第三章 邂逅 Ⅰ
学校のグラウンドを黄金色に照らすように、西日が差しこんでいる。昼間の蒸し暑さは太陽が沈むことで少しずつ和らいでいっているようだ。
そのグラウンドでは、今も大声が木霊している。部活をしている学生の声だ。
授業はとっくに終わって、放課後になっていた。
(もう少しで夜になるな……)
今も、ユウキは『市立基橋高校』に残っている。
ユウキの手元には、紙切れがあった。
午後の休憩時間に、クラスメートの女子学生が渡してきたものだ。ユウキにとってはそれほど親しくないクラスメートから声を掛けられたことも驚きだったが、渡された紙切れにはもっと驚くことが書かれていた。
元の世界へ帰りたいか?
殴り書きの文字はとても渡してきた女子学生が書いたものには見えない。
それに。
(あの口調……)
誰かに操られているかのようだった。いや、誰かが女子学生を乗っ取っていたようだった。
女子学生を乗っ取っていた誰かは、ユウキのことを知っていたようだ。それどころか『覚醒者』について、ユウキが世界を移動していたことも知っていた。
(元の世界……)
つまり。
『誰か』は世界が二つあることを知っている。ユウキと同じように時空を越えた者かもしれない。
「まだ帰らないのか、悠生?」
「……っ!?」
不意に、教室に声が響いた。
ドアの方を振り返ると、そこにいたのは拓矢だった。
「拓矢……」
「どした? 顔色悪いぞ?」
「あ、いや、なんでもない」
「そうか? 全然大丈夫には見えないけど――」
どうやら、拓矢は部活終わりのようだ。すでに制服に着替えている拓矢だが、まだ汗が肌にまとわりついていた。
「そんなことないって、大丈夫さ」
「ならいいんだけど――」
「拓矢こそどうしたんだ?」
今度はユウキが尋ねた。
部活が終わったのなら、そのまま帰るはずだ。教室に戻ってきたということは、何か用があるのだろう。忘れ物でもしたのだろうか。
「いや、ちょっとな」
「……?」
はっきりとしない拓矢に、ユウキは首をかしげる。
すると。
「ちょっとゲームしないかな?」
拓矢の意識が急に変わった。
「……っ!?」
その変化は、ユウキの記憶に新しかった。
そう。
紙切れを渡してきた女子生徒が同じような変化を見せていた。誰かに操られているかのような感覚を抱いた変化だ。
そして。
それは拓矢の場合も同様だった。
「ゲーム?」
拓矢の目は女子生徒の時と同じように不気味に光っている。それだけじゃない。ユウキを威圧させるように鋭くなっている。普段の拓矢からは考えられないような視線に、ユウキは思わずたじろいでしまう。
「そうだよ」
「何のために?」
「言っただろう? 『覚醒者』のいないこの世界で、君は生ぬるい生活に慣れてしまっているんじゃないかなって」
その言葉は、女子生徒のものと同じだ。あの場にいなかった拓矢が知るはずがない。そのことにユウキはさらに驚愕する。
「お、お前……」
「まだ気付かないの?」
挑発的な発言。
「な、なにを……」
「僕の存在に、だよ」
「ってことは、やっぱりお前は拓矢じゃ――」
「今さら? 昼も接触したのに」
拓矢ではない誰かの言葉で、ようやくユウキは確信を得た。
こんなことを出来るのは『覚醒者』だけだ。『時空扉』で世界を越えたユウキだが、飛んだ先の世界にも『覚醒者』は存在していた。
「どうやってこっちの世界に?」
「それは教えられないな」
「…………」
(当たり前、か。でも、これは――)
帰る方法を知る絶好の機会だ。
目の前にした情報源をみすみす逃すわけにはいかない。拓矢を傷つけるのは気が引けるが、多少力押しでもユウキは誰かを捕えようと身構える。
そこへ。
「でも、ゲームに勝ったら教えてあげようかな」
「え……っ!?」
俄かに信じられない声に、ユウキは一瞬固まる。
「簡単なゲームだよ。君は僕の存在を見つければいい。僕が誰か探してごらん」
「それだけか?」
「そうだよ。でも制限時間は設けさせてもらったよ」
「制限時間?」
「屋上に行けばわかるよ。――そうだな。そこがスタート地点にしようかな」
「屋上?」
「うん、そうだよ。それじゃ、屋上で待ってるね」
そして、誰かは拓矢から気配を消した。
操られている感覚が消えた拓矢はその場に倒れてしまう。
「た、拓矢!?」
慌てて駆け寄るが、どうやら意識を失っているようだ。拓矢の身体に怪我は見当たらない。ゲームを提案してきた誰かには、意識を乗っ取られていただけみたいだ。
「……仕方ないっ」
気を失っている拓矢をその場で安静にさせて、ユウキは屋上へ走る。
ゲームをしかけてきた誰かは、制限時間を設けたと口にしていた。何か嫌な予感がするのだ。
クラスメートの女子学生が操られた。
ユウキの――いや、悠生の親友の拓矢が操られた。
二人を操っている誰かは、ユウキに接点がある者を操っている。それが、ユウキには意図的に思えて仕方がない。ユウキが知っている人物を操ることで、ユウキを動揺させようとしているのだろうか。相手の思惑はそれだけではないような気さえした。
肌を刺すようなピリピリとした感覚が全身を襲う。
「……ッ」
気のせいじゃない感覚に、ユウキは焦りを覚える。
この感覚は向こうの世界でも感じたことがあるもので、『覚醒者』が持つ独特の気配に似ている。異質な力を持つ『覚醒者』が放つ存在感とでも言うのだろうか。こちらの世界ではそれまで全く感じなかった感覚に、ユウキはさらに足を速める。
(外れててほしいが――)
その願いさえも、簡単に打ち砕くほどの悪寒。
振り払えない感覚を抱きながら、ユウキは屋上へ通じる階段に辿りついた。
そこで、一度足を止める。
「……はぁはぁ」
呼吸が荒くなる。
走ったせいか、悪寒と似たピリピリとした感覚のせいか。
(――この先に)
誰かがいるはずだ。
拓矢を介して話しかけてきた誰かは、屋上をスタート地点にしようと言っていた。その真意は分からないが、屋上に行けばゲームは始まるようだ。
ゲームの内容は、拓矢や女子生徒を操った誰かを見つければいいだけ。
それだけだ。
そのことを確認して、ユウキは階段を駆け上がる。そして、屋上へ通じる重たい鉄の扉を、勢いよく開けた。
扉を開けると、暑さが残った風がユウキの頬を撫でた。校舎内よりもまだまだ外のほうが気温は高いようだ。荒くなった呼吸をすぐに整えて、視線を周囲へ動かす。
そこにいたのは、見知らぬ男子生徒だった。
ユウキよりもかなり身長が高い。一八〇メートルは軽く超えているだろう。上履きの色からもユウキとは学年が違うことが分かる。
「おや、早かったね」
「お前は?」
「おっと。この人も僕じゃないよ」
「――だろうな」
とても目の前の男子生徒と声の主である誰かが同一人物には思えない。それは長い間、『覚醒者』たちがいる世界で暮らしてきたユウキの直感だ。男子生徒からは『覚醒者』特有の気配が感じられない。
「でも、そのほうがいいよ。制限時間はもう始まってるからね」
「どういう――?」
その先を口にする前に、ユウキは見つけた。
校舎の屋上に、見知った顔があった。
この世界で最初にユウキを助けてくれた顔だ。同じクラスメートであり、何かと親切にしてくれる人物だ。
「真希!」
しかし。
今、その女子生徒からはもう聞き慣れた声が発せられない。生気が感じられないような表情をしている。
「岩井真希って言うんだね、この子。君の名前を出したら、簡単についてきてくれたよ」
「お、おまえっ!」
「彼女にとって、それほど君は大切なんだろうね。――いや、こっちの世界の君、かな」
「何がしたいんだ?」
ドスの利いた低い声で訊く。
怒りに満ちた表情を見せているユウキに対して、誰かは軽く笑って流している。この状況を楽しんでいるかのようだ。
「何って、ゲームだよ。言っただろう?」
「ゲームに真希は関係ないだろ!」
「もちろん。でも、それじゃ緊迫感がないだろう? 僕の力はもう大体分かってるだろう?」
「……他人を操る力」
「その通り。そして、彼女もすでに僕の手中だ」
嫌な予感がする。
太陽が沈んでようやく快適さが滲みでてくるが、それでも汗は止まらない。いや、これは冷や汗に近い。真希を取られて、ユウキが焦っているのだ。
「――さて、ゲームを始めようか」
誰かの言葉が、脳に届く。
「彼女を賭けたゲームだ。僕の操る能力は他の人には解けない。君が僕の正体を見破るのが先か。彼女がこの屋上から飛び降りるのが先か」
嫌な響きを確実に含んでいる言葉が、脳に響く。
ユウキの身体を麻痺させるほどの威力を持つ言葉は、とても残酷だ。
「命がけのゲームだ」




