たちは一度帰る家を無くしてるから、自分の家は大事にするべきだって本当に理解してる」

「……ミユキ」

「そんな色んな気持ちで、悠生くんの力になりたいって思ってる」

 だから。

「悠生くんも色んな気持ちで私たちの力を頼って。それで、色んな気持ちで私たちの力になってほしいの」


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